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Hideki1976 (会話 | 投稿記録) - ボクシング現王者一覧 |
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同年10月12日、後楽園ホールで[[世界ボクシング協会|WBA]]9位・[[世界ボクシング評議会|WBC]]9位の日本ライトフライ級王者[[嘉陽宗嗣]](白井・具志堅)に日本同級6位として挑戦。10R1分13秒、3-0(97-94、98-94、99-94)の負傷判定勝利で同王座を獲得し、井岡ジム開設8年目にして初の王者となった<ref>[http://s03.megalodon.jp/2009-1013-1025-31/www.daily.co.jp/ring/2009/10/13/0002439533.shtml 井岡ジム初! 宮崎が“恩返し”の王座奪取] [[デイリースポーツ]] 2009年10月12日閲覧</ref>。2010年2月21日、1位[[滝澤卓]]を迎えて[[松下IMPビル|松下IMPホール]]で行われた初防衛戦では開始34秒にダウンを奪い、3Rには自らがダウンする展開の中、3Rに偶然のバッティングでカットした滝澤の左側頭部からの出血がひどくなって、4R0分55秒に試合が止められ、この回負傷引き分けで王座を守った<ref>[http://megalodon.jp/2010-0221-2220-54/www.daily.co.jp/newsflash/2010/02/21/0002730844.shtml 宮崎が負傷引き分けで日本王座防衛] デイリースポーツ 2010年2月21日閲覧</ref>。 |
同年10月12日、後楽園ホールで[[世界ボクシング協会|WBA]]9位・[[世界ボクシング評議会|WBC]]9位の日本ライトフライ級王者[[嘉陽宗嗣]](白井・具志堅)に日本同級6位として挑戦。10R1分13秒、3-0(97-94、98-94、99-94)の負傷判定勝利で同王座を獲得し、井岡ジム開設8年目にして初の王者となった<ref>[http://s03.megalodon.jp/2009-1013-1025-31/www.daily.co.jp/ring/2009/10/13/0002439533.shtml 井岡ジム初! 宮崎が“恩返し”の王座奪取] [[デイリースポーツ]] 2009年10月12日閲覧</ref>。2010年2月21日、1位[[滝澤卓]]を迎えて[[松下IMPビル|松下IMPホール]]で行われた初防衛戦では開始34秒にダウンを奪い、3Rには自らがダウンする展開の中、3Rに偶然のバッティングでカットした滝澤の左側頭部からの出血がひどくなって、4R0分55秒に試合が止められ、この回負傷引き分けで王座を守った<ref>[http://megalodon.jp/2010-0221-2220-54/www.daily.co.jp/newsflash/2010/02/21/0002730844.shtml 宮崎が負傷引き分けで日本王座防衛] デイリースポーツ 2010年2月21日閲覧</ref>。 |
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同年6月14日、後楽園ホールでWBA12位・WBC8位のOPBF東洋太平洋ライトフライ級王者[[家住勝彦]](レイスポーツ)にWBA9位・WBC9位として挑戦。自身の日本王座は懸けずに対戦し、8R2分41秒TKO勝利で同王座を獲得した<ref>[http://megalodon.jp/2010-0615-0108-16/www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20100614-641591.html 宮崎亮が王座獲得] [[日刊スポーツ]] 2010年6月14日閲覧</ref><ref>[http://megalodon.jp/2010-0615-0654-58/hochi.yomiuri.co.jp/sports/box/news/20100614-OHT1T00276.htm 宮崎がTKO勝ち…ライトフライ級] [[スポーツ報知]] 2010年6月15日閲覧</ref>。宮崎はこの試合に対し、[[日本プロボクシング協会|東日本ボクシング協会]]の平成22年6月度月間[[最優秀選手|最優秀選手賞]]を受けた<ref>[http://megalodon.jp/2010-0708-1805-30/www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20100708-651008.html ボク6月最優秀選手賞に2冠王者宮崎亮] 日刊スポーツ 2010年7月8日閲覧</ref>。 |
