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* [[1872年]]([[明治]]5年) - 中之番村、金屋村、端畑村、野地原村、南坂村、西洞村、本地村、佐口村が合併し、山之上村となる。 |
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* [[1921年]]([[大正]]10年)頃 - 山之上台地で果樹栽培が開始される。 |
* [[1921年]]([[大正]]10年)頃 - 山之上台地で果樹栽培が開始される。 |
2014年4月11日 (金) 15:55時点における版
山之上村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
合併 |
現在の自治体 | 美濃加茂市 |
廃止時点のデータ | |
国 |
|
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 加茂郡 |
面積 | 11.21 km2. |
総人口 |
2,597人 (1954年) |
隣接自治体 |
加茂郡太田町、古井町、川辺町 三和村、伊深村、蜂屋村、下之保村 |
山之上村役場 | |
所在地 | 岐阜県加茂郡山之上村 |
ウィキプロジェクト |
山之上村(やまのうえむら)は、かつて岐阜県加茂郡にあった村である。
現在の美濃加茂市東部に該当する。
北部は標高357mの富士山(山之上富士)など、標高100~200mの山間の地域であり、南部は台地となっている。台地は山之上台地といい、赤色粘土質の田畑に不向きな土地であったが、大正時代から果樹栽培が開始され、カキ、ブドウ、クリ、ナシの産地となっている。現在でもこの地域は果樹栽培が盛んである。
歴史
- 江戸時代初期、山之上村は美濃国加茂郡に属し、尾張藩領であった。時期は不明であるが山之上村は分割され、江戸時代末期には中之番村、金屋村、端畑村、野地原村、南坂村、西洞村、本地村、佐口村となっていた。
- 1872年(明治5年) - 中之番村、金屋村、端畑村、野地原村、南坂村、西洞村、本地村、佐口村が合併し、山之上村となる。
- 1921年(大正10年)頃 - 山之上台地で果樹栽培が開始される。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 太田町、古井町、下米田村、伊深村、蜂屋村、山之上村、加茂野村、および三和村の一部が合併して美濃加茂市となる。
学校
- 山之上村立山之上小学校 (現・美濃加茂市立山之上小学校)
- 山之上村立山之上中学校 (1960年に古井中学校・山之上中学校・下米田中学校の3校が統合され、現・美濃加茂市立東中学校)