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Donaishot (会話 | 投稿記録)
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=== 近現代 ===
[[明治]]末以降には、[[北海道]]・[[樺太]]などの開拓に伴い[[アイヌ]]民族を公式に「旧土人」と称した。[[1899年]](明治32年)([[北海道旧土人保護法]])(「旧土人」は土人の派生語として「旧の土人」と解釈する場合のほか、「旧土の人」と解釈する意見もある)<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=105804889X02119680509 1968年5月9日衆議院内閣委員会での厚生省社会局保護課長曾根田郁夫答弁] </ref>。新札幌市史によると元々の住民アイヌ民族を旧土人、開拓者を新土人と概念上区分し、旧土人が官庁用語として残ったとある{{Refnest|group="注"|海保洋子『近代のアイヌ民族史』(アイヌ文化振興・研究推進機構)<ref>{{Cite web|和書|author=海保洋子(新札幌市史編集長)|title=近代のアイヌ民族史 |url=http://www.frpac.or.jp/about/files/sem1312.pdf |format=PDF |publisher=公益財団法人 アイヌ文化振興・研究推進機構 |accessdate=2016-11-15 }}{{リンク切れ|date=2020年7月7日}}</ref>より。「「古民」、「土人」は土地の人という意味で本州で古くから使われているのですが、それを「旧土人」に呼称を統一します。なぜ「旧土人」かということを申しますと、近世の呼称の「土人」を「旧土人」にしたわけです。では、「新土人」は誰かといったら、開拓民たちが相当するのですが、もちろん「新土人」という言葉の使われ方はありません。」}}。
 
江戸時代の民も[[居住移転の自由|移転の自由]]、[[職業選択の自由|職の選択の自由]]は制限され働く場所も[[一所懸命の土地]]とされていた。幕末~開国以降は日本国内と同じく[[植民地主義|植民地]]でも現地の民を土人と呼称したが、外地では日本人と支配階層であった欧米列強側の市民を土人と呼ぶことはなく、次第に植民地の有色人種を意味するようになった。列強各国と共に行った[[植民地]]政策やそれ以前に繰り広げられた[[奴隷貿易]]の影響により植民地側を経済的に困窮させ激しく疲弊させながら、その窮状を植民地側の未開性や文明の遅れによるものと錯誤したため未開の意や[野蛮<ref>https://www.lib.hit-u.ac.jp/pr/reading/tz/html/tz_016.html{{リンク切れ|date=2024-03}} 野蛮]</ref>という偏見が加わった。
 
現在の辞書の第一語義は土着の人。[[1891年]](明治24年)冨山房の「[[言海]]」、[[1907年]](明治40年)三省堂の「辞林」、[[1914年]](大正3年)三省堂の「[[辞海 (三省堂)|辞海]]」、[[1917年]](大正6年)冨山房の「大日本国語辞典」では土着(土著)の人や土偶(土人形)の意味であったが、1920年(大正9年)啓成社のベストセラー「大字典」の第二語義は「野蠻の民」、[[1925年]](大正14年)田中宋栄堂の「新式大辞典」では「土着のものでまだ開化せない人」が加わる。言海の著者[[大槻文彦]]没後に出版された1934年(昭和9年)冨山房の「[[言海|大言海]]」では「原始的生活ヲ榮メル土着ノ人種」が加わるが、他の辞典は概ね従来の意味での掲載であった。
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[[1973年]](昭和48年)三省堂の「[[広辞林]]第5版」では「~蛮人」が第一語義となる。[[1975年]](昭和50年)小学館の「[[日本国語大辞典]]」では「特に、黒色人種をいう」が加わる<ref>{{Cite |date=1980年(昭和55年)10月20日 |title=日本国語大辞典 |edition=縮小版第1版第1刷 |publisher=小学館 |volume=7 }}</ref>。[[1983年]](昭和58年)岩波書店の「広辞苑第3版」は第2版1969年(昭和48年)の原始的~から「未開~軽侮の意~」へ更新、[[1990年]](平成2年)講談社の「[[日本語大辞典]]」では「natives」「uncivilized」が添えられ、[[2001年]](平成2年)集英社の「広辞典」では「未開の民の'''俗称'''」と解説された。
 
