「板橋 (小田原市)」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[北条氏康]]が小田原を治めていた頃に、この地域の早川から取水し[[小田原城]]下へ水を引き入れる公共水道「[[小田原早川上水]]([[小田原用水]])」が作られた。この地域のその水上に、板の橋がかかっていたことから、この地域は板橋村と呼ばれるようになった。
 
板橋村は、小田原府内と境を接していたことから、小田原城防衛のため、東海道の境界上には「板橋[[見付|見附]]」が置かれ、[[1589年]]には、府内との境界に、土塁と空堀の囲いからなる総延長約9kmの「小田原大外郭」が築かれた。また、寺院の塀が城の防御壁としても利用できることから、地域内に多くの寺社仏閣が点在するといわれている。