小笠原家長

室町時代後期の武将。信濃国の松尾小笠原家当主

これはこのページの過去の版です。61.113.212.127 (会話) による 2009年11月19日 (木) 01:02個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

小笠原 家長(おがさわら いえなが、生年不詳 - 文明12年(1480年))は、戦国時代武将。松尾小笠原家(信濃小笠原氏)当主。信濃松尾城主。父は信濃守護小笠原光康。子に貞基

 
小笠原 家長
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 文明12年(1480年
氏族 小笠原氏
父母 光康
貞基
テンプレートを表示

応仁元年(1467年)からの応仁の乱では東軍側に付く。文明5年(1473年)、家長は室町幕府の命により、木曽家豊とともに東美濃へ攻め、土岐氏の居城・大井城荻島城を攻め落とす。『小笠原文書』によると武田兵庫助を介して、

『小笠原文書』によると文明10年(1478年)、尾張守護代であった織田敏定の要請で美濃国を牽制するため、援軍を送っている。

小笠原家当主の家督を巡り、従兄の信濃守護・小笠原政秀と対立し、文明12年(1480年)、政秀に討たれた。