一方、語源である漢語および現代中国語圏での土人の意味は、日本語圏での当初の語義とほぼ重なり、「土偶」「土署(有城郭可居、不隨使遷移)」<ref>{{Cite |date=中華民国74年(1985年)|title=大辭典 |publisher=三民書局股份有限公司 |pages=857 }}</ref>、「世代居住的本地的人」「本国人」「泥塑匠人」「土工」<ref>{{Cite |date=2001 |title=漢語大詞典 |edition=2 |publisher=漢語大詞典出版社 |isbn=7543200163 }}</ref>を意味する。 土人設計<ref>[http://www.turenscape.com/about/index.html 北京土人城市規划設計有限公司(土人設計)]</ref>なる企業があるなどネガティブな意味ではない
 
==== 戦前の用例 ====
江戸時代の民も[[居住移転の自由|移転の自由]]、[[職業選択の自由|職の選択の自由]]は制限され働く場所も[[一所懸命の土地]]とされていた。幕末~開国以降は日本国内と同じく[[植民地主義|植民地]]でも現地の民を土人と呼称したが、外地では日本人と支配階層であった欧米列強側の市民を土人と呼ぶことはなく、次第に植民地の有色人種を意味するようになった。列強各国と共に行った[[植民地]]政策やそれ以前に繰り広げられた[[奴隷貿易]]の影響により植民地側を経済的に困窮させ激しく疲弊させながら、その窮状を植民地側の未開性や文明の遅れによるものと錯誤したため未開の意や[https://www.lib.hit-u.ac.jp/pr/reading/tz/html/tz_016.html 野蛮]という偏見が加わった。
大和民族に対して使用する例
 
==== 用例 ====
日本国内の「現地の人びと」「土着の人」を意味する用例としては、
{{Quote|土人の説に此より北国道へ少し入りて松間なりといふ。|[[森鷗外]]|『伊沢蘭軒』<ref group="青">森鴎外『[[伊沢蘭軒]]』([http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2084.html 青空文庫])</ref>}}
{{Quote|『四神地名録』多摩郡喜多見村条下に「この村に蛇除よけ伊右衛門とて、毒蛇に食われし時に呪いをする百姓あり、この辺土人のいえるには、蛇多き草中に入るには伊右衛門伊右衛門と唱えて入らば毒蛇に食われずという、守りも出す。|[[南方熊楠]]|『猪に関する民俗と伝説』<ref group="青">南方熊楠『[http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/card2542.html 十二支考 10 猪に関する民俗と伝説]』(青空文庫)</ref>}}
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{{Quote|鈍重にして威儀ある、純然たる仙台弁を用うることを貴しとしているが、もちろん、軽快なる江戸弁は、用いようとしても用いられないにきまっているが、その模倣の軽薄を避けることが土人の品格となっている。|[[中里介山]]|『[[大菩薩峠]] 白雲の巻』1934年(昭和9年)<ref name=":5" group="青">中里介山『[http://www.aozora.gr.jp/cards/000283/card4510.html 大菩薩峠 白雲の巻]』(青空文庫)</ref>}}
 
