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== 心理学における人格概念 ==
[[心理学]]において人格という用語は、personalityの訳語として用いられるようになった。しかし、心理学においてはpersonalityという単語には価値的な意味が含まれていないのに対し、「人格者」という言葉にあるように価値が含まれていることが多く、心理学においても用語の用い方に混乱が生じている面がある。日本において「[[性格]]」「人格」と使い分けられている言葉であっても,英語ではpersonalityである場合がある。人格 personality を説明する理論として、[[ジークムント・フロイト]]の、心 mindを、id,ego,superegoに区分するstructural modelと、conscious[[意識]]とunconscious[[無意識]]に分けるtopographic modelが、教科書的に有名である。superegoは、[[良心]]に関係するとされる<ref>M.Hewstone etc., Psychology, BPS Blackwell,2005,</ref>。[[ 小泉 八雲]]は、その著作「Japan:An Attempt at Interpretation」の中で、日本の社会を、宗教religion、道徳ethics、慣習custom の間に区別がない、と観察し、[[パーソナリティ]](人格)を抑圧する究極の圧制だと、表現している<ref>Lafcadio Hearn,Japan:An Attempt at Interpretation,1904,Dodo Press,page54,138</ref>。[[ルース・ベネディクト]]は、彼女の著作「菊と刀」の中で、なぜ、日本人が、アメリカ人から見たら、venial(悪気が、なくて起こったミス)を、ひどく非難するのか、逆にアメリカ人から見たら、とんでもない事を、日本人は、容認できるのか、と疑問を、その著書の最初付近に記述している。彼女は、日本の文化に、dilemma of virtue 徳のジレンマがあると捉えている。彼女によると、日本の社会では、アメリカ人の考える、good intentions 良い意図、は関係なくなるのだ、と述べている<ref>Ruth Benedict,The Chrysanthemum and the Sword,1946,Mariner Books,page7,219</ref>。
 
 
 
[[事故]]や[[病気]]等による外的要因を除いて、幼少期における経験や体験が、[[人間]]としての人格形成に大きく影響を与えていると思われる。幼児期に親の[[愛情]]を受けずに([[ネグレクト]]等)育った子供は、表情(笑顔等)が少なくなったりする傾向がある。また、こういう環境で育った子供は、[[脳]]の発達具合にまで違いがみられる。また、幼少期に継続的な[[虐待]]([[児童虐待]])を受けた子供の中には、虐待を受けている自分を別の人物として[[無意識]]的に切り離し苦痛から逃れようとする機制のために、自分自身の中に別の人格(正確には人格状態)を形成する場合もみうけられる。この状態が進行することによって起こる疾患が[[解離性同一性障害]]、いわゆる多重人格である。