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「四国犬」の版間の差分

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== ニホンオオカミ目撃情報における混乱 ==
== ニホンオオカミ目撃情報における混乱 ==
四国犬は[[日本犬]]の中で最も素朴な風貌と評される事もあるように、猟犬として[[ニホンオオカミ]]と交配させたとの伝承もあり、外見が似ているとしばしば言われる。しかし、それ故にニホンオオカミの目撃情報の際、見間違いの候補として挙げられやすい犬種でもある。代表的なものが[[2000年]]7月8日の九州中部の山地での目撃情報である<ref>[[宮本拓海]] 「[http://ikimonotuusin.com/doc/071.htm [今日の事件]ニホンオオカミ発見?!]」 [http://ikimonotuusin.com いきもの通信]、2000年12月3日。</ref><ref>[http://www.geocities.jp/canisyagi/_gl_images_/img035.jpg 撮影された動物の写真]([http://geocities.yahoo.co.jp/gl/canisyagi ニホンオオカミを探井戸端会議])</ref>。
四国犬は[[日本犬]]の中で最も素朴な風貌と評される事もあるように、猟犬として[[ニホンオオカミ]]と交配させたとの伝承もあり、外見が似ているとしばしば言われる。しかし、それ故にニホンオオカミの目撃情報の際、見間違いの候補として挙げられやすい犬種でもある。代表的なものが[[2000年]]7月8日の九州中部の山地での目撃情報である<ref>[[宮本拓海]] (2000年12月3日). "[http://ikimonotuusin.com/doc/071.htm [今日の事件]ニホンオオカミ発見?!]". [http://ikimonotuusin.com いきもの通信]。</ref><ref>[http://hw001.spaaqs.ne.jp/kensugi/f200037.htm ニホンオオカミは存在](写真有り)</ref>。


これは、当時[[福岡県立小倉西高等学校]]校長であった西田智がニホンオオカミに酷似した動物と遭遇し、その写真撮影に成功したものである。写真を鑑定した元[[国立科学博物館]]動物研究部長の[[今泉吉典]]は「ニホンオオカミと見られる」とコメントしたが、[[東京農工大学]]教授・日本オオカミ協会会長の丸山直樹をはじめ、ニホンオオカミであることに否定的な学者も多かった。
これは、当時[[福岡県立小倉西高等学校]]校長であった西田智がニホンオオカミに酷似した動物と遭遇し、その写真撮影に成功したものである。写真を鑑定した元[[国立科学博物館]]動物研究部長の[[今泉吉典]]は「ニホンオオカミと見られる」とコメントしたが、[[東京農工大学]]教授・日本オオカミ協会会長の丸山直樹をはじめ、ニホンオオカミであることに否定的な学者も多かった。


その後、2001年3月に大分県の山小屋に「平成12年7月8日、この場所において、ニホンオオカミに、間違われて撮影され、お騒がせしたのは純血の四国犬です。関係各方面、マスコミの皆様御迷惑掛けて、誠に申し分け有りませんでした。事情が有って放犬しました」との謝罪文が書かれた張り紙が発見された<ref>栗原智昭 「[http://homepage3.nifty.com/muzina-press/wolf.htm 「ニホンオオカミ?」は四国犬??]」 [http://homepage3.nifty.com/muzina-press/index.htm 自然派宣言!]、2001年5月9日。</ref>。
その後、2001年3月に大分県の山小屋に「平成12年7月8日、この場所において、ニホンオオカミに、間違われて撮影され、お騒がせしたのは純血の四国犬です。関係各方面、マスコミの皆様御迷惑掛けて、誠に申し分け有りませんでした。事情が有って放犬しました」との謝罪文が書かれた張り紙が発見された<ref>栗原智昭 (2001年5月9日). "[http://homepage3.nifty.com/muzina-press/wolf.htm 「ニホンオオカミ?」は四国犬??]". [http://homepage3.nifty.com/muzina-press/index.htm 自然派宣言!]。</ref>。


しかし現在に至るまでこの紙を張り出した人物は発見されておらず、また撮影された動物は頭部こそ四国犬と似ている点があるものの、四肢や胴の長さの特徴は明らかに四国犬では無いとの指摘もあり、また添付されたイラストは記事の写真を模写した事は明白であり、張り紙は悪質ないたずらとする意見もある(ちなみに、この張り紙がなされる一か月前には[[テレビ朝日]]「[[たけしの万物創世紀]]」がそれまで未公表であった撮影場所を公表してしまっており、それを観た者による仕業ではないかとする意見もある<ref>宮本拓海 「[http://ikimonotuusin.com/doc/E04.htm 「季刊Relatio」連載「動物事件の読み解き方」補足 第4回 ニホンオオカミ目撃騒動]」 いきもの通信、2001年6月3日。</ref>)。
しかし現在に至るまでこの紙を張り出した人物は発見されておらず、また撮影された動物は頭部こそ四国犬と似ている点があるものの、四肢や胴の長さの特徴は明らかに四国犬では無いとの指摘もあり、また添付されたイラストは記事の写真を模写した事は明白であり、張り紙は悪質ないたずらとする意見もある(ちなみに、この張り紙がなされる一か月前には[[テレビ朝日]]「[[たけしの万物創世紀]]」がそれまで未公表であった撮影場所を公表してしまっており、それを観た者による仕業ではないかとする意見もある<ref>宮本拓海 (2001年6月3日). "[http://ikimonotuusin.com/doc/E04.htm 「季刊Relatio」連載「動物事件の読み解き方」補足 第4回 ニホンオオカミ目撃騒動]". いきもの通信。</ref>)。