日本国内海外の「現地の人びと」「土着の人」を意味する用例としては、(ネガティブなもの含む)
{{Quote|「……『何で』考えると言おうとも、結局それを材料として、ヨーロッパ体制が教育してくれた理論を復習しているのがお前さんがた文化人。オイら土人は材料も考える道すじも、すべて手作り、結論も手作り」| 高原健吉 | 土人のことばと民衆の論理[[1973年]](昭和48年)<ref>
{{Cite journal |author=高原健吉 |date=1973 |title=土人のことばと民衆の論理 |publisher=思想の科学社 |journal=思想の科学 |volume=6 |issue=22 |pages=32 }}</ref> }}
{{Quote|東京人は、故郷がないなどといわれますが、ほんとうの東京人は、言葉だって昔の人は立派に訛りもありましたから、
私は「東京土人」とか「東京原人」とか呼んでいたものです。|[[曽野綾子]]| 「いい人」をやめると楽になる,[[2002年]](平成14年)<ref>{{Harvnb|曽野|2002|p=}} {{要ページ番号|date=2020年7月1日}}</ref>}}
{{Quote|『新撰武蔵風土記稿』には「土人曰く」と書いてあります。地誌研究をしている侍が地域に行って土地の人にヒアリングするのですが、それを「土人曰く」と表現するのです。土人というのは今は差別語のようになっていますが、それは単に土地の人という意味なんです。私の親族は多摩地域にしか住んでいませんので、自分のことを「多摩土人」と称してずっと地域のことを研究しています。|鈴木泰|第14回里川文化塾 大久保長安・八王子の治水とまちづくり,[[2013年]](平成25年)<ref>{{Cite web|和書|author=鈴木泰 |date=2013-09 |title=第14回里川文化塾 大久保長安・八王子の治水とまちづくり |url=http://www.mizu.gr.jp/bunkajuku/houkoku/014_20130907_nagayasu.html |publisher=ミツカン水の文化センター事務局 |accessdate=2016-11-06 }}</ref>}}などがある。
 
海外の「現地の人びと」「土着の人」を意味する用例
{{Quote|「又「ポリネシヤ」群島土人の間にては、日月を天の両眼とも双児とも云い、東「ポリネシヤ」に於ては、最高神ヴテアの両眼は、同時に之を見得ること甚だ罕に、其一は上界に輝きて、人間界にては之を太陽と呼び、其一は下界に輝きて、之を太陰と称すと云い、或は此神の右眼は日にして、其左眼は月なりとも云う。
|高木敏雄|『比較神話学』,[[1904年]](明治37年)<ref group="青">{{Cite |和書 |author=高木敏雄 |date=1904年(明治37年)|title=比較神話学 |url=http://www.aozora.gr.jp/cards/001191/card55276.html |publisher=青空文庫 }}</ref>}}
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{{Quote|「わからんさ。沖縄人でないのかね」「内地人か?」……「ならば、土人か」……土人というのはチャモロ人とカナカ人のことです。もともとこのあたりの島に住んでいて、このマリアナ群島の土着がチャモロ、もっと遠いカロリン諸島の原住民がカナカ。|[[池澤夏樹]]|『カデナ』,[[2009年]](平成21年)<ref>{{Harvnb|池澤|2009|p=}} {{要ページ番号|date=2020年7月1日}}</ref>}}
 
「天竺国民と成りし各蕃土人の種族と宗教習慣の根本<ref name=NDL-Dc_pid81501088>{{Cite web|和書|editor=加古義一ほか編 |date=1889年〈明治22年〉1月 |title=婆羅門教論 : 仏教起原 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815010/88 |publisher=清水久次郎 |website=[[国立国会図書館]] |work=[[国立国会図書館#国立国会図書館デジタルコレクション|国立国会図書館デジタルコレクション]] |accessdate=2020-07-07 }}</ref>」「亜米利加の土人インデヤン<ref name=NDL-Dc_pid76734386>{{Cite web|和書|author=赤峰瀬一郎 |date=1886年〈明治19年〉10月 |title=米国今不審議 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/767343/86 |publisher=実学会英学校 |website=国立国会図書館 |work=国立国会図書館デジタルコレクション |accessdate=2020-07-07 }}</ref>」 「阿剌伯(アラブ)土人の一揆<ref name=NDL-Dc_pid76726035>{{Cite web|和書|author=[[吉田正春]] |date=1894年〈明治27年〉4月 |title=波斯之旅 : 回疆探検 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/767260/35 |publisher=[[博文館]] |website=国立国会図書館 |work=国立国会図書館デジタルコレクション |accessdate=2020-07-07 }}</ref>」等がみられる。
 
