削除された内容 追加された内容
m 記述移動
m Bot: 節名称変更に伴うリンク修正 (紙幣関連) - info
38行目:
表面には[[彫刻家]]の[[高村光雲]]や[[後藤貞行]]らにより製作され、[[1900年]](明治33年)に[[東京都]][[千代田区]]の皇居前広場に建てられた楠木正成の[[騎兵|騎馬]]姿の[[銅像]]が、上から[[光線]]が降り注ぐ光景の地模様と共に描かれている{{Sfn|植村峻|2015|pp=177-181}}。また輪郭上部には[[彩雲|瑞雲]]が配されている{{Sfn|植村峻|2015|pp=177-181}}。裏面は下部に[[キリ|桐]]があしらわれている他は彩紋模様のみであるが、印刷部分は[[楕円]]形の小さめのものとなっており、周囲は印刷のない空白が広がっている{{Sfn|植村峻|2015|pp=177-181}}。なおアラビア数字による額面表記はあるが、英語表記はなされていない。このデザインは、当初政府小額紙幣の十銭紙幣として準備が進められていたものを転用したものである<ref name="kanri192"/>。
 
[[透かし]]はい拾錢券等と共通の白透かしによる桐の図柄のちらし透かしであるが{{Sfn|植村峻|2015|pp=177-181}}、紙質や製作が粗悪なため透かしの確認は困難である。発行当初の紙幣用紙は[[パルプ#木材パルプ|木材パルプ]]に少量の[[三椏]]を混合して抄造したものであったが、程無くして木材パルプのみの劣悪な品質の用紙に変更された<ref name="kanri192"/>。なお用紙の節約と取扱上の利便性を考慮した結果、券面の寸法は従来の他券種と比べて横方向に細長く、[[1930年]](昭和5年)の[[百円紙幣#乙百圓券|乙百圓券]]以来維持されてきた縦1:対角線2の規格から外れたものとなっている<ref name="kanri192"/>。
 
使用色数は、表面3色(内訳は主模様1色、地模様1色、印章・記番号1色)、裏面1色となっている<ref>{{Cite book|和書|author=日本銀行調査局|year=1975|title=図録日本の貨幣 9 管理通貨制度下の通貨|page=188|publisher=東洋経済新報社|isbn=}}</ref><ref name="rekigi"/>。両面とも簡易な[[平版印刷]]によるものであり、裏面の簡素さや記番号の省略(通し番号はなく組番号(記号)のみの表記)など粗悪な作りになっている<ref name="kanri192"/>。