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「三遊亭遊雀」の版間の差分

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#初代[[三遊亭圓遊]]門下。後に三遊亭左圓遊から2代目[[三遊亭小圓遊]]を経て、2代目[[三遊亭圓遊]]を襲名。本名は吉田由之助。
#初代[[三遊亭圓遊]]門下。後に三遊亭左圓遊から2代目[[三遊亭小圓遊]]を経て、2代目[[三遊亭圓遊]]を襲名。本名は吉田由之助。
#初代圓遊門下。[[品川]]出身。遊太郎から、遊八を経て遊雀を名乗る。その他詳細は不明。
#初代圓遊門下。[[品川 (東京都)|品川]]出身。遊太郎から、遊八を経て遊雀を名乗る。その他詳細は不明。
#初代圓遊門下。[[上州]]で亡くなったということ以外の詳細は不明。
#初代圓遊門下。[[上州]]で亡くなったということ以外の詳細は不明。
#2代目圓遊門下。[[柳家小かね]](本名:川上兼二郎)と同一人物と思われる。
#2代目圓遊門下。[[柳家小かね]](本名:川上兼二郎)と同一人物と思われる。
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*[[2001年]]9月 - 真打昇進。
*[[2001年]]9月 - 真打昇進。
*[[2006年]] - 平成17年度彩の国落語大賞(演目『初天神』)
*[[2006年]] - 平成17年度彩の国落語大賞(演目『初天神』)
*[[2006年]]10月 - 落語芸術協会の[[三遊亭小遊三]]門下に移籍。「遊雀」と改名。
*2006年10月 - 落語芸術協会の[[三遊亭小遊三]]門下に移籍。「遊雀」と改名。
*[[2007年]] - 平成18年度国立演芸場主催「[[花形演芸大賞]]」金賞
*[[2007年]] - 平成18年度国立演芸場主催「[[花形演芸大賞]]」金賞
*[[2008年]] - 平成19年度国立演芸場主催「花形演芸大賞」大賞
*[[2008年]] - 平成19年度国立演芸場主催「花形演芸大賞」大賞

2009年10月3日 (土) 09:06時点における版

三遊亭 遊雀(さんゆうてい ゆうじゃく)は、落語家

遊雀を名乗った落語家は過去6人ほど確認されている。

  1. 初代三遊亭圓遊門下。後に三遊亭左圓遊から2代目三遊亭小圓遊を経て、2代目三遊亭圓遊を襲名。本名は吉田由之助。
  2. 初代圓遊門下。品川出身。遊太郎から、遊八を経て遊雀を名乗る。その他詳細は不明。
  3. 初代圓遊門下。上州で亡くなったということ以外の詳細は不明。
  4. 2代目圓遊門下。柳家小かね(本名:川上兼二郎)と同一人物と思われる。
  5. (生年月日不詳 - 1930年10月24日)通称「道灌遊雀」。本名は鈴木八三郎。出来る噺が『道灌』『天災』『元犬』の3つしか無いが、その代わり道灌などを演じさせればどんな客でも飽きさせなかったという。遊雀が楽屋入りをすると、真っ先にネタ帳(楽屋に備え付けられている帳面で、同じ噺が2度出ないようにするために、演者とその日に演じたネタを書き記す)に目を通し、これら3つの噺を誰かがやっている事が分かると、高座には上がらずに割(給金)だけを貰って帰ってしまっていた。道灌遊雀のこの行為は寄席では半ば公認になっていた。1917年の連名には「余興紹介圓遊社主任」の肩書きで出ている。晩年は貸金業を営んでいたという。
  6. 本名は畠山太郎。本項にて詳述。

三遊亭 遊雀1965年1月28日 - )は、千葉県船橋市出身の落語家。本名は畠山 太郎(はたけやま たろう)。落語芸術協会所属。出囃子は『粟餅』。日本福祉大学中退。

大学時代に落語研究会に所属し地元の老人ホームなどで落語を披露していた。

略歴

  • 1988年2月 - 落語協会の3代目柳家権太楼の下に入門。前座名「さん太」。
  • 1991年10月 - 二つ目に昇進。「三太楼」に改名。
  • 1995年 - 平成7年「NHK新人演芸大賞」落語部門大賞
  • 2001年9月 - 真打昇進。
  • 2006年 - 平成17年度彩の国落語大賞(演目『初天神』)
  • 2006年10月 - 落語芸術協会の三遊亭小遊三門下に移籍。「遊雀」と改名。
  • 2007年 - 平成18年度国立演芸場主催「花形演芸大賞」金賞
  • 2008年 - 平成19年度国立演芸場主催「花形演芸大賞」大賞

著書

参考文献