===== 中国 =====
漢語圏でモダンな使用例;
{{Quote|土人理念 (Earth-man,natives)|北京土人城市規划設計有限公司(土人設計)|[http://www.turenscape.com/about/index.html TURENSCAPE HP]}}
 
==== 否定的用例 ====
===== 戦前 =====
{{Quote|亜非利加アフリカの土人に智識少なし、ゆえに未だ文明の域に至らず。|[[福澤諭吉]]|『[[文明教育論]]』[[1889年]](明治22年)<ref group="青">福澤諭吉『[http://www.aozora.gr.jp/cards/000296/card50553.html 文明教育論]』1889年(明治22年)(青空文庫)</ref>}}
 
{{Quote|恰もアイオー洲のスウ土人が......斯の意味に於て今日の文明人は恰もチェラデルヒーゴの土人が......徳にして、移住の際にブラジル土人が......土偶を恐怖するは南洋の土人部落にして東洋の土人部落中亦之を爭奪して......即ち、今日の憲法國の大日本天皇陛下に非らずして、國家の本質及び法理に對する無智と、神道的迷信と、奴隷道徳と、顛倒せる虚妄の歴史解釋とを以て捏造せる土人部落の土偶なるなればなり。......彼の文科大學長文學博士[[井上哲次郎]]氏の如きこの土人の酋長なりとす。......國家社會黨の領袖山路愛山氏の如き其の土人的歴史家|[[北一輝]]|[[国体論及び純正社会主義]] ([https://web.archive.org/web/20161025181023/http://www.geocities.jp/osaka_multitude_p/gakushuu_bunken/kitaikki/kokutairon_oyobi_junseishakaishugi.html 1906])}}
 
このほか、「天竺国民と成りし各蕃土人の種族と宗教習慣の根本<ref name=NDL-Dc_pid81501088>{{Cite web|和書|editor=加古義一ほか編 |date=1889年〈明治22年〉1月 |title=婆羅門教論 : 仏教起原 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815010/88 |publisher=清水久次郎 |website=[[国立国会図書館]] |work=[[国立国会図書館#国立国会図書館デジタルコレクション|国立国会図書館デジタルコレクション]] |accessdate=2020-07-07 }}</ref>」「亜米利加の土人インデヤン<ref name=NDL-Dc_pid76734386>{{Cite web|和書|author=赤峰瀬一郎 |date=1886年〈明治19年〉10月 |title=米国今不審議 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/767343/86 |publisher=実学会英学校 |website=国立国会図書館 |work=国立国会図書館デジタルコレクション |accessdate=2020-07-07 }}</ref>」 「阿剌伯(アラブ)土人の一揆<ref name=NDL-Dc_pid76726035>{{Cite web|和書|author=[[吉田正春]] |date=1894年〈明治27年〉4月 |title=波斯之旅 : 回疆探検 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/767260/35 |publisher=[[博文館]] |website=国立国会図書館 |work=国立国会図書館デジタルコレクション |accessdate=2020-07-07 }}</ref>」等がみられる。
===== 戦後 =====
 
* 左派論客の中にも否定的な意味での使用が見られる。
==== 否定的戦後の用例 ====
戦後は(ネガティブな)比喩を含んだものが多くなる。原義では差別的意味合いはなかったとして「土人」擁護論もある<ref>{{Cite web|和書|author=鈴木泰 |date=2013-09 |title=第14回里川文化塾 大久保長安・八王子の治水とまちづくり |url=http://www.mizu.gr.jp/bunkajuku/houkoku/014_20130907_nagayasu.html |publisher=ミツカン水の文化センター事務局 |accessdate=2016-11-06 }}</ref>。
 