同年6月14日、後楽園ホールでWBA12位・WBC8位のOPBF東洋太平洋ライトフライ級王者[[家住勝彦]](レイスポーツ)にWBA9位・WBC9位として挑戦。自身の日本王座は懸けずに対戦し、8R2分41秒TKO勝利で同王座を獲得した<ref>[http://megalodon.jp/2010-0615-0108-16/www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20100614-641591.html 宮崎亮が王座獲得] [[日刊スポーツ]] 2010年6月14日閲覧</ref><ref>[http://megalodon.jp/2010-0615-0654-58/hochi.yomiuri.co.jp/sports/box/news/20100614-OHT1T00276.htm 宮崎がTKO勝ち…ライトフライ級] [[スポーツ報知]] 2010年6月15日閲覧</ref>。宮崎はこの試合に対し、[[日本プロボクシング協会|東日本ボクシング協会]]の平成22年6月度月間[[最優秀選手|最優秀選手賞]]を受けた<ref>[http://megalodon.jp/2010-0708-1805-30/www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20100708-651008.html ボク6月最優秀選手賞に2冠王者宮崎亮] 日刊スポーツ 2010年7月8日閲覧</ref>。同年8月20日付で日本王座のみ返上した<ref>[http://megalodon.jp/2010-0827-0617-07/www.sponichi.co.jp/battle/news/2010/08/27/01.html 井岡 プロ6戦目でタイトル初挑戦] [[スポーツニッポン]] 2010年8月27日閲覧</ref>。 |
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== 戦績 == |
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* [[男子ボクサー一覧]] |
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* [[ボクシング日本王者一覧]] |
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* [[東洋太平洋ボクシング連盟王者一覧|東洋太平洋ボクシング連盟(OPBF)王者一覧]] |
* [[東洋太平洋ボクシング連盟王者一覧|東洋太平洋ボクシング連盟 (OPBF) 王者一覧]] |
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== 外部リンク == |
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* [http://boxrec.com/list_bouts.php?human_id=381116&cat=boxer BoxRecによる戦績] |
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{{Championshiptitle-3|第32代|日本|ライトフライ級|嘉陽宗嗣|N/A|2009年10月12日 - |
{{Championshiptitle-3|第32代|日本|ライトフライ級|嘉陽宗嗣|N/A|2009年10月12日 - 2010年8月20日(返上)}} |
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{{Championshiptitle-3|第31代|OPBF東洋太平洋|ライトフライ級|家住勝彦|N/A|2010年6月14日 - 現在}} |
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2010年9月4日 (土) 17:14時点における版
基本情報 | |
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本名 | 宮崎 亮 |
階級 | ライトフライ級 |
身長 | 156cm[1] |
国籍 |
|
誕生日 | 1988年8月20日(35歳) |
出身地 | 大阪府堺市 |
スタイル | 右ボクサーファイター |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 14 |
勝ち | 11 |
KO勝ち | 6 |
敗け | 0 |
引き分け | 3 |
宮崎 亮(みやざき りょう、男性、1988年8月20日 - )は、日本のプロボクサー。群馬県太田市生まれ、大阪府堺市出身。現OPBF東洋太平洋ライトフライ級、日本同級王者。井岡ボクシングジム所属。興國高等学校卒業[2]。
