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藤田元司が監督に復帰。原が外野へコンバート、内野は駒田、岡崎、川相が定着。中日から移籍の中尾のリードも冴えて、[[斎藤雅樹]](20勝・防御率1.62)、桑田真澄(17勝・防御率2.60)、槙原寛己(12勝・防御率1.79)と三本柱が機能し、チームは2位の広島に9ゲーム差を付け、リーグ優勝を達成する。[[井上真二]]、[[緒方耕一]]の若手も台頭。[[1989年の日本シリーズ]]では近鉄に3連敗を喫した後、4連勝し逆転で17回目の日本一に輝く{{Efn|近鉄の第3戦勝利後、先発[[加藤哲郎 (野球)|加藤哲郎]]が「巨人は(当時低迷していた)ロッテより弱い」と発言したことが、巨人を怒らせ逆転のきっかけとなったとされるが、加藤自身はそのような事は言ってないと発言している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_octorber/KFullNormal20071016148.html |title=【10月24日】1989年(平1)加藤哲郎、「巨人はロッテより…」って本当に言った? |publisher=スポーツニッポン |accessdate=2015-10-05 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071026114641/https://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_octorber/KFullNormal20071016148.html |archivedate=2007-10-26}}</ref>。}}。中畑は引退し、[[鹿取義隆]]は西武へ移籍となる。ドラフトでは藤田監督の大学後輩である[[大森剛]]を1位指名、甲子園で活躍した[[元木大介]]は巨人を熱望するも[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]に指名されるが入団拒否。
 
この年は[[平成]]最初のペナントレースだったので、巨人は「平成最初のセリーグ優勝・日本一球団」になった<ref>{{Cite web|和書|title=【プロ野球】歴代日本一チーム、日本シリーズMVP一覧|対戦カード・試合結果ほか (2ページ目)|url=https://www.baseballchannel.jp/npb/111309/2 |website=ベースボール チャンネル|date=2023-11-05|accessdate=2024-06-29|publisher=カンゼン}}</ref>
 
; [[1990年の読売ジャイアンツ|1990年]]
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; [[1994年の読売ジャイアンツ|1994年]]
開幕戦で松井・落合のアベックホームランが出てその勢いで前半は首位独走したが、夏場に失速。終盤最大10ゲーム差をつけていた2位・中日に猛烈な勢いで追い上げられ、シーズン最終戦(10月8日の対中日戦〈[[ナゴヤ球場]]〉、いわゆる「'''[[10.8決戦]]'''」)が優勝決定戦となった。史上初の同率チーム同士による最終試合での首位決戦という優勝決定戦は日本全国の注目を集め、各マスコミでも大きく報道。長嶋監督は「国民的行事」と称した。その試合を[[槙原寛己]]、斎藤、桑田の当時のエース「三本柱」の継投で、リーグ優勝を達成。[[1994年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、4勝2敗で初めて西武ライオンズを破り{{Efn|西鉄時代を含めれば、1963年以来31年ぶりの日本シリーズ勝利となる。}}、本拠地を東京ドームに移転後初めて日本一に輝く。篠塚がこの年引退。
 
