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慶長5年(1600年)[[関ヶ原の戦い]]の前哨戦の[[東濃の戦い]]で、光明の子・[[小里光親|光親]]は小里城に入り、[[遠山利景]]・[[遠山方景 (旗本)|方景]]父子らとともに[[明知城]]を攻めてこれを奪還し、その後[[岩村城]]を開城させた。
 
この功によって光親は同年[[土岐郡]]の一部と[[恵那郡]]の大川村と水上村の旧領3,580石を再び与えられ[[旗本]]となり、小里城近くに[[小里陣屋]]を築いた。
 
しかし光親の子・[[小里光重|光重]]は嗣子がないまま[[元和 (日本)|元和]]9年([[1623年]])に亡くなったため、小里氏は断絶した。