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「大興安嶺地区」の版間の差分

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== 歴史 ==
== 歴史 ==
先秦時代より北方民族の居住地であった大興安嶺地区に本格的な行政区画が設置されたのは[[清|清代]]以降である。[[1645年]]([[順治]]2年)に盛京駐防大臣(翌年昂邦章京と改称)の管轄とされた。その後何度かの行政改編を受けながら清末には嶺南地区は[[黒竜江行省]]呼倫兵備道呼倫直隶厅、嶺北地区は璦琿兵備道璦琿直隷庁の管轄とされた。
先秦時代より北方民族の居住地であった大興安嶺地区に本格的な行政区画が設置されたのは[[清|清代]]以降である。[[1645年]]([[順治]]2年)に盛京駐防大臣(翌年昂邦章京と改称)の管轄とされた。その後何度かの行政改編を受けながら清末には嶺南地区は[[黒竜江行省]]呼倫兵備道呼倫直隷庁、嶺北地区は璦琿兵備道璦琿直隷庁の管轄とされた。


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[[中華民国]]が成立すると[[1912年]]([[中華民国暦|民国]]元年)6月25日、嶺北地区は[[黒竜江省 (中華民国)|黒竜江省]][[黒河道|璦琿兵備道]](同年8月26日黒河道と改称)の管轄となり、嶺南地区は[[フルンボイル自治政府]]の管轄とされた。[[1914年]](民国3年)には嶺南は[[竜江道]]布西総管公署の管轄に、[[1929年]](民国18年)には嶺北は黒河市籌備処の、嶺南地区は呼倫貝爾市籌備処と管轄とされた。

2017年12月21日 (木) 06:42時点における版

中華人民共和国 黒竜江省 大興安嶺地区
漠河県市街地
漠河県市街地
漠河県市街地
黒竜江省中の大興安嶺地区の位置
黒竜江省中の大興安嶺地区の位置
黒竜江省中の大興安嶺地区の位置
簡体字 大兴安岭
繁体字 大興安嶺
拼音 Dàxīng'ānlǐng
カタカナ転写 ダーシンアンリン
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
黒竜江
行政級別 地区
建置 1964年
改制 1970年
面積
総面積 8,460 km²
人口
総人口(2004) 54 万人
市区人口(2004) 49 万人
経済
電話番号 0457
郵便番号 165000
ナンバープレート 黒P
行政区画代碼 232700
公式ウェブサイト http://www.dxal.gov.cn/

大興安嶺地区(だいこうあんれいちく)は中華人民共和国黒竜江省に位置する地区。中国最北端の村「北極村」がある。

地理

大興安嶺地区は中華人民共和国北端に位置し、東は小興安嶺山脈と、西は大興安嶺山脈を隔てて内モンゴル自治区と、南は松嫩平原、北は黒竜江を隔ててロシアと国境を接している。

歴史

先秦時代より北方民族の居住地であった大興安嶺地区に本格的な行政区画が設置されたのは清代以降である。1645年順治2年)に盛京駐防大臣(翌年昂邦章京と改称)の管轄とされた。その後何度かの行政改編を受けながら清末には嶺南地区は黒竜江行省呼倫兵備道呼倫直隷庁、嶺北地区は璦琿兵備道璦琿直隷庁の管轄とされた。

中華民国が成立すると1912年民国元年)6月25日、嶺北地区は黒竜江省璦琿兵備道(同年8月26日黒河道と改称)の管轄となり、嶺南地区はフルンボイル自治政府の管轄とされた。1914年(民国3年)には嶺南は竜江道布西総管公署の管轄に、1929年(民国18年)には嶺北は黒河市籌備処の、嶺南地区は呼倫貝爾市籌備処と管轄とされた。

1931年に満州国が成立すると大興安嶺地区はその版図となり、1932年大同元年)には嶺南地区は興安東分省の、嶺北地区は黒竜江省(1934年に黒河省に移管)の管轄とされた。1945年(民国34年)、日本の敗戦に伴い満州国が崩壊すると嶺北地区は黒竜江省の、嶺南地区は興安省(1947年に内モンゴル自治区に移管)の管轄とされた。

1964年2月10日、大興安嶺地区の開発推進のために内モンゴル自治区の一部及び黒竜江省の黒河専区呼瑪県全域及び嫩江県の一部に大興安嶺社会戦区を設置、同時に11の林業会社を設立した。同年8月10日には社会戦区は省轄市級の特区人民委員会が設置されている。1970年4月1日、政府は大興安嶺特区を大興安嶺地区に改編された。