この年は球団名変更後初の日本一を現在の本拠地・[[東京ドーム]]で決め、監督は生え抜きである長嶋だったため{{Efn|他球団への移籍を1度も挟むことなく、一貫して巨人に16年在籍して引退した[[フランチャイズ・プレイヤー]]でもある<ref>[https://baseball-museum.or.jp/hall-of-famers/hof-086/ 長嶋 茂雄 (ながしま しげお)] - 野球殿堂博物館</ref>。}}、「'''現在の球団名および本拠地になって以降、その場所でリーグ優勝・日本一を球団OB監督の下で決める'''」という偉業を成し遂げた{{Efn|東京ドームでのリーグ優勝は上記の通り、[[1990年の読売ジャイアンツ|1990年]]に既に果たしている(監督は[[藤田元司]]<ref>[https://baseball-museum.or.jp/hall-of-famers/hof-118/ 藤田 元司 (ふじた もとし)] - 野球殿堂博物館</ref>)。}}。この記録はセ・リーグ全球団の中で巨人のみ、2023年度シーズン終了時点でも続いている{{Efn|[[広島東洋カープ]]は、巨人より先に[[1979年の広島東洋カープ|1979年]]にリーグ優勝、[[1980年の日本シリーズ|1980年]]に日本一をそれぞれ、[[広島市民球場 (初代)|初代・広島市民球場]]にてOB監督の[[古葉竹識]]<ref>[https://baseball-museum.or.jp/hall-of-famers/hof-128/ 古葉 竹識(こば たけし)] - 野球殿堂博物館</ref>の下で達成しているが、[[2009年の広島東洋カープ|2009年]]に本拠地を現在の[[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]]に移転後に出場した日本シリーズはどちらも敗退しているため、同年度シーズン終了時点では「'''現在の本拠地での日本一は未達成'''」となっている。パ・リーグは、この[[2014年の福岡ソフトバンクホークス|20年後]]に[[福岡ソフトバンクホークス]]が達成している。}}。
 
; [[1995年の読売ジャイアンツ|1995年]]
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==== 堀内監督時代 ====
; [[2004年の読売ジャイアンツ|2004年]]
V9時代のエースだった堀内が監督に就任、生え抜きの高橋由伸らに加え、前年までで近鉄との契約が終わった[[タフィ・ローズ]]、ダイエーから膝の靭帯を断裂した後出場のなかった[[小久保裕紀]]を獲得した。かねてより所属する清原和博、ペタジーニ、江藤智などのさまざまな球団で活躍した4番打者が1チームに顔を揃えるという超重量打線となった。長嶋終身名誉監督に「[[史上最強打線]]」と名付けられた打線は、事実この年にローズが45本塁打で外国人選手史上初めて両リーグでの本塁打王に輝いたのに加え、小久保が球団史上初の右打者で40本塁打を記録する等年間259本塁打のプロ野球新記録{{Efn|それまでのプロ野球最高記録は1980年の近鉄の239本、セ・リーグ最高記録は1985年の阪神の219本だった。}}を樹立。しかし、259本塁打の新記録を達成したものの100打点を挙げた打者が一人もいなかった事やチーム最多盗塁が[[鈴木尚広]]の9と機動力をあまり駆使しなかった事で繋がりを欠き、チーム盗塁数は25と12球団で最も少なく、また平成に入ってからのワースト記録にもなっている。余談だが、12球団11位の日本ハムは45盗塁と、30盗塁未満は巨人のみである。投手陣においても上原が2.60で最優秀防御率を獲得したものの、その後が続かず規定投球回に到達したのはその上原だけでチーム防御率は4.50とワースト3位で完封勝ちは5とヤクルトに次ぐワースト2位タイと投手陣が打撃陣の頑張りを活かせず、成績は前年と同じ3位だった。近鉄・オリックスの合併問題に端を発した[[プロ野球再編問題 (2004年)|プロ野球再編問題]]では、球団スカウトが行った[[明治大学]]の投手[[一場靖弘]]への不正な金銭授受の責任を取り、渡邉恒雄がオーナー職を辞任した。また、テレビ視聴率も前年から低下した<ref>{{Wayback |url=http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2004/10/06/04.html |title=巨人戦視聴率最低!中継大幅見直しも |date=20041205092429}} - スポーツニッポン(2004年10月6日)</ref>。
 
