菅原在良

平安時代中期から後期にかけての貴族、歌人。従四位上・式部大輔。唐橋家初代。菅原氏長者。贈従三位。子に菅原信永、菅原為恒、俊源(興福寺、律師、安楽寺別当)、俊永(延暦寺、法

菅原 在良(すがわら の ありよし)は、平安時代中期から後期にかけての貴族歌人和泉守大学頭菅原定義の子。菅原孝標女は叔母[1]官位従四位上式部大輔。菅原氏長者。従三位

 
菅原在良
時代 平安時代中期-後期
生誕 長久2年(1041年
死没 保安2年10月23日1121年12月4日
官位 従四位上式部大輔従三位
主君 後冷泉天皇後三条天皇白河天皇堀河天皇鳥羽天皇
氏族 菅原氏
父母 父:菅原定義、母:藤原実方の娘
兄弟 是綱忠章在良清房正長輔方茂富、定快
源長親の娘、三宮大進
時登清能小大進、善弘、信永、為恒、俊源、俊永、藤原信成
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経歴

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寛治元年(1087年)に式部少輔大内記を兼任[2]嘉保3年(1096年)に文章博士[3]天永2年(1111年)式部大輔を務める。同年12月に昇殿を聴され、さらに侍読に任ぜられ鳥羽天皇に仕える。保安2年(1121年)もしくは保安3年(1122年)卒去享年80(または81)。その他御書殿別当、摂津守を歴任した。ちなみに在良の勘申により、永久藤原俊信との勘申で長治の元号が採用された。

元徳2年(1330年)に従三位が贈られた(北野三位殿)。子孫は唐橋家となる。

歌人として

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承保3年(1076年)に、『前右衞門佐經仲歌合』に参加。藤原忠通の奨めで和歌を詠んだといわれ、勅撰和歌集には『新勅撰和歌集』以下5首が入首。家集には『在良朝臣集』がある。

系譜

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脚注

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  1. ^ 伯母とも。
  2. ^ 為房卿記
  3. ^ 後二条師通記
  4. ^ 藤原北家小一条流出身
  5. ^ 年代的に疑問視されており、孫という説もある。

参考文献

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