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同じく1933年、京都帝国大学文学部副手に採用(-1943年5月)。1937年より[[外務省]]在支特別研究員として[[中華民国 (1912年-1949年)|中華民国]][[北平市]](現:[[北京市]])に留学。華中・華北・東北・蒙古等の史蹟の調査を行い、中国美術・考古の研究を進めた。中でも良く知られているのは、1942年から1944年にかけて[[山西省 (汪兆銘政権)|山西省]][[陽高県]]で行われた古墳の発掘調査である<ref>[https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN05467432 陽高古城堡:中国山西省陽高県古城堡漢墓』]</ref>。その後も1945年6月まで華北交通株式会社嘱託などとして[[東方文化学院]]北京出張所に在籍し、史蹟の調査・研究にあたった<ref>{{Cite journal|和書|author=田中重雄 |date=1974-09 |url=https://hdl.handle.net/2433/57136 |title=雲岡十八洞測量図仕末記 |journal=人文 |volume=10 |pages=21-22 |publisher=京都大学人文科学研究所 |hdl=2433/57136 |accessdate=2024-05-01}}</ref>。
同じく1933年、京都帝国大学文学部副手に採用(-1943年5月)。1937年より[[外務省]]在支特別研究員として[[中華民国 (1912年-1949年)|中華民国]][[北平市]](現:[[北京市]])に留学。華中・華北・東北・蒙古等の史蹟の調査を行い、中国美術・考古の研究を進めた。中でも良く知られているのは、1942年から1944年にかけて[[山西省 (汪兆銘政権)|山西省]][[陽高県]]で行われた古墳の発掘調査である<ref>{{cite book|和書|author=東方考古学会 |title=陽高古城堡 : 中国山西省陽高県古城堡漢墓 |publisher=六興出版 |year=1990 |series=東方考古学叢刊 |id={{NDLJP|13268003}} |url=https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002053845 |ISBN=4-8453-3039-3}}</ref>。その後も1945年6月まで華北交通株式会社嘱託などとして[[東方文化学院]]北京出張所に在籍し、史蹟の調査・研究にあたった<ref>{{Cite journal|和書|author=田中重雄 |date=1974-09 |url=https://hdl.handle.net/2433/57136 |title=雲岡十八洞測量図仕末記 |journal=人文 |volume=10 |pages=21-22 |publisher=京都大学人文科学研究所 |hdl=2433/57136 |accessdate=2024-05-01}}</ref>。


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帰国後は、一時は郷里長野県の日野青年学校教官、日野中等学校教諭を務めた。1949年8月、[[奈良国立博物館]]研究員となった。その後、学芸課工芸室長、考古室長、1964年からは学芸課長<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E9%87%8E%20%E5%8B%9D%E5%B9%B4-1641616 小野 勝年とは - コトバンク]</ref>。1962年、学位論文『[[円仁]]求法之研究』を[[京都大学]]に提出して[[博士(文学)|文学博士]]の学位を取得<ref>[https://ci.nii.ac.jp/naid/500000318757 CiNii(学位論文)]</ref>。1967年に奈良国立博物館を退職。その後は1980年まで[[龍谷大学]]文学部教授として東洋史学や博物館学を担当した<ref name="kotobank"/>。奈良国立博物館在任中より、[[奈良女子大学]]、[[京都大学]]、[[関西大学]]など関西圏の多くの大学で[[博物館学]]や東洋文化史の講義を受け持ち、後進の指導にあたった。1988年、[[急性心不全]]のため奈良県奈良市の自宅で死去。
帰国後は、一時は郷里長野県の日野青年学校教官、日野中等学校教諭を務めた。1949年8月、[[奈良国立博物館]]研究員となった。その後、学芸課工芸室長、考古室長、1964年からは学芸課長<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E9%87%8E%20%E5%8B%9D%E5%B9%B4-1641616 小野 勝年とは - コトバンク]</ref>。1962年、[[京都大学]]にて[[博士(文学)|文学博士]]の学位を取得<ref>{{cite thesis|和書|author=小野勝年 |title=円仁求法之研究 |publisher=京都大学 |series=文学博士 報告番号不明 |year=1962 |naid=500000318757 |url=https://id.ndl.go.jp/bib/000007813453}}</ref>。1967年に奈良国立博物館を退職。その後は1980年まで[[龍谷大学]]文学部教授として東洋史学や博物館学を担当した<ref name="kotobank"/>。奈良国立博物館在任中より、[[奈良女子大学]]、[[京都大学]]、[[関西大学]]など関西圏の多くの大学で[[博物館学]]や東洋文化史の講義を受け持ち、後進の指導にあたった。1988年、[[急性心不全]]のため奈良県奈良市の自宅で死去。


