株式会社髙津商会(こうづしょうかい)は、日本の映画及び演劇を中心とした小道具美術装飾の企業である。日本映画の創成期から映画美術に関わる[1]高津装飾美術(たかつそうしょくびじゅつ)とは、祖を一にする別会社である[2]

株式会社髙津商会
Kouzu Shokai Co.Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 高津
本社所在地 日本の旗 日本
616-8163
京都府京都市右京区太秦西蜂岡町13-1
北緯35度00分54.0秒 東経135度42分13.7秒 / 北緯35.015000度 東経135.703806度 / 35.015000; 135.703806座標: 北緯35度00分54.0秒 東経135度42分13.7秒 / 北緯35.015000度 東経135.703806度 / 35.015000; 135.703806
設立 1918年
1951年11月1日 株式会社化
業種 サービス業
法人番号 6130001001243 ウィキデータを編集
事業内容 映画テレビ演劇ほか一般への小道具貸出
時代行列企画・演出
イベント・展示企画・設営
代表者 高津博行
資本金 1,700万円
従業員数 58名(平成21年4月1日現在)[1]
主要子会社 有限会社ナニワアートサービス
財団法人高津古文化会館
関係する人物 高津梅次郎
高津嘉之
高津利治
外部リンク www.kouzu.jp
特記事項:略歴
1887年 高津道具店開業
1918年 本格的な小道具貸出開始・創業
1931年 合資会社高津小道具店を設立
1951年 株式会社高津商会へ改組
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データ

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略歴・概要

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1887年(明治30年)ころ、高津梅次郎が高津道具店という個人商店を開業した[1]。場所は現在の京都市上京区一条通御前下ルで、1912年(明治45年)1月に横田商会の法華堂撮影所が店の前に建設されている[1]。横田商会は同年9月に合併し、日活を設立、同撮影所は日活関西撮影所と改称し、翌1913年(大正2年)から同撮影所とのつきあいが始まっている[1]

1918年(大正7年)、日活関西撮影所が北区大将軍一条町に移転し、日活大将軍撮影所として開所、これを機に、同商店は本格的な映画用の小道具の貸出を開始した[1]。同社ではこの年を創業年としている[1]

1921年(大正10年)6月に牧野省三が日活から独立し、牧野教育映画製作所を設立、受注が増える[1]。1923年(大正12年)11月には同年9月の関東大震災のために東京の日活向島撮影所が閉鎖され、現代劇部が移転して来たため[3]、現代劇の小道具の受注も始まる[1]。同様に松竹キネマ松竹蒲田撮影所を閉鎖し、松竹下加茂撮影所を開所[4]、同商店に小道具を発注した[1]。1928年(昭和3年)には片岡千恵蔵プロダクション嵐寛寿郎プロダクションを初めとしてスタープロダクションの設立が広がり、さらに受注先が増えた[1]

1931年(昭和6年)、一条通御前下ルから同西入ルに移転し、合資会社高津小道具店を設立する[1]

第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)、株式会社高津商会へ改組する[1]。同年は、東横映画が合併して東映となり、同社の撮影所が東映京都撮影所と改称した年である[5]

1980年(昭和55年)、本社を東映京都撮影所や松竹京都撮影所の至近である現在の右京区太秦に移転する[1]。2003年(平成15年)3月、第26回日本アカデミー賞で協会特別賞を受賞する[1]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 会社案内、高津商会、2009年12月12日閲覧。
  2. ^ 会社概要高津装飾美術、2009年12月12日閲覧。
  3. ^ 『日本映画発達史 1 活動写真時代』、田中純一郎中公文庫、1975年11月25日 ISBN 4122002850, p.374.
  4. ^ 沿革松竹京都撮影所、2009年12月12日閲覧。
  5. ^ 沿革東映、2009年12月12日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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画像外部リンク
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