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{{日本の法令
'''裁判事務心得'''('''さいばんじむこころえ''')とは、[[裁判]]の際の法源の適用原則などを明らかにするために[[1870年代|1875年]]に制定された[[太政官布告・太政官達|太政官布告]](明治8年太政官布告第103号)である。同布告は、近代的な法典が未整備の状況において同年の[[大審院]]の設置を受けて制定されたものであり、日本の明治初期の[[司法]]制度において重要な意義を有する。
|題名= 裁判事務心得
|番号= 明治8年太政官布告第103号
|通称= なし
|効力= 現行法
|種類= 司法
|内容= 法源の適用順序等
|関連=
|リンク= {{Egov law|108DF0000000103|裁判事務心得}}<br>{{国立国会図書館デジタルコレクション|787955/125|法令全書 明治8年|format=EXTERNAL}}
}}
 
'''裁判事務心得'''('''さいばんじむこころえ'''、明治8年太政官布告第103号は、[[裁判]]の際の[[法源]]の適用原則などを明らかにするために[[1870年代|1875年]]に制定された[[太政官布告・太政官達|太政官布告]](明治8年太政官布告第103号)である。同布告は、近代的な法典が未整備であった当時の日本の状況において同年の[[大審院]]設置を受けて制定されたものであり、日本の明治初期の[[司法]]制度において重要な意義を有する。1875年(明治8年)6月8日に[[公布]]された
 
== 内容 ==
布告は5か条から構成されており、以下のような内容を有する(文中の「コト」は、原文では合字)
* 各裁判所ハ民事刑事共法律ニ従ヒ遅滞ナク裁判スヘシ疑難アルヲ以テ裁判ヲ中止シテ上等ナル裁判所ニ伺出ルコトヲ得ス但シ刑事死罪終身懲役ハ此例ニアラス
* 凡ソ裁判ニ服セサル旨申立ル者アル時ハ其裁判所ニテ弁解ヲ為スヘカラス定規ニ依リ期限内ニ控訴若シクハ上告スヘキコトヲ言渡スヘシ
* 民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ依リ習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スヘシ
* 裁判官ノ裁判シタル言渡ヲ以テ将来ニ例行スル一般ノ定規トスルコトヲ得ス
* 頒布セル布告布達ヲ除ク外諸官省随時事ニ就テノ指令ハ将来裁判所ノ準拠スヘキ一般ノ定規トスルコトヲ得ス
 
== 現在における布告の効力 ==
この布告は、正式には廃止の措置が採られていない。しかし、制定後に実体法・手続法ともに法典の整備が進んだこともあり、現在でも効力を有するか(「後法は前法を廃する」の原則が妥当する事態が生じたかなど)、効力を有するとしてどの条項が有効であるかにつき、争いがある。有効な法令を全て掲載していることを表明している[[法令]]集に、この布告を掲載していないものもあれば、一部の条項のみを掲載しているものもあるのは、そのためである。
 
例えば、明治8年の[[法令全書]]には裁判事務心得が掲載されているが、その頭注部分に、[[治罪法]](明治13年太政官布告第37号、[[刑事訴訟法]]に相当)により刑事に関する事項について効力が消滅した旨の記載があり、明治17年の法令全書の巻末の法令改廃表に、[[裁判所構成法]](明治23年法律第6号、[[裁判所法]]に相当)と旧[[民事訴訟法]](明治23年法律第29号)により効力が消滅した旨の記載がある<ref>明治17年の法令全書が発行されたのは、明治17年より後である。</ref>。つまり、明治時代のうちに効力が消滅したものとして扱われている。
 
これに対し、法務大臣官房司法法制調査部編集の『現行日本法規』には、3条から5条までが現行法令として掲載されており、[[e-Gov法令検索]]も同様の扱いをしている。国立国会図書館の「日本法令索引」は、「効力:有効」とするが、同じ「日本法令索引〔明治前期篇〕」は、前記裁判所構成法及び旧民事訴訟法により「消滅」したとする。
 
