「尾州不二見原」の版間の差分
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画面中央に[[樽|大樽]]の中で[[板]]を削る[[職人]]の姿が描かれ、樽の中から[[田|田園風景]]の彼方に小さく富士の姿を見る。樽の左側には[[箍]](たが)が描かれている。北斎の大胆な[[構図]]を代表する一枚で、富士の姿と働く人々の姿を組み合わせた作品としては他に「[[遠江山中]]」や「[[穏田の水車]]」が知られる。 |
画面中央に[[樽|大樽]]の中で[[板]]を削る[[職人]]の姿が描かれ、樽の中から[[田|田園風景]]の彼方に小さく富士の姿を見る。樽の左側には[[箍]](たが)が描かれている。北斎の大胆な[[構図]]を代表する一枚で、富士の姿と働く人々の姿を組み合わせた作品としては他に「[[遠江山中]]」や「[[穏田の水車]]」が知られる。 |
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描かれている場所は[[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]]の富士見原あるいは伏見町とされ、富士見原は名古屋郊外の[[遊郭]]や[[武家屋敷]]が存在する名勝地であった。 |
描かれている場所は[[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]]の富士見原あるいは伏見町とされ、富士見原は名古屋郊外の[[遊郭]]や[[武家屋敷]]が存在する名勝地であった。ただし実際は[[美濃三河高原|三河高原]]や[[赤石山脈|南アルプス]]に阻まれるために名古屋市内から富士山を見ることはできず、作中で富士山として描かれている山は南アルプスの[[聖岳]]とされる。 |
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== 脚注 == |
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2016年8月28日 (日) 06:11時点における版
尾州不二見原(びしゅうふじみがはら)は、葛飾北斎の浮世絵風景画『富嶽三十六景』のうちの一枚。
富嶽三十六景は江戸時代後期の浮世絵師葛飾北斎による富士山を描いた富士図の連作で、天保2年(1831年)から天保4年(1833年)頃にかけて刊行された。全36図、追加10図。
画面中央に大樽の中で板を削る職人の姿が描かれ、樽の中から田園風景の彼方に小さく富士の姿を見る。樽の左側には箍(たが)が描かれている。北斎の大胆な構図を代表する一枚で、富士の姿と働く人々の姿を組み合わせた作品としては他に「遠江山中」や「穏田の水車」が知られる。
描かれている場所は愛知県名古屋市中区の富士見原あるいは伏見町とされ、富士見原は名古屋郊外の遊郭や武家屋敷が存在する名勝地であった。ただし実際は三河高原や南アルプスに阻まれるために名古屋市内から富士山を見ることはできず、作中で富士山として描かれている山は南アルプスの聖岳とされる。
脚注
参考文献
- 『北斎と広重 ふたりの富嶽三十六景』山梨県立博物館、平成19年