明知陣屋

江戸時代に岐阜県恵那市にあった陣屋

これはこのページの過去の版です。60.108.235.8 (会話) による 2022年10月18日 (火) 22:14個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

明知陣屋(あけちじんや)は、江戸時代美濃国恵那郡明知(現在の岐阜県恵那市明智町)にあった旗本明知遠山氏陣屋

概要 

江戸幕府成立後に、明知遠山氏は参勤交代をする旗本(交代寄合)となった。

元和元年(1615年遠山方景の代に江戸幕府の命により明知城を廃城として、明知城西麓の大手門近くに陣屋を築いた。

延宝6年(1678年)旗本になって5代目の遠山伊清の代に、交代寄合ではなく、江戸定府の旗本とされたため、以降は陣屋を代官の村上氏に任せて版籍奉還に至った。

現在陣屋跡地には村上氏の屋敷と土蔵が残っている。

知行所

  • 美濃国恵那郡-5,401石5斗6升9合
    • 明知村・高波村・峰山村・馬坂村・落倉村・小杉村・馬木村・門野村・杉平村・野志村・上手向村・久保原村・下手向村・釜屋村・原村・田代村・猿爪村・吉良見村・小泉村・大船村・上田村・大栗村・田良子村・阿妻村・一色村・颪村・柏尾村・岩竹村・安主村・土助村・才坂村・浅谷村・須淵村・野原村の中の(一色村・上切村・上中切村・中切村・下切村・島崎村)
    • ※浅谷村・須淵村・野原村は、現在は愛知県豊田市旭町の一部となっている。
  • 美濃国土岐郡-1,130石8斗8升4合
    • 小里村の中の羽広村・山田村の中の曾木村・猿子村の中の一部・戸狩村の一部

参考文献

  • 旗本明知遠山氏 明知御陣屋 乾(熊谷博幸編集・発行 平成22年)
  • 旗本明知遠山氏 明知御陣屋 坤(熊谷博幸編集・発行 平成22年)

脚注

関連項目