; [[2005年の読売ジャイアンツ|2005年]]
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; [[2016年の読売ジャイアンツ|2016年]]
チームは開幕3連戦(VSヤクルト)において3連勝スタートを切った。なお、巨人が新監督で開幕3連戦を3連勝するのは、1981年の藤田元司以来35年ぶり<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/03/27/kiji/K20160327012288380.html 由伸巨人 球団新人監督35年ぶり連勝!V打亀井「明るく」チーム変わった ]スポーツニッポン 2016年3月27日</ref>。序盤は阪神・広島と首位争いを繰り広げ、4月は15勝10敗3分けと一歩先を行く展開が続いていたが、前年同様打撃陣が低調で、月が替わった5月は21日の中日戦から7連敗で急失速した。特に代打での打率と失策率が12球団最下位だった事や、中継ぎ陣が打たれる試合が多く、負けが込む様になった。交流戦は五分で終えるも、6月10日のソフトバンク戦で同一カード3連敗を喫し、借金生活に入ったのと同時期に広島の快進撃が始まると、首位を奪われてしまう。その後、首位広島を一時4.5ゲーム差まで追いつめたものの、8月24日に広島との直接対決で敗れた事で広島にマジックが点灯、9月10日の対広島戦で敗戦したことにより広島のリーグ優勝が決定、2年連続V逸が確定した。その後はDeNAとの2位争いを制し、シーズン2位が確定。[[坂本勇人]]が初の首位打者になり、[[菅野智之]]が2年連続で最優秀防御率と最多奪三振を獲得、[[澤村拓一]]が[[最多セーブ投手 (日本プロ野球)|セーブ王]]になるもエース・菅野の勝利投手になる権利を3回も消滅させてしまったこともあり、2桁勝利を達成したのは[[田口麗斗]]のみだった。クライマックスシリーズでは、クライマックス初出場の3位・DeNAと対戦。しかし、1勝2敗で1stステージで敗退し、5年連続のファイナル出場が途絶えた。10月13日に足のスペシャリスト[[鈴木尚広]]が現役引退を発表した<ref>[https://web.archive.org/web/20161013005604/http://www.hochi.co.jp/giants/20161013-OHT1T50037.html 【巨人】尚広引退!「生半可な気持ちでは続けられない」悩み抜いた胸の内独占激白 ]スポーツ報知 2016年10月13日</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2016-10-13 |url=http://www.giants.jp/G/gnews_3911119.html |title=鈴木尚広選手が現役引退「盗塁は自分が一番輝ける場所」 |publisher=読売巨人軍 |accessdate=2016-10-28}}</ref>。また、オフに総額30億円をかけた大補強を敢行。ソフトバンクから[[森福允彦]]、DeNAから[[山口俊]]、元楽天の[[ケーシー・マギー]]、日本ハムから[[陽岱鋼]]、抑え候補の新外国人として[[アルキメデス・カミネロ]]を獲得した。
 
