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'''𠮷村華泉'''(吉村華泉)(よしむら かせん/“よし”の字は、【吉】の"口"の上が"土"になる文字)は、いけばなの流派[[龍生派]]の三代目家元。元[[日本いけばな芸術協会]]理事長・[[いけばな協会]]理事長。現在は、両協会の相談役をつとめている。<br>
'''𠮷村華泉'''(吉村華泉)(よしむら かせん/“よし”の字は、【吉】の"口"の上が"土"になる文字)は、いけばなの流派[[龍生派]]の三代目家元。元[[日本いけばな芸術協会]]理事長・[[いけばな協会]]理事長。現在は、両協会の相談役をつとめている。<br>


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2010年4月9日 (金) 05:57時点における版

𠮷村華泉(吉村華泉)(よしむら かせん/“よし”の字は、【吉】の"口"の上が"土"になる文字)は、いけばなの流派龍生派の三代目家元。元日本いけばな芸術協会理事長・いけばな協会理事長。現在は、両協会の相談役をつとめている。

戦後、少し先に活躍を始めていた同期的存在で年上の勅使河原蒼風草月流)や小原豊雲小原流)などが世を去った後、戦後いけばなの隆盛期を知る数少ない現役家元となった。
「植物の貌」を流派のいけばなの方法論として提示。枝や花の表情を画一的に捉えるのでなく、手にした一本の枝、花の個々の表情を捉えて、作者の感性によって表現することを提唱し、流派のカリキュラムの基幹としている。

経歴

1928年(S3)東京生まれ
1944年(S19)二代目家元吉村華丘死去をうけ、龍生派三代目家元に就任。
1952年(S27)NHKの試験放送において『生花のこころ』出演
1967年(S42)モントリオール万博に、吉村京子、吉村隆とともに作品展示及びデモンストレーション
1978年(S53)イケバナ・インターナショナル オーストラリア・ニュージーランド地区大会にてデモンストレーション
1982年(S57)イケバナ・インターナショナル 北米大会にてデモンストレーション
1986年(S61)来日したダイアナ英国妃にいけばなデモンストレーション披露(赤坂迎賓館和風別館)
1989年(H1)日本いけばな芸術協会 理事長就任
2001年(H13)日本いけばな芸術協会 相談役就任(~現在に至る)

展覧会

1949年「文部大臣招待日本花道展」出品
1950年「名流いけばな展」(渋谷・東横デパート)出品
1958年「東京都美術展」(東京都美術館)に「鉄線の思考」出品
1958年「現代いけばな代表作家展」(伊勢丹)出品
1964年「五流新世代いけばなの未来像展」(銀座松屋)出品
1979年個展「透明光体‐桜」(上野松坂屋)
1980年「日本いけばな10人展」出品
1988年「伝承生花 かたとかたち」(日本橋高島屋)出品
1989年「原生花艶展」(日本橋高島屋)吉村華泉、吉村京子、吉村隆による三人展

日本いけばな芸術展、いけばな協会展などにも継続して出品している。

著書

1958年『吉村華泉作品集』(社団法人龍生華道会刊)
1962年『いけばなグラフィック龍生派』(主婦の友社刊)
1966年『吉村華泉生花容導集』(社団法人龍生華道会刊)
1982年『龍生派の生花と立華』(講談社刊)
1972年『いけばな全書 龍生派』(小学館刊)
1977年作品集『華泉の花』(主婦の友社刊)
1979年『華泉生花容導集』(社団法人龍生華道会刊)
1981年『植物の貌』(主婦の友社刊)
1982年『龍生派の生花と立華』(改定新版)(講談社刊)
1987年『鼎』(吉村華泉・吉村隆・吉村京子作品集)(主婦の友社刊)
1995年『龍生派の古典華』(講談社刊)ISBN 978-4061319240
1997年『植物の貌 新世紀』(主婦の友社刊)ISBN 978-4072160657
2005年『龍生派古典華 生花 “水もの”』(社団法人龍生華道会刊)