井上 佐市郎(いのうえ さいちろう、天保5年(1834年) - 文久2年8月2日1862年8月26日))は、幕末土佐藩士。桐雨と号した。名は佐一郎とも。

生涯

編集

家柄は下士の足軽であったが、土佐藩参政・吉田東洋に認められて下横目の役職を与えられる。文久2年(1862年)藩主・山内豊範の参勤に従って上洛するが、吉田東洋が土佐で暗殺された事を知るやその犯人の探索に当たる。しかしその行動が下手人であった土佐勤王党に危険視された。

文久2年8月2日1862年8月26日)、勤王党員に心斎橋筋の小料理屋「大与(だいよ)」に誘われ酒を飲まされ、店を出た路上で岡田以蔵らによって絞殺された[1]。当初、水死に見せかけようとする犯行であったが、うっかり脇差でとどめを刺してしまったため、道頓堀に投げ捨てられたが他殺体で発見された[2]

墓所は高知県高知市秦泉寺にある。

補註

編集
  1. ^ 道頓堀 人斬り以蔵、最初の暗殺現場(1)』産経新聞、2018年6月3日附(1)
  2. ^ 道頓堀 人斬り以蔵、最初の暗殺現場(2)』産経新聞、2018年6月3日附(2)』

関連作品

編集

関連項目

編集