中日が1997年以来19年ぶりのリーグ最下位を経験したことにより、巨人はセ・リーグ全球団の中で「最もリーグ最下位から遠ざかっている球団」となった。
 
; [[2017年の読売ジャイアンツ|2017年]]
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開幕から若手の[[岡本和真]]や[[吉川尚輝]]がスタメンに定着するなど若手が活躍した打線の好調で上位戦線につけた。しかし、6月に[[篠原慎平]]、[[河野元貴]]が[[Instagram]]に不適切な動画を投稿し、出場停止になり、さらに7月には[[柿澤貴裕]]がチームメイトの野球道具・ユニフォームを盗み転売していたことが判明し、契約解除となるなど、前年に続き、不祥事も相次いだ。一連の不祥事の責任を取る形でオーナーの[[老川祥一]]が辞任し、後任として[[山口寿一]]が新オーナーに就任<ref>[https://www.daily.co.jp/baseball/2018/07/18/0011456893.shtml 巨人、山口氏が新オーナー就任 読売新聞グループ社長] [[デイリースポーツ]]、2018年7月18日閲覧。</ref>。7月以降は育成から這い上がった[[C.C.メルセデス]]が菅野と共に先発陣を支えたが、7月17日の阪神戦で坂本勇人が左脇腹を痛めて一軍登録抹消、さらに7月27日のヤクルト戦で新外国人投手ヤングマンが左手骨折、吉川尚輝が8月1日のDeNA戦でヘッドスライディングによる左手の骨折で戦線離脱と、夏場に故障者が続出すると、2位以下を5チームで争う展開の中で9月に借金が込みだし、3位をDeNA、阪神、中日と争う様相を呈す。結局シーズン最終盤までDeNAと3位を争い、1度は自力でのCS進出が消滅するも、10月3日にDeNAがヤクルトに敗れた為3位に浮上すると同時に自力でのCS進出の可能性が復活。10月10日のシーズン最終戦(阪神戦)で[[岡本和真]]がプロ野球史上最年少となる100打点を[[望月惇志]]からの本塁打で決める活躍などで勝利し、3位が確定。2年振りのCS進出となった。なおシーズンの成績は67勝71敗5分けと負け越しで、勝率が5割を切ってCSに進出したのは球団史上初である。マイコラスの抜けた穴や田口や野上の不調があった先発陣は菅野が8完封、昨年傷害事件を起こしシーズン終了までの出場停止を命じられた山口俊が2完封と、21完投は断トツで12球団トップだったものの、中継ぎ・抑えはカミネロが度重なるリリーフ失敗で二軍降格になったのを皮切りにマシソン、アダメスと抑えが固定出来ずセーブ数は25と12球団ワースト、またマシソンも怪我により、離脱した影響で山口俊をリリーフに回すなど、2年連続12球団ワーストの73ホールドと崩壊した。前年同様、広島に大きく負け越し、首位独走を許すことになった。特に東京ドームでは地の利を生かせず、1997年以来21年ぶりに負け越し(広島に4勝7敗、DeNAに3勝8敗)、球団ワーストタイの4年連続V逸と12年ぶりの勝率5割以下が確定し、オーナーは監督の高橋に若手育成の手腕を評価し、2019年も続投を要請する意向をするが、高橋が「チームの勝敗は監督が背負うものと責任を取って辞めます」と自ら辞任を申し入れ了承された。同一監督が無冠のまま辞任したのは堀内恒夫以来となった。CSファーストステージではヤクルトと対戦。2連勝で3年ぶり(3位になったシーズンとしては2010年以来8年ぶり)のファイナルステージ進出を決めたと同時に第2戦で菅野がCS史上初ノーヒットノーランを達成した。ファイナルステージでは広島と対戦するも、投打に振るわず、3連敗でファイナルステージ敗退となった。オフに杉内、[[脇谷亮太]]、[[山口鉄也]]、[[西村健太朗]]、[[寺内崇幸]]といった2度の連覇を支えた選手が現役を引退した。また、[[中井大介]](DeNAに移籍)、[[廖任磊]](西武に移籍)らが戦力外となり、マギー、カミネロの両外国人の退団も発表された。
 
この年は平成最後のペナントレースだったため巨人は現存12球団の中で西武と共に「平成時代に1度もリーグ最下位を経験しなかった球団」となった<ref>{{Cite web|和書|title=読売ジャイアンツ、歴代監督・シーズン順位変遷一覧 (3ページ目〜)|url=https://spwww.baseball.findfriendsbaseballchannel.jp/teamnpb/result90510/%E5%B7%A8%E4%BA%BA3/ |title=読売ジャイアンツ|website=週刊ベースボール ONLINEチャンネル|publisherdate=ベースボール・マガジン社2022-10-02|accessdate=2024-05-0310|publisher=カンゼン}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=埼玉西武ライオンズ、歴代監督・シーズン順位変遷一覧 (2ページ目〜)|url=https://spwww.baseball.findfriendsbaseballchannel.jp/teamnpb/result90781/%E8%A5%BF%E6%AD%A62/ |title=埼玉西武ライオンズ|website=週刊ベースボール ONLINEチャンネル|publisherdate=ベースボール・マガジン社2022-10-02|accessdate=2024-05-0310|publisher=カンゼン}}</ref>。
 
==== 第3次原監督時代 ====