事の顛末は、西田智の著書『ニホンオオカミは生きている』([[二見書房]]、2007年)に詳しい<ref>宮本拓海 「[http://ikimonotuusin.com/doc/385.htm [今日の本]ニホンオオカミは生きている]」 いきもの通信、2007年11月11日。</ref>。
事の顛末は、西田智の著書『ニホンオオカミは生きている』([[二見書房]]、2007年)に詳しい<ref>宮本拓海 (2007年11月11日). "[http://ikimonotuusin.com/doc/385.htm [今日の本]ニホンオオカミは生きている]". いきもの通信。</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2015年2月11日 (水) 01:39時点における版

四国犬(しこくけん)
英語名
Shikoku, Shikoku Inu
別称
四国(しこく)
原産国(原産地)
日本高知県
各国団体のグループ分類
FCI: Group 5 Section 5 #319
JKC(日): 第5グループ
AKC(米):
ANKC(豪):
CKC(加):
KC(UK)(英):
NZKC:
UKC(米):
各国団体のスタンダード (外部リンク)
FCIJKC

四国犬(しこくけん)は四国地方(主に高知県)原産の中型の品種日本犬の一種である。かつては土佐犬(とさけん・とさいぬ)と呼ばれたが、同様の呼称を持つ土佐闘犬とは別品種。「土佐犬」の名で国の天然記念物に指定されている。

特性

古来より「土佐犬」と呼ばれていた中型の犬である。土佐闘犬との混同をさけるために、四国犬と改称された。

本来の作出目的は、四国山地周辺の山村における鹿等の狩猟およびそれに伴う諸作業。山地での激しい狩りにも耐えうる体力・持久力がある。温暖湿潤気候に強い。体格は柴犬より大柄[1]

主人には異常なまでに忠実だが、よそ者には警戒するため、番犬に適する。よそ者にはふとしたことでも噛みついたりと非常に攻撃的なため、散歩中などは注意が必要である。

1937年昭和12年)6月15日に文部省(現・文部科学省)により、天然記念物に指定された。

もともとこの犬種は本川系、幡多系、安芸系、宇和島系と呼ばれる地域特性があった。しかし、安芸系は衰退し、幡多系と宇和島系はほぼ同じで差異が無く、幡多系と本川系は混血が進み、地域特性は無くなりつつある。

ニホンオオカミ目撃情報における混乱

四国犬は日本犬の中で最も素朴な風貌と評される事もあるように、猟犬としてニホンオオカミと交配させたとの伝承もあり、外見が似ているとしばしば言われる。しかし、それ故にニホンオオカミの目撃情報の際、見間違いの候補として挙げられやすい犬種でもある。代表的なものが2000年7月8日の九州中部の山地での目撃情報である[2][3]

これは、当時福岡県立小倉西高等学校校長であった西田智がニホンオオカミに酷似した動物と遭遇し、その写真撮影に成功したものである。写真を鑑定した元国立科学博物館動物研究部長の今泉吉典は「ニホンオオカミと見られる」とコメントしたが、東京農工大学教授・日本オオカミ協会会長の丸山直樹をはじめ、ニホンオオカミであることに否定的な学者も多かった。

その後、2001年3月に大分県の山小屋に「平成12年7月8日、この場所において、ニホンオオカミに、間違われて撮影され、お騒がせしたのは純血の四国犬です。関係各方面、マスコミの皆様御迷惑掛けて、誠に申し分け有りませんでした。事情が有って放犬しました」との謝罪文が書かれた張り紙が発見された[4]

しかし現在に至るまでこの紙を張り出した人物は発見されておらず、また撮影された動物は頭部こそ四国犬と似ている点があるものの、四肢や胴の長さの特徴は明らかに四国犬では無いとの指摘もあり、また添付されたイラストは記事の写真を模写した事は明白であり、張り紙は悪質ないたずらとする意見もある(ちなみに、この張り紙がなされる一か月前にはテレビ朝日たけしの万物創世紀」がそれまで未公表であった撮影場所を公表してしまっており、それを観た者による仕業ではないかとする意見もある[5])。

事の顛末は、西田智の著書『ニホンオオカミは生きている』(二見書房、2007年)に詳しい[6]

脚注

関連項目

外部リンク