== 法源としての条理 ==
この布告が現在でも効力を有する部分があるという見解に立脚した場合に、現在でも解釈上問題となるのは、第3条が[[民事訴訟|民事の裁判]]について法律や習慣がない場合に'''条理'''が[[法源]]となるかのような表現を採っていることである。
 
条理とは、一般的な用法としては物事の筋道のことであるが、この布告が制定された頃は、条理の具体的な内容として、[[自然法]]の法理とする立場とヨーロッパ法とする立場があった。もっとも、第3条は[[ギュスターヴ・エミール・ボアソナード|ボアソナード]]の示唆を受けて成立したもあ指摘されてお<ref>[[大久保泰甫]]『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波書店、1977年)71頁</ref>、立案者としては自然法を実定法化した法典としての[[フランス]]民法を主に想定していたとされている。しかし、明治初期において、地方に在住する[[裁判官]]がヨーロッパ法(特にフランス法)をどこまで理解していたかについては疑問が残り、現実には日本のそれまでの伝統的な考え方を条理に紛れ込ませて裁判していたこともあったのではないかとも指摘されている<ref>大久保・前掲72頁</ref>
 
この布告の制定後に法典の整備が進んだこともあり、法律が存在しないがゆえに条理を根拠にしなければ裁判ができないという事態は著しく減少した。しかし、全く消滅したわけではなく、万が一[[法令]]も[[慣習法]]もない場合であっても、それを理由として裁判を拒むこともできないので、その場合には条理に従わざるを得ない場合もある<ref>[[我妻榮]]『新訂民法総則(民法講義 I)』(岩波書店、1965年)21頁</ref>。ただ、この場合でも条理が法源と言えるかについては、「法源」という言葉の意味に帰着する問題であるとする指摘もあり<ref>[[川島武宜]]『民法総則』(有斐閣、1965年)26頁</ref>、条理それ自体は法源としての一般的な規準にはなりえず、法の欠缺がある場合の[[法解釈]]の一般原理の問題に解消されるとする立場もある。
 
なお、[[スイス民法]]には、法律も慣習法もない場合は、仮に自分が立法者であれば定めたであろう準則に従って裁判すべきとする条文がある(第1条)。
 
==判例法の否定==
第4条は、裁判官の裁判について[[判例法]]としての効力を否定した内容である。
 
この点に関しては、裁判事務心得が制定された頃の司法制度は、中央の各官庁が国家権限を分掌し、その中で[[大審院]]も他の中央官庁と同列であり他の官庁に対して優位性を持たないという事情が介在していたため、判例法としての効力を否定せざるを得なかったとの指摘がある<ref>[[園尾隆司]]『民事訴訟・執行・破産の近現代史』(弘文堂、2009年)67〜68頁</ref>。
 
なお、[[日本法]]では、[[英米法]]と異なり判例は法源にはならないと言及されることが多いが、その際に裁判事務心得4条に言及されることはほとんどない。<!-- 少なくとも、この部分を加筆した者は、言及している文献を見たことがない。 -->
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 外部リンク ==
なお、この布告の制定後に法典の整備が進んだこともあり、法律が存在しないがゆえに条理を根拠にしなければ裁判ができないという事態は著しく減少した。そのため現在では、条理そのものが法源になり得るとする立場もあるが、条理それ自体は法源としての一般的な規準にはなりえず、法の欠缺がある場合の[[法解釈]]の一般原理の問題に解消されるとする立場もある。また、スイス民法が法律がない場合は仮に立法者であれば定めたであろう準則に従って裁判せよと規定しているのと同旨の規定である、とする考え方もある。
* {{Wikisource-inline|裁判事務心得|{{PAGENAME}}裁判事務心得}}
 
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{{Wikisource|裁判事務心得|{{PAGENAME}}}}
[[Category:日本の法律|さいばんじむこころえ太政官布告・太政官達]]
[[Category:日本の裁判|さいばんじむこころえ]]
[[Category:1875年の法]]