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「屋我地大橋」の版間の差分

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初代の屋我地大橋は[[1953年]]に完成したが、[[1960年]]の[[1960年チリ地震|チリ地震]]の津波で橋の上部が流失(津波伝承碑が存在)<ref>{{Cite web |url=https://www.gsi.go.jp/common/000253464.pdf |title=沖縄県に伝わる津波伝承碑|publisher=国土地理院 |date= |accessdate=2024-06-26}}</ref>。それから3年後の[[1963年]]に2代目が完成し、30年にもわたって[[沖縄本島]]と結ぶ重要な交通手段を果たした。
初代の屋我地大橋は[[1953年]]に完成したが、[[1960年]]の[[1960年チリ地震|チリ地震]]の津波で橋の上部が流失(津波伝承碑が存在)<ref>{{Cite web |url=https://www.gsi.go.jp/common/000253464.pdf |title=沖縄県に伝わる津波伝承碑|publisher=国土地理院 |date= |accessdate=2024-06-26}}</ref>。それから3年後の[[1963年]]に2代目が完成し、30年にもわたって[[沖縄本島]]と結ぶ重要な交通手段を果たした。


しかし、本土復帰後の道路整備の過程で幅員が5.5メートルと極端に狭いこと、歩道がなくて交通安全上危険なこと、塩害による老朽化が問題になっていた<ref name="2016-8" />。そこで1980年代後半から新橋予備設計や橋梁実施設計が行われ、1993年3月27日に開通した<ref name="2016-8" />。3代目の橋は有効幅員が車道7.5メートル+歩道2.5メートルで、デザインも「屋我地大橋修景検討委員会」を設置して周辺環境に合わせたものが採用された<ref name="2016-8" />。
しかし、本土復帰後の道路整備の過程で幅員が5.5メートルと極端に狭いこと、歩道がなくて交通安全上危険なこと、[[塩害]]による老朽化が問題になっていた<ref name="2016-8" />。そこで1980年代後半から新橋予備設計や橋梁実施設計が行われ、1993年3月27日に開通した<ref name="2016-8" />。3代目の橋は有効幅員が車道7.5メートル+歩道2.5メートルで、デザインも「屋我地大橋修景検討委員会」を設置して周辺環境に合わせたものが採用された<ref name="2016-8" />。


屋我地島は本橋と羽地奥武橋で沖縄本島と結ばれている([[奥武島 (沖縄県名護市)|奥武島]]経由)。また、[[沖縄県道247号古宇利屋我地線|古宇利大橋]](開通:2005年)で[[今帰仁村]]の[[古宇利島]]に渡ることができる。屋我地島から今帰仁村側の沖縄本島に渡る[[ワルミ大橋]]も開通した(2010年12月)。
屋我地島は本橋と羽地奥武橋で沖縄本島と結ばれている([[奥武島 (沖縄県名護市)|奥武島]]経由)。また、[[沖縄県道247号古宇利屋我地線|古宇利大橋]](開通:2005年)で[[今帰仁村]]の[[古宇利島]]に渡ることができる。屋我地島から今帰仁村側の沖縄本島に渡る[[ワルミ大橋]]も開通した(2010年12月)。

2024年6月26日 (水) 14:03時点における最新版

沖縄県道110号標識

屋我地大橋(やがじおおはし)は、沖縄県名護市真喜屋の奥武島(無人島)と同市屋我地島とを結ぶ橋長300メートルの沖縄県道110号線の橋[1]1993年3月に完成した[1]

概要

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初代の屋我地大橋は1953年に完成したが、1960年チリ地震の津波で橋の上部が流失(津波伝承碑が存在)[2]。それから3年後の1963年に2代目が完成し、30年にもわたって沖縄本島と結ぶ重要な交通手段を果たした。

しかし、本土復帰後の道路整備の過程で幅員が5.5メートルと極端に狭いこと、歩道がなくて交通安全上危険なこと、塩害による老朽化が問題になっていた[1]。そこで1980年代後半から新橋予備設計や橋梁実施設計が行われ、1993年3月27日に開通した[1]。3代目の橋は有効幅員が車道7.5メートル+歩道2.5メートルで、デザインも「屋我地大橋修景検討委員会」を設置して周辺環境に合わせたものが採用された[1]

屋我地島は本橋と羽地奥武橋で沖縄本島と結ばれている(奥武島経由)。また、古宇利大橋(開通:2005年)で今帰仁村古宇利島に渡ることができる。屋我地島から今帰仁村側の沖縄本島に渡るワルミ大橋も開通した(2010年12月)。

2010年12月のワルミ大橋開通まで本島と結ぶ唯一の橋で、古宇利島民が沖縄本島(今帰仁村中心部方面)に行くには屋我地大橋を経由しなければならなかった[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 屋我地大橋”. 沖縄県. 2024年6月26日閲覧。
  2. ^ 沖縄県に伝わる津波伝承碑”. 国土地理院. 2024年6月26日閲覧。

外部リンク

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座標: 北緯26度38分39.1秒 東経128度01分57.3秒 / 北緯26.644194度 東経128.032583度 / 26.644194; 128.032583