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超プロ住民 (会話 | 投稿記録)
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[[宋 (王朝)|宋]]の[[畢再遇 (王朝)|畢再遇]]の軍が[[金 (王朝)|金]]軍と対陣したが、金の兵員は日に日に増員されてゆき、戦を仕掛けられないほどの圧倒的な人数差となってしまった。畢再遇は退くことを決め、ある日、旗を陣地に残したままとして(※旗は大量に並べられているのが常)、羊を縛ってつるして前足を太鼓の上に置かせて羊が足をばたつかせると太鼓がなるように細工した上で、突如全軍退却させた。金軍は太鼓の音がして旗がそのままであるため、宋の陣地がもぬけの殻であることに数日間気づかず、気づいて追撃しようとしたときには、宋軍ははるか彼方であった(出典、[[戦略考]])。
 
漢楚戦争の頃、[[劉邦]]は[[項籍|項羽]]に勝てなかった。項羽が個人の武勇も軍を率いても圧倒的に強かったためである。このため劉邦は城に籠って項羽を引きつけておいて、別働隊の[[韓信]]が諸国を平定する策を用いた。城を落とされそうになれば本拠地まで逃げ帰り、楚の後方で[[彭越]]にゲリラ活動をさせ、その対応のために項羽が戻れば進出して再び籠城し、ロクに戦わなかった。業を煮やした項羽が人質にしていた劉邦の父親[[劉太公]]を引き出し「劉邦よ、出てこないならば父親を煮殺すぞ」と言ったが、劉邦は「お前とはかつて義兄弟の契りを結んだから、お前にとっても父親になる。煮汁を一杯分けて貰いたいものだ」と返した。項羽が「天下が騒がしいのは、ひとえに我ら二人のためである。二人だけで決着を付けようではないか」と言ったのには、笑って「ワシは知恵では争うが、力では争わん」と流した。そうしている間に、韓信の征伐が成功。楚とのパワーバランスを逆転させて、その勢いで最後の1戦を勝利し項羽を自刎させた。
 
== 脚注 ==