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[[1532年]](天文元年)に16歳で元服すると、[[日根野弘就]]に従い手勢300を与えられて初陣を飾って<ref name="kaneyamachoshi masayoshinooitachi"/>、道三と敵対する[[土岐頼純]]方との合戦に活躍する。道三が東濃の足掛かりとして可児郡中井戸村の南の高山(古城山)山頂に「掻上げ」の城を築くと、兵力2,000の将としてその城に置かれた<ref name="kaneyamachoshi masayoshinooitachi"/>。
 
[[1537年]](天文6年)、近辺の14諸将の協力を得て[[金山城 (美濃国)|烏峰城]]を築城するが、これは道三の背景あってのものと推定される。翌年の[[1538年]](天文7年)に正義はこの新城に入城すると、大納言を自称した。このことは室町中期のに始まる持是院家の惣領としての自覚があったからである<ref>横山住雄「斎藤大納言と「今枝氏古文書等写」について」(『岐阜史学』78号、1984年)</ref>
 
[[1539年]](天文8年)8月、画工に命じて等身大の甲冑姿の肖像を書かせたが、これは浄音寺(現・[[可児市]]兼山。正義開基という)に現存し、[[恵那郡]]岩村[[大圓寺 (恵那市)|大圓寺]]住持[[明叔慶浚]]の讃がある<ref>{{Cite book |和書|last= |first= |author= 兼山町史編纂委員会|authorlink= |coauthors= |year= 1972|title= 兼山町史|publisher= 兼山町|location= |page= 59|id= |isbn= |chapter= 斉藤正義鳥峰城創築}}</ref>。