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元善光寺の縁起は[[善光寺]]と同じく、[[推古天皇]]十年に座光寺の住人[[本多善光]]が、[[難波]]の堀江から一光三尊の御本尊様を背負って故里に帰り臼の上に安置したのが元善光寺の始まり。 |
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その後[[皇極天皇]]元年、勅命により御本尊様は芋井の里(現在の[[長野市]])へ遷座され、善光の名をとって「善光寺」と名付けられた。飯田には、木彫りで同じ御尊像を作り「元善光寺」と呼ぶようになり、仏勅によって「毎月半ば十五日間は必ずこの麻績の故里(飯田)に帰りきて衆生を化益せん」という誓願を残されたことで、長野の[[善光寺]]と飯田の元善光寺との「両方にお詣りしなければ片詣り」と昔から云われている。 |
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2004年12月18日 (土) 17:17時点における版
元善光寺(もとぜんこうじ)は長野県飯田市にある寺。正式には坐光寺と呼ばれる。
元善光寺の縁起は善光寺と同じく、推古天皇十年に座光寺の住人本多善光が、難波の堀江から一光三尊の御本尊様を背負って故里に帰り臼の上に安置したのが元善光寺の始まり。
その後皇極天皇元年、勅命により御本尊様は芋井の里(現在の長野市)へ遷座され、善光の名をとって「善光寺」と名付けられた。飯田には、木彫りで同じ御尊像を作り「元善光寺」と呼ぶようになり、仏勅によって「毎月半ば十五日間は必ずこの麻績の故里(飯田)に帰りきて衆生を化益せん」という誓願を残されたことで、長野の善光寺と飯田の元善光寺との「両方にお詣りしなければ片詣り」と昔から云われている。