北条氏時

日本の戦国時代の武将。戦国大名伊勢盛時(北条早雲)の次男と伝わり、玉縄北条家初代当主。相模玉縄城主を勤めた

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北条 氏時

北条氏時 (玉縄北条家)

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時代 戦国時代
生誕 生年不評
死没 享禄4年8月19日1531年9月29日))
改名 伊勢新六郎、北条氏時
戒名 大虚院殿翁宗達大禅定門
官位 佐馬助
主君 北条氏綱
氏族 伊勢氏後北条氏桓武平氏
父母 伊勢盛時(北条早雲)
兄弟 氏綱氏時葛山氏広長綱(幻庵)
長松院殿(三浦氏員室)

北条 氏時(ほうじょう うじとき、? - 享禄4年8月19日1531年9月29日))は、戦国時代室町時代後期)の武将伊勢盛時(北条早雲)の次男。初代玉縄城主。幼名、新六郎。官途名は佐馬助。

1526年安房里見義豊相模国鎌倉に乱入してきた際、戸部川で迎撃して没した。戦後両陣営で首を交換し、それを埋め弔うために建てた供養塔(玉縄首塚)が残る。法名は大虚院殿翁宗達大禅定門。供養は今日も毎年「玉縄史蹟まつり」として継承されている。生年は不明だが、本当に早雲の次男ならば、兄氏綱(1487年)から弟長綱(幻庵・1493年、一説に1501年)までの間という事になる。

北条氏時 (紀州藩家臣)

北条 氏時(ほうじょう うじとき、生没年不詳)は、紀州徳川家家臣。戦国時代武将である北条氏の第4代当主北条氏政の6男北条直定(氏定)の嫡子。

父の直定は小田原落城後、徳川家康の家臣となり、紀州徳川家に仕えた。氏時は父の跡を継ぎ、引き続き紀州徳川家家臣となる。

北条 氏時(ほうじょう うじとき、生没年不詳)は、仙台藩士。戦国時代武将後北条氏第5代目北条氏直の嫡男である北条氏次の庶子で仙台藩に仕官した。伝承によれば、氏時の代から姓を「桑島」と改めた、とされている。

物語に登場する北条氏時

なお、歌舞伎演目「本朝廿四孝」内に「足利将軍義晴の頃、信濃村上義清と組んで行動する"小田原の太守北条氏時"」なる登場人物があるが、これは実在しない。

参考文献

  • 黒田基樹『戦国 北条一族』(新人物往来社、2005年) ISBN 440403251X