宮部昭夫

日本の俳優、男性声優 (1931-2006)

宮部 昭夫(みやべ あきお、1931年2月26日[1] - 2006年6月17日)は、日本の男性俳優声優北海道函館市出身[2]

みやべ あきお
宮部 昭夫
本名 宮部 昭夫[1]
生年月日 (1931-02-26) 1931年2月26日
没年月日 (2006-06-17) 2006年6月17日(75歳没)
出身地 日本の旗 日本北海道函館市[2]
身長 174 cm[1]
職業 俳優声優
ジャンル テレビドラマ映画吹き替えアニメ
活動期間 1950年代 - 2006年
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来歴

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北海道函館市出身で、父は文部省に務めており、父の再婚相手の母は島根県松江市に在住しており、小学3年生まで松江市に過ごしていた。父が東京都に転勤になり、その後は東京都で過ごしていた[2]

当初は医学部を目指して慶應義塾大学といった大学の入学試験に受けたが、不合格になり、父に「じゃあ先生になれ」と言われて東京学芸大学に進学。旧制中学校時代から演劇を始め、当時同大学になかった演劇部を創設している。大学卒業後、半年間は母校だった小学校で教員として就職していたが、芝居がしたかったこともあり、親には猛反対されたが、退職する。劇団俳優座養成所6期生を経て、劇団新人会に入団[2]。その後、劇団俳優座映画放送[3]仕事[4]劇団四季、ワンダー・プロ[1]ぷろだくしょん★A組[2]などを経てフリーとなる。俳優として映画テレビドラマに出演した他、日本語吹き替えではカーク・ダグラススティーブ・マックイーンを担当していた[2]

マックィーンの声優として知られていたことにちなんで、副業で自ら経営していた新宿歌舞伎町のBarには「Last Hero McQUEEN CLUB(ラスト・ヒーロー・マックィーン・クラブ)」と名付けていた(現在は閉店)。マックイーンファンが宮部に会うためにバーを訪れることもあったという。2006年6月17日、肝臓癌のため東京都新宿区の病院で死去。享年75。

人物・エピソード

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  • 宮部によるとマックイーンへ起用された経緯は、『拳銃無宿』を放送前に試写したスタッフが当時のマックイーンの印象を「サルみたいな顔をした、悪役風の男」と認識したため、当時吹替でガラガラ声のインディアンやギャングの声を中心に吹き替えていた宮部に白羽の矢が立ったというものだった。なお、宮部に渡された資料には「無口な青年」と書かれており、楽そうな仕事だと喜んだという[5]
  • オールドファンからマックイーンの声優として認知され始めた頃、『パピヨン』のオファーが来たものの、スケジュールの都合で他の声優がマックイーンを吹き替えたところ、「声が違う」とテレビ局に苦情が殺到し、改めて宮部で吹き替えを録り直したこともあったという[5]。宮部は『パピヨン』のDVDが発売された際に寄稿したコラムで当時の思い出話として、収録に使ったテープにSEが入っていなかっため、独房で虫を食べるシーンなどはアドリブで入れていたと記している。また、自分の出番が終わっても共演者がNGを出して一から録り直すことも多かったため、勘弁して欲しいと感じたという。
  • 長年マックイーンの吹替を担当し、アフレコ中はマックイーンになりきり、『大脱走』などの動き回るシーンの多い作品では収録後に疲れ切ってしまうこともあったという。それほどマックイーンに入れ込んでいたこともあって、マックイーンが亡くなった直後のインタビューでは「彼の死は、肉親を亡くした以上にガックリきました」とコメントしている[5]
  • 晩年に幾度かインタビューを取ったとり・みきによると、「いまの若い人は行間が読めなくて困る。書かれている活字通りの意味にしか、その文章の意味を解釈しない」と話し、「たとえト書きで何も書かれていなくても、セリフの真意は、そこまでのストーリーや、(アテレコの場合は)画面の俳優の表情やふるまいでわかるはずなのに、字義通りにしか受け取れない人が多いと感じています」と主張し、他の同世代の役者同様に近年の若手声優の質の低下に苦言を呈したという[6]

後任

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宮部の死後、役を引き継いだのは以下の通り。

後任・代役 役名 概要作品 後任・代役の初担当作品
清川元夢 セルゲイ〈コーラム教授〉 シャーロック・ホームズの冒険 金緑の鼻眼鏡 追加吹替部分
佐藤正治 マシュー・イーランド艦長 ファイナル・カウントダウンフジテレビ
堀之紀 ドク・ホリデイ OK牧場の決斗東京12ch

出演

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テレビドラマ

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映画

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吹き替え

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俳優

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カーク・ダグラス
ジョン・ウェイン
スティーブ・マックイーン

洋画

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海外ドラマ

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海外アニメ

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人形劇

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テレビアニメ

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脚注

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  1. ^ a b c d 『日本タレント名鑑(1997年版)』VIPタイムズ社、1997年、386頁。 
  2. ^ a b c d e f とり・みき『とり・みきの映画吹替王』洋泉社、2004年、40- 49頁。ISBN 4896918371 
  3. ^ 『出演者名簿(1985年版)』著作権情報センター、1984年、444頁。 
  4. ^ 『出演者名簿(1988年版)』著作権情報センター、1988年、500頁。 
  5. ^ a b c 『月刊TVガイドビデオコレクション』1983年11月号 スティーヴ・マックイーン特集 p143
  6. ^ http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130612/249577/?ST=smart
  7. ^ 大西部への道”. 洋画専門チャンネル ザ・シネマ. 2023年8月15日閲覧。
  8. ^ [1]
  9. ^ [2]
  10. ^ 大脱走”. スターチャンネル. 2023年7月6日閲覧。
  11. ^ パピヨン』 スティーヴ・マックィーン没後30年特別愛蔵版DVD』付属ブックレットより。

外部リンク

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