太田氏房

戦国武将。

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太田 氏房おおた うじふさ永禄8年(1565年) - 文禄元年4月28日1592年6月7日))は、後北条氏の一族。第4代当主・北条氏政の三男で、北条氏直の弟。

幼名は菊王丸。十郎。岩付城主・太田氏資1567年に戦死したため、その娘を娶って太田氏の家督を継ぎ、太田氏房と称した。1590年豊臣秀吉小田原征伐では居城の岩槻城は家臣に守らせ、自分は小田原城に籠城した。ちなみに岩付城は、小田原城開城に先立って5月20日に陥落した。

北条氏滅亡後、兄・氏直と共に高野山で蟄居した。その後、寺沢広高預かりとなって肥前国に移され、そこで1592年に死去した。