削除された内容 追加された内容
凡声庵 (会話 | 投稿記録)
日本初の上水施設は高松藩で作られたという内容を追加。
凡声庵 (会話 | 投稿記録)
高松の上水道敷設、年号の間違いを訂正
102行目:
水道のルーツは[[古代]][[地中海]]沿岸諸国とされる。当初は、深いところにある[[井戸]]の水を遠くに運ぶための[[水路]]であったと考えられている。[[古代ローマ|古代ローマ人]]は後世「[[ローマ水道]]」と呼ばれることになる巨大なネットワークを構築したが、[[中世]]以後衰微する。
 
日本では、[[16世紀]]半ば、[[北条氏康]]の小田原支配時に[[早川 (神奈川県)|早川]]から水を引き、[[小田原城]]下に飲用として供した[[小田原早川上水]]が最古の水道と考えられている。[[豊臣秀吉]]の[[小田原征伐]]に参陣した諸大名たちは、この上水を見て、自領の上水開設の参考にしたものと考えられている<ref>石井啓文『小田原の郷土史再発見』夢工房、[[2001年]]。</ref>。[[徳川家康]]もその一人で、[[1600年]]頃の[[江戸]]の都市建設のために[[井之頭池]]から引いた[[神田上水]]をはじめ、その後、[[玉川上水]]、[[千川上水]]などが江戸の町に引かれていった(後に[[青山上水|青山]]・[[本所上水|亀有]](本所)・[[三田用水|三田]]の3つを加えて[[江戸の六上水|「六上水」]]と称した)。現代から見れば、浄水施設や各戸給水がないという問題点があったものの、当時世界でもっとも進んだ設備を有していた。日本で最初に本格的都市型、埋設式上水道を敷設したのは、讃岐[[高松藩]]と言われている。藩主[[松平頼重]]は、[[玉川上水]]より9年早い[[正保元年寛永]]21年(1644年)、[[矢延平六]]に命じて、高松城下に、配水枡・配水管を地中に埋設した本格的な上水道を敷設している。日本で現在も使われている最古の水道は、[[熊本県]][[宇土市]]に在る[[轟水源]]を水源とする[[轟泉自然公園#轟泉水道|轟泉水道]]で[[宇土藩]]初代藩主[[細川行孝]]が造り[[寛文]]3年([[1663年]])に完成したものである。始めは丸い[[土管]]の[[水道管]]で造られていたが、完成後100年程して6代目藩主[[細川興文]]のとき丈夫で長持ちする石の水道管に改修され今日に至る。
 
水道の近代化は[[1787年]]の[[パリ]]で蒸気式揚水用ポンプが使われ、[[1829年]]に[[ロンドン]]で[[砂濾過池]]による浄水設備の設置以降のことであり、鉄製パイプによる[[水道管]]の開発など[[19世紀]]の[[ヨーロッパ]]で急速に発達した。