行政区画

大興安嶺地区道路

大興安嶺行政公署は3つの県、23の鎮、12の郷、6の城鎮街道弁事処、60の社区、80の村民委員会を管轄する。

  • 呼瑪県
  • 塔河県
  • 漠河県
  • ジャグダチ(加格達奇)区:2郷、6街道弁事処、60居民委員会、8村民委員会(加北郷、白樺郷,衛東街道、紅旗街道、曙光街道、長虹街道、東山街道、光明街道)
  • 新林区:7鎮、17居民委員会(新林鎮、翠崗鎮、塔源鎮、碧洲鎮、宏図鎮、大烏蘇鎮、塔爾根鎮)
  • 松嶺区:3鎮、8居民委員会(小揚気鎮、古源鎮、勁松鎮)
  • 呼中区:4鎮、11居民委員会(呼中鎮、碧水鎮、呼源鎮、宏偉鎮)

ただし、中華人民共和国民政部の行政区画データでは3つの県だけを管轄する。4つの区のうち、新林区呼中区は呼瑪県、ジャグダチ区松嶺区内モンゴル自治区オロチョン自治旗のそれぞれ一部と見なされる。

大興安嶺地区の地図

年表

大興安嶺特区

大興安嶺地区

  • 1970年4月1日 - 大興安嶺特区が大興安嶺地区に改称。(5区1県2自治旗)
  • 1970年8月8日 - オロチョン自治旗の一部が分立し、大楊樹区が発足。(6区1県2自治旗)
  • 1971年10月11日 - 呼瑪県の一部が分立し、アムル(阿木爾)区が発足。(7区1県2自治旗)
  • 1973年3月1日 - 呼瑪県の一部が分立し、古蓮区が発足。(8区1県2自治旗)
  • 1975年9月29日 - 大楊樹区がオロチョン自治旗に編入。(7区1県2自治旗)
  • 1977年3月15日 - アムル区の一部が分立し、図強区が発足。(8区1県2自治旗)
  • 1979年5月30日 - オロチョン自治旗・モリンダワダウール族自治旗が内モンゴル自治区フルンボイル盟に編入。(8区1県)
  • 1981年5月14日 (4区3県)
    • 塔河区および呼瑪県の一部が合併し、塔河県が発足。
    • アムル区・図強区・古蓮区および呼瑪県の一部が合併し、漠河県が発足。

林業区画

林業部所屬大興安嶺林業集団公司(林管局)が10の林業局,61の林場を管轄する。

松嶺林業局(小揚気鎮):緑水林場、古源林場、大揚気林場、壮志林場、新天林場
新林林業局(新林鎮):塔源林場、宏図林場、新林林場、大烏蘇林場、碧洲林場、翠崗林場、塔爾根林場、富林林場
塔河林業局(塔河鎮):瓦拉干林場、蒙克山林場、塔林林場、繡峰林場、盤古林場、沿江林場
呼中林業局(呼中鎮):雄關林場、呼源林場、蒼山林場、宏偉林場、呼中林場、碧水林場
阿木爾林業局(漠河県勁濤鎮):長山林場、依林林場、龍河林場、興安林場、紅旗林場、青鬆林場
図強林業局(漠河県図強鎮):奮斗林場、二十八站林場、育英林場、壮林林場、潮河林場、臥龍河林場、潮満林場
西林吉林業局(西林吉鎮):河湾林場、前哨林場、河東林場、古蓮林場、金溝林場
十八站林業局(塔河県十八站郷):十八站林場、査班河林場、小根河林場、白銀納林場、永慶林場、雙河林場
韓家園林業局(呼瑪県韓家園鎮):韓家園主伐林場
ジャガタチ林業局(ジャガタチ区):古里林場、白樺林場、東風林場、翠峰林場、躍進林場、多布庫爾林場、達金林場、大黒山林場、大子揚山林場、罕諾河林場

黒龍江省所屬大興安嶺行政公署栄林局系統が3の県林業局、6の林場を管轄する。

呼瑪県林業局(呼瑪鎮):十二站林場、三卡林場、金山林場、嘎拉河林場
塔河県栄林局(塔河鎮):二十二站林場
漠河県栄林局(西林吉鎮):漠河林場

関連項目

外部リンク

中国地名の変遷
建置 1964年
使用状況 大興安嶺地区
現代大興安嶺特区
大興安嶺地区(1970年)