来歴
15歳で井岡ジムに入門し[3]、アマチュア時代には2005年のインターハイでフライ級優勝を収めるなどの実績を残した。
高校3年時の2006年12月24日、アゼリア大正でプロデビュー。フライ級4回戦に2RKO勝利を収めた。この後、兵庫・大阪での3試合に2勝 (1KO) 1分となった。2007年10月14日、大阪府立体育会館第2競技場で所属ジム会長の井岡弘樹が初主催した第1回チャンピオンズヒートのメインイベントとして橋本泰治(尼崎)と51.8kg契約8回戦を行い、3-0の判定勝利を収めた。この後、大阪での2試合に1勝 (1KO) 1分となった。
2008年6月22日、大阪府立体育会館第2競技場で第3回チャンピオンズヒートのメインイベントとしてタイミニマム級王者ガオフラチャーン・シットサイトーンと49.4kg契約10回戦を行い、3-0の判定勝利を収めた[4]。久高寛之らとスパーリングをして臨んだこの試合後、OPBF・日本にランク入りを果たした。同年11月24日、大阪府立体育会館第2競技場でOPBF東洋太平洋ミニマム級12位・日本ライトフライ級11位として山田卓哉(真正)と50.0kg契約10回戦を行い、9R3-0(90-80、90-82、87-84)の負傷判定勝利を収めた[5]。
2009年4月12日、大阪府立体育会館第1競技場でOPBFミニマム級14位・日本ライトフライ級9位として楠浩明(グリーンツダ)とフライ級8回戦を行い、初回2分57秒TKO勝利を収めた。同年7月22日、自身初の後楽園ホールでOPBFミニマム級12位・日本ライトフライ級9位として齋藤伸之助(白井・具志堅)とライトフライ級8回戦を行い、初回0分34秒TKO勝利を収めた[6]。宮崎はこの試合に対し、東日本ボクシング協会の平成21年7月度月間敢闘賞を受けた。
同年10月12日、後楽園ホールでWBA9位・WBC9位の日本ライトフライ級王者嘉陽宗嗣(白井・具志堅)に日本同級6位として挑戦。10R1分13秒、3-0(97-94、98-94、99-94)の負傷判定勝利で同王座を獲得し、井岡ジム開設8年目にして初の王者となった[7]。2010年2月21日、1位滝澤卓を迎えて松下IMPホールで行われた初防衛戦では開始34秒にダウンを奪い、3Rには自らがダウンする展開の中、3Rに偶然のバッティングでカットした滝澤の左側頭部からの出血がひどくなって、4R0分55秒に試合が止められ、この回負傷引き分けで王座を守った[8]。
同年6月14日、後楽園ホールでWBA12位・WBC8位のOPBF東洋太平洋ライトフライ級王者家住勝彦(レイスポーツ)にWBA9位・WBC9位として挑戦。自身の日本王座は懸けずに対戦し、8R2分41秒TKO勝利で同王座を獲得した[9][10]。宮崎はこの試合に対し、東日本ボクシング協会の平成22年6月度月間最優秀選手賞を受けた[11]。同年8月20日付で日本王座のみ返上した[12]。
戦績
- アマチュアボクシング:34戦30勝 (21KO・RSC) 4敗
- プロボクシング:14戦11勝 (6KO) 0敗3分
獲得タイトル
- 第59回インターハイフライ級優勝
- 第32代日本ライトフライ級王座(防衛1)
- 第31代OPBF東洋太平洋ライトフライ級王座(防衛0)
脚注
- ^ Be! Champ(By井岡) 西日本ボクシング協会 ボクシングニュース 2007年4月24日閲覧
- ^ 井岡一翔と同期。
- ^ 宮崎が嘉陽下す、初挑戦で新王者に(2/2ページ) サンケイスポーツ 2009年10月13日閲覧
- ^ 宮崎 10回判定勝ち 西日本ボクシング協会 ボクシングニュース 2008年6月23日閲覧 [リンク切れ]
- ^ 宮崎亮9回負傷判定勝ち…無敗記録「9」に伸ばす スポーツニッポン 2008年11月25日閲覧
- ^ 宮崎、後楽園初登場を一撃KOで飾る ボクシングニュース「Box-on!」 2009年7月22日閲覧
- ^ 井岡ジム初! 宮崎が“恩返し”の王座奪取 デイリースポーツ 2009年10月12日閲覧
- ^ 宮崎が負傷引き分けで日本王座防衛 デイリースポーツ 2010年2月21日閲覧
- ^ 宮崎亮が王座獲得 日刊スポーツ 2010年6月14日閲覧
- ^ 宮崎がTKO勝ち…ライトフライ級 スポーツ報知 2010年6月15日閲覧
- ^ ボク6月最優秀選手賞に2冠王者宮崎亮 日刊スポーツ 2010年7月8日閲覧
- ^ 井岡 プロ6戦目でタイトル初挑戦 スポーツニッポン 2010年8月27日閲覧
関連項目
外部リンク
前王者 嘉陽宗嗣 |
第32代日本ライトフライ級王者 2009年10月12日 - 2010年8月20日(返上) |
次王者 N/A |
前王者 家住勝彦 |
第31代OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者 2010年6月14日 - 現在 |
次王者 N/A |