{{Quote|「……『何で』考えると言おうとも、結局それを材料として、ヨーロッパ体制が教育してくれた理論を復習しているのがお前さんがた文化人。オイら土人は材料も考える道すじも、すべて手作り、結論も手作り」| 高原健吉 | 土人のことばと民衆の論理[[1973年]](昭和48年)<ref>
{{Cite journal |author=高原健吉 |date=1973 |title=土人のことばと民衆の論理 |publisher=思想の科学社 |journal=思想の科学 |volume=6 |issue=22 |pages=32 }}</ref> }}
{{Quote|東京人は、故郷がないなどといわれますが、ほんとうの東京人は、言葉だって昔の人は立派に訛りもありましたから、
私は「東京土人」とか「東京原人」とか呼んでいたものです。|[[曽野綾子]]| 「いい人」をやめると楽になる,[[2002年]](平成14年)<ref>{{Harvnb|曽野|2002|p=}} {{要ページ番号|date=2020年7月1日}}</ref>}}
{{Quote|昨年の九月このかた、連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、自分はなんという「土人」の国にいるんだろうと思ってゾッとするばかりです。|[[浅田彰]]|「文學界」1989年2月 <ref>{{Cite journal |author=柄谷行人 |author2=浅田彰 |date=1989-02 |title=昭和精神史を検証する |publisher=[[文藝春秋]] |journal=文學界 |volume=43 |issue=2 |pages=72 }}</ref> }}
{{Quote|柄谷: でも、あの「土人」というのは北一輝の言葉なんだよ(笑)。 中上: まあ、土人というのは悪い言葉じゃないですよ。一見、文脈で言うと悪い言葉に見えるけれど、土人というのは悪くないんですよ。いい言葉だと思います。|[[柄谷行人]],[[中上健次]]|「國文學」1991年12月号 {{Sfnp|柄谷|中上|2011|p=205}} }}
 
{{Quote|去年の(東日本大)地震を見たあとくらいから、なんだかすっかり「ああ、土人なんだな」という言葉がふっと頭に浮かんだわけです。「土人」という言葉の中にいろんな意味を込めたんだけれども。|[[大塚英志]]|『日本は民主主義社会ではない』 大塚英志×宮台真司 対談全文(前)』2012年2月5日 <ref name="ガ通_20120205">{{Cite web|和書|date=2012-02-05 |title=「日本は民主主義社会ではない」 大塚英志×宮台真司 対談全文(前)- ニコニコニュース |url=http://getnews.jp/archives/166548 |publisher=[[ガジェット通信#東京産業新聞社|東京産業新聞社]] |work=[[ガジェット通信]] |accessdate=2020-07-07 }}</ref> }}
 
