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2012年10月3日 (水) 02:46時点における版


やまむら そう
山村 聰
山村 聰
『黒い潮』(1954年)
本名 古賀 寛定(こが ひろさだ)
別名義 山村 聡
生年月日 (1910-02-24) 1910年2月24日
没年月日 (2000-05-26) 2000年5月26日(90歳没)
出生地 奈良県天理市
死没地 東京都中野区
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
血液型 AB型
職業 俳優映画監督
ジャンル 映画・舞台・テレビドラマ
活動期間 1936年 - 2000年
 
受賞
日本アカデミー賞
会長特別賞 2001年
ブルーリボン賞
主演男優賞
1950年宗方姉妹
助演男優賞
1961年あれが港の灯だ』、『河口
その他の賞
毎日映画コンクール
男優主演賞
1954年山の音』、『黒い潮
助演賞
1950年 『宗方姉妹』、
大利根の夜霧』、『帰郷
キネマ旬報賞 主演男優賞
1964年傷だらけの山河
日本映画批評家大賞
1995年 ゴールデン・グローリー賞
紫綬褒章 1977年
勲四等旭日小綬章 1983年
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山村 聰(やまむら そう、男性、1910年明治43年)2月24日 - 2000年平成12年)5月26日)は、日本俳優映画監督山村聡の表記もある。本名は古賀 寛定 (こが ひろさだ)。

芸能活動は半世紀を越え、映画テレビドラマ舞台で幅広い役柄を演じた昭和の名優の一人として知られており、紫綬褒章勲四等旭日小綬章を受章している。

来歴・人物

奈良県天理市出身。神戸一中一高東京帝国大学文学部卒業。

研究劇団「太陽座」に入団。戦前の劇団文化座等での舞台活動を経て、1946年昭和21年)、『命ある限り』で映画初出演。1947年昭和22年)、溝口健二監督作品の『女優須磨子の恋』で田中絹代演じる松井須磨子の愛人役・島村抱月役に抜擢され、1950年昭和25年)には小津安二郎監督作品の『宗方姉妹』で第1回ブルーリボン賞の主演男優賞を受賞するなど数多くの映画に出演する一方、1952年昭和27年)には東宝砧撮影所の芸能部長であった山田典吾と共に独立プロ「現代ぷろだくしょん」を設立し、翌年第1回監督作品『蟹工船』を発表するなど映画監督としても活躍した。

1960年代以降は『ただいま11人』、『あゝ忠臣蔵』、『春の坂道』、『必殺仕掛人』、『華麗なる一族』、『柳生一族の陰謀』、『服部半蔵 影の軍団』、『ザ・ハングマン』など、数々の時代劇テレビドラマに出演。威厳のある大物・父親や、歴史上の人物(徳川家康保科正之平賀源内)など、幅広く演じていた。

映画『世界大戦争』、『ノストラダムスの大予言』、『ゴジラvsキングギドラ』、テレビ版『日本沈没』では総理大臣を演じている。日本演劇界で最も多く総理大臣を演じた俳優であり、2011年平成23年)現在でもトップである。また『日本のいちばん長い日』と『激動の昭和史 軍閥』で米内光政を二度演じている。

ハリウッド映画では、1958年に公開された20世紀フォックス製作の映画『黒船』(ジョン・ヒューストン監督)の下田奉行役でジョン・ウェインと、1986年に公開されたパラマウント映画ガン・ホー』(ロン・ハワード監督)の日本の自動車メーカーの重役・坂本役でマイケル・キートンとそれぞれ共演している。

1970年昭和45年)に黒澤明が監督を降板した真珠湾攻撃を描いた日米合作の戦争映画『トラ・トラ・トラ!』では連合艦隊司令長官山本五十六を演じた。同作で日本側の監督を務めた舛田利雄の証言によると当時、山村は撮影場所の京都で別の仕事が入っており、その作品と掛け持ちで出演した。

片岡千恵蔵森繁久彌池部良三船敏郎丹波哲郎渥美清八千草薫高倉健宇津井健仲代達矢池内淳子若尾文子石原裕次郎千葉真一長渕剛らと共演しており、溝口健二小津安二郎成瀬巳喜男山本薩夫今井正新藤兼人市川崑小林正樹岡本喜八増村保造舛田利雄篠田正浩らの作品に起用されてきた。

CM出演では、トヨタ自動車クラウンの専属CMキャラクターを1967年(昭和42年)S50系、3代目)から1983年(昭和58年)までの16年間の長きにわたり務めていた。当時、公用車や社用車のイメージの強いクラウンに、「白いクラウン」や「ハイライフ・クラウン」などのキャッチフレーズを付けて多大な広告を打ち、オーナードライバーに向けた高級車としてのイメージを作り上げることに成功し、一般大衆にも広く認知されるようになるなど、山村聰を専属CMキャラクターに採用した効果は絶大であった。1971年(昭和46年)に発売された4代目クラウン(S60系、通称クジラクラウン)の発売に伴い山村は降板したが、時代を先取りしたスピンドル・シェイプ(紡錘形)と呼ばれる丸みを帯びた先進的なスタイルの4代目クラウンは、先進的ではあったものの、オーソドックスで保守的志向の歴代のクラウンユーザーやクラウンファンには受け入れられず、人気と販売台数が低迷した。この回復を図るべく、4代目の発売から1年程で山村が再登板するに至り、以降1983年迄(S110系最終)の長きにわたり務めあげ、「トヨタ・クラウン=山村聰」のイメージを作り上げた。 

そして、当時のトヨタ・クラウンのライバル車種であった日産・セドリックの専属CMキャラクターを務めていた俳優の二谷英明も同様に「日産・セドリック=二谷英明」のイメージを作り上げ、山村聰が専属CMキャラクターを務めていたトヨタ・クラウンと、二谷英明が専属CMキャラクターを務めていた日産・セドリックで、互いに長きにわたる良きライバル関係を築いていた。

熱心な釣り人としても知られ『釣りひとり』という著書も出版している。

2000年平成12年)5月26日午後4時40分、急性心筋梗塞のため東京都中野区の病院で死去。90歳没。

出演

映画

テレビドラマ

舞台

  • 黄昏
  • 女たちの忠臣蔵

CM

監督作品

晩年

  • 80歳を過ぎた1990年代に、入っても名演技を見せ単なる大物役ではなく、黒幕を演じる事もあった。

著書

関連文献

  • 『武蔵村山における戦後の文化活動-俳優・山村聰をとりまく演劇・音楽活動-特別展解説書』 武蔵村山市立歴史民俗資料館、2001年

外部リンク