==受賞==
==受賞==

2024年5月23日 (木) 08:34時点における版

小野 勝年おの かつとし
人物情報
生誕 (1905-12-01) 1905年12月1日
日本の旗 日本 長野県
死没 (1988-12-20) 1988年12月20日(83歳没)
日本の旗 日本 奈良県奈良市
出身校 京都帝国大学
学問
研究分野 歴史学東洋史・仏教史)
研究機関 奈良国立博物館
学位 文学博士京都大学
主な受賞歴 日本学士院賞
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小野 勝年(おの かつとし、1905年12月1日 - 1988年12月20日)は、日本歴史家。専門は、東洋史・仏教史[1]

経歴

出生から修学期

1905年、長野県[1]上伊那郡小野村(現:辰野町)で生まれた。長野県松本中学校松本高等学校文科乙類を経て、1927年に京都帝国大学文学部史学科に入学。在学中に2年間病気療養のために休学したが、1933年に卒業論文『両税制度の一考察を提出して卒業[1]。京都帝国大学大学院へ進んだ。

戦前

同じく1933年、京都帝国大学文学部副手に採用(-1943年5月)。1937年より外務省在支特別研究員として中華民国北平市(現:北京市)に留学。華中・華北・東北・蒙古等の史蹟の調査を行い、中国美術・考古の研究を進めた。中でも良く知られているのは、1942年から1944年にかけて山西省陽高県で行われた古墳の発掘調査である[2]。その後も1945年6月まで華北交通株式会社嘱託などとして東方文化学院北京出張所に在籍し、史蹟の調査・研究にあたった[3]

戦後

帰国後は、一時は郷里長野県の日野青年学校教官、日野中等学校教諭を務めた。1949年8月、奈良国立博物館研究員となった。その後、学芸課工芸室長、考古室長、1964年からは学芸課長[4]。1962年、京都大学にて文学博士の学位を取得[5]。1967年に奈良国立博物館を退職。その後は1980年まで龍谷大学文学部教授として東洋史学や博物館学を担当した[1]。奈良国立博物館在任中より、奈良女子大学京都大学関西大学など関西圏の多くの大学で博物館学や東洋文化史の講義を受け持ち、後進の指導にあたった。1988年、急性心不全のため奈良県奈良市の自宅で死去。

受賞

著作

著書
  1. 第1巻(1964年)
  2. 第2巻(1966年)
  3. 第3巻(1967年)
  4. 第4巻(1969年)
  • 新版 『入唐求法巡礼行記の研究』 全4巻(法蔵館 1989年)


共著・共編
  • 『陽高古城堡 中国山西省陽高県古城堡漢墓』(六興出版 1990年)[7]


訳・注解
  • 歴代名画記張彦遠岩波文庫 1938年)
    • 復刊 1985年
    • 復刊 1996年
  • 『北京年中行事記』(岩波文庫 1941年)
    • 復刊 1987年
    • 復刊 2007年
  • 『燕京歳時記-北京年中行事記』(平凡社東洋文庫 1967年)
    • ワイド版 2006年
記念論文集
  • 『東方学論集 小野勝年博士頌寿記念』(龍谷大学東洋史学研究会 1982年)

参考資料

  • 小野勝年『日本美術年鑑』平成元年版[8]

脚注

  1. ^ a b c d e 小野勝年とは - コトバンク
  2. ^ 東方考古学会『陽高古城堡 : 中国山西省陽高県古城堡漢墓』六興出版〈東方考古学叢刊〉、1990年。ISBN 4-8453-3039-3NDLJP:13268003https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002053845 
  3. ^ 田中重雄「雲岡十八洞測量図仕末記」『人文』第10巻、京都大学人文科学研究所、1974年9月、21-22頁、hdl:2433/571362024年5月1日閲覧 
  4. ^ 小野 勝年とは - コトバンク
  5. ^ 小野勝年『円仁求法之研究』京都大学〈文学博士 報告番号不明〉、1962年。 NAID 500000318757https://id.ndl.go.jp/bib/000007813453 
  6. ^ 恩賜賞・日本学士院賞・日本学士院エジンバラ公賞受賞一覧”. 日本学士院. 2011年3月2日閲覧。
  7. ^ 編者代表を務めた。
  8. ^ 東文研アーカイブス