* 2016年10月公務中の[[大阪府警]][[機動隊]]員の一人が[[高江ヘリパッド問題|沖縄米軍北部訓練場ヘリパッド移設工事]]反対派に対して「土人」と発言し、問題とされた([[高江ヘリパッド問題]])<ref>「[http://ryukyushimpo.jp/news/entry-378325.html 翁長知事「言語道断」 「土人」発言、機動隊撤収にも言及]」琉球新報 2016年10月21日閲覧。{{リンク切れ|date=2020年6月28日}}</ref><ref name="沖縄T_20161019">{{Cite news |和書 |date=2016-10-19 |title=<機動隊「土人」発言>翁長知事が不快感 「言語道断」|url=https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/67311 |publisher=沖縄タイムス社 |newspaper=[[沖縄タイムス]] |accessdate=2020-06-28 }}</ref><ref name="朝日_20161021">{{Cite news |和書 |date=2016-10-21 |title=「土人発言「侮蔑的な意味知らなかった」 機動隊員に戒告 |url=https://www.asahi.com/articles/ASJBP4RX0JBPPTIL01K.html |publisher=[[朝日新聞社]] |newspaper=[[朝日新聞デジタル]] |accessdate=2020-06-28 }}</ref>。この発言に対して[[鶴保庸介]][[内閣府特命担当大臣]](沖縄及び北方対策)は「ことさら我々がこれは人権問題だと考えることではない」、「『土人である』と言うことが差別であるとは個人的に断定できない」と述べた。一方で、当時の法相である金田勝年は「土人」は差別用語であるとの認識を示した<ref>{{Cite web|和書|url = https://archive.ph/TOOSP|title = 「土人」は差別用語 金田法相が認識示す|website = www.okinawatimes.co.jp|publisher = 沖縄タイムス|date = 2016-10-25|accessdate = 2022-06-04}}</ref>。沖縄の地元新聞である[[沖縄タイムス]]は「本土側の沖縄蔑視、差別はこれまでもたびたび繰り返されてきた。1903年には大阪で開かれた博覧会で、沖縄女性2人を「展示」した「[[人類館事件]]」があり、[[沖縄戦]]では日本兵による住民虐殺や「集団自決」(強制集団死)があった。」と報じた<ref name="沖縄T_20161020">{{Cite news |和書 |date=2016-10-20 |title=「土人」発言は何が問題なのか 大阪で沖縄女性らが見せ物にされた人類館事件 |url=http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/67368 |publisher=沖縄タイムス社 |newspaper=沖縄タイムス |accessdate=2016-10-26 }}</ref>。
===== 中国批判 =====
* [[栗原裕一郎]]は浅田彰の土人発言について疑問を呈している<ref>[https://corporate.mainet-works.com/heisei-history/interview/13.html 1億人の平成史 栗原裕一郎さんの「平成の論壇:ニューアカの呪縛」(1)]</ref>。
* 2016年10月公務中の[[大阪府警]][[機動隊]]員の一人が[[高江ヘリパッド問題|沖縄米軍北部訓練場ヘリパッド移設工事]]反対派に対して「土人」と発言し、問題とされなった([[高江ヘリパッド問題]])<ref>「[http://ryukyushimpo.jp/news/entry-378325.html 翁長知事「言語道断」 「土人」発言、機動隊撤収にも言及]」琉球新報 2016年10月21日閲覧。{{リンク切れ|date=2020年6月28日}}</ref><ref name="沖縄T_20161019">{{Cite news |和書 |date=2016-10-19 |title=<機動隊「土人」発言>翁長知事が不快感 「言語道断」|url=https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/67311 |publisher=沖縄タイムス社 |newspaper=[[沖縄タイムス]] |accessdate=2020-06-28 }}</ref><ref name="朝日_20161021">{{Cite news |和書 |date=2016-10-21 |title=「土人発言「侮蔑的な意味知らなかった」 機動隊員に戒告 |url=https://www.asahi.com/articles/ASJBP4RX0JBPPTIL01K.html |publisher=[[朝日新聞社]] |newspaper=[[朝日新聞デジタル]] |accessdate=2020-06-28 }}</ref>。この発言に対して[[鶴保庸介]][[内閣府特命担当大臣]](沖縄及び北方対策)は「ことさら我々がこれは人権問題だと考えることではない」、「『土人である』と言うことが差別であるとは個人的に断定できない」と述べた。一方で、当時の法相である金田勝年は「土人」は差別用語であるとの認識を示した<ref>{{Cite web|和書|url = https://archive.ph/TOOSP|title = 「土人」は差別用語 金田法相が認識示す|website = www.okinawatimes.co.jp|publisher = 沖縄タイムス|date = 2016-10-25|accessdate = 2022-06-04}}</ref>。沖縄の地元新聞である[[沖縄タイムス]]は「本土側の沖縄蔑視、差別はこれまでもたびたび繰り返されてきた。1903年には大阪で開かれた博覧会で、沖縄女性2人を「展示」した「[[人類館事件]]」があり、[[沖縄戦]]では日本兵による住民虐殺や「集団自決」(強制集団死)があった。」と報じた<ref name="沖縄T_20161020">{{Cite news |和書 |date=2016-10-20 |title=「土人」発言は何が問題なのか 大阪で沖縄女性らが見せ物にされた人類館事件 |url=http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/67368 |publisher=沖縄タイムス社 |newspaper=沖縄タイムス |accessdate=2016-10-26 }}</ref>。
 
== 規制 ==