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「三姓穴」の版間の差分

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== 概要 ==
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2024年6月16日 (日) 18:00時点における最新版

三姓穴
各種表記
ハングル 삼성혈
漢字
RR式 Samseonghyeol
MR式 Samsŏnghyŏl
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三姓穴(さんせいけつ)は、大韓民国済州島済州特別自治道済州市二徒1洞にある聖地[1]。済州島にあった耽羅国の建国者である高乙那梁乙那夫乙那の三神人が三姓穴から誕生した[2]1964年6月10日大韓民国指定史跡第134号に指定[1]。三姓穴は国の所有ではないため、財団法人が管理している[1]高乙那梁乙那夫乙那の三神人の末裔とされる済州高氏済州梁氏済州夫氏の人々によって、毎年春と秋に祭礼が行われている[2]

概要

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高麗史』地理志に引用された『古記朝鮮語: 고기)』によると、太古、済州島漢拏山の北山麓の三姓穴から、高乙那良乙那夫乙那の三神人が湧き出てきた[1]。三神人は、狩りをしながら暮らしていたが、ある日、済州島の東海岸に日本国から流れてきた木箱が漂着した。木箱には、三人の日本国王の娘、、五穀のが入っていた[1]。良乙那、高乙那、夫乙那の三神人は、それぞれ日本国王の娘と婚姻し、農業を営み、耽羅国の生活基盤を開拓した[1]。この高乙那、良乙那、夫乙那の三神人の末裔とされるのが済州高氏済州梁氏済州夫氏の人々である[2]

三姓穴説話

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耽羅縣在全羅道南海中。其古記云:「太初無人物,三神人,從地聳出,〈其主山北麓,有穴曰毛興,是其地也。〉長曰良乙那,次曰高乙那,三曰夫乙那。三人遊獵荒僻,皮衣肉食。一日見紫泥封藏木函,浮至于東海濱,就而開之,函內又有石函,有一紅帶紫衣使者,隨來。開石函,出現靑衣處女三,及諸駒犢五穀種。乃曰:『我是日本國使也。吾王生此三女云,「西海中嶽,降神子三人,將欲開國,而無配匹。」於是,命臣侍三女,以來爾。宜作配,以成大業』。

瀛州と呼ばれ、未だ人の住まない太古の済州に、良乙那、高乙那、夫乙那の3つの姓のある三人の神人が、漢拏山の北山麓の地の、三姓穴に現れ、これが済州人の先祖である。ある日、漢拏山を展望していた彼らは、東方から流れてくる木箱を発見した。開けてみると、箱のなかには日本国から来たという使者と美しい三人の姫、家畜や五穀の種が入っていた。三人の神人は、彼女達を妻として迎え、産業と五穀の栽培を始めて集落をつくった。 — 高麗史、巻五十七

脚注

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関連項目

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