宮下智

日本の作詞家、作曲家、ピアニスト

宮下 智(みやした とも、1956年[1] - )は、日本の作詞家作曲家ピアニスト田原俊彦への楽曲提供で知られる。渡米後はショコラティエに転身した。

宮下 智
出生名 盛岡 夕美子
別名 Yumiko Womack
生誕 1956年????
出身地 日本の旗 日本 東京都
活動期間 1979年 -

東京都出身[1][2]サンフランシスコ音楽院卒業[1]。本名はYumiko Womack[3]、旧姓は盛岡夕美子(もりおか ゆみこ)[1]

来歴・人物

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母親がピアノ教室を開いていたこともあり、3歳からピアノを習う[1]

1971年学習院女子高等科1年生のときに米国留学[1][4]ハンガリー出身の女流ピアニスト、ヨルダ・ノヴィック(Ylda Novik、1922年 - 1977年)に師事[4]し、同年「ワシントン・ミュージック・ティーチャーズ・コンテスト」で第1位を獲得[1]

1975年にサンフランシスコ音楽学院に入学[1]1979年に同校を首席で卒業し帰国[1]。帰国後は本名でクラシック・ピアニストとして活動する傍ら、「宮下智」のペンネームでポピュラー音楽の作曲活動を始める[1]

1980年、田原俊彦のシングル「哀愁でいと」のB面曲「君に贈る言葉(アフター・スクール)」を提供[1]。同年田原に提供した「ハッとして!Good」は第22回日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞。以降も田原の多くの楽曲を手掛けたほか、同時にジャニーズ事務所との専属契約を結び少年隊などにも多数楽曲提供している[5]

1987年、本名名義でアルバム『余韻(レゾナンス)』を発表[1]。その後アメリカ人コンピュータデザイナーと結婚し、音楽家を引退してアメリカに移住した[1]

サンフランシスコの「エコール・ド・ショコラ」とフランスの「エコール・ヴァローナ」で学び、ショコラティエに転身。アメリカに戻り、トリュフを製造する「Pandora Chocolatier」を設立[6]ファーマーズマーケットでの販売が評判を呼び、ビジネスが軌道に乗る。ワイントリュフの開発に取り組むが、2017年10月北カリフォルニア山火事によりワインの供給が絶たれたため帰国。玉村豊男の協力を得てワイントリュフの製造開発に成功する[6]。2019年8月に世田谷区にトリュフ専門店を開業した[7]

2018年、King & Princeに楽曲を提供した。

2019年12月20日にTBSテレビ爆報! THE フライデー」で田原俊彦と25年ぶりに再会した[8]

アルバム発売

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主な楽曲提供作品

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  • 南野陽子
    • 抱きしめてもう一度(作曲)
    • 雪の花片(作曲)[10]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m ガモウユウイチ 著「宮下智」、馬飼野元宏(監修/編集)・真鍋新一(編集) 編『昭和歌謡 職業作曲家ガイド』(初版)シンコーミュージック・エンタテイメント、2018年4月15日、270-271頁。ISBN 978-4-401-64371-4 
  2. ^ 『タレント名簿録』(1990年版)発行:連合通信社音楽専科社 作詞・作曲家の欄 閲覧
  3. ^ 世田谷トリュフHP
  4. ^ a b 1982年9月9日、田原俊彦の「NINJIN娘」がザ・ベストテンで1位を獲得。この曲の作者である宮下智とは?大人のMusic Calendar 2016年9月9日
  5. ^ 『音楽少年漂流記』(細野晴臣:著書)発刊:新潮文庫 1988年1月発売 閲覧。
  6. ^ a b Cacao Et Vin HP
  7. ^ 世田谷トリュフホームページ
  8. ^ Yahoo!ニュース(2019年12月20日)
  9. ^ オリコン年鑑』(1991年下半期)発行:オリジナルコンフィデンス社 アルバム年間発売情報 閲覧。
  10. ^ 『オリコン年鑑・総決算』(1999年版) 発行:オリジナルコンフィデンス社 作詞作曲家別作品一覧 閲覧。

外部リンク

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