コンテンツにスキップ

「三遊亭遊雀」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
2行目: 2行目:


遊雀を名乗った落語家は、過去に6人ほど確認されている。<!--代数をつけて呼ぶことは無い。-->
遊雀を名乗った落語家は、過去に6人ほど確認されている。<!--代数をつけて呼ぶことは無い。-->
==歴代==

#初代[[三遊亭圓遊]]門下。後に三遊亭左圓遊から2代目[[三遊亭小圓遊]]を経て、2代目[[三遊亭圓遊]]を襲名。本名、'''吉田 由之助'''。
#初代[[三遊亭圓遊]]門下。後に三遊亭左圓遊から2代目[[三遊亭小圓遊]]を経て、2代目[[三遊亭圓遊]]を襲名。本名、'''吉田 由之助'''。
#初代圓遊門下。[[品川 (東京都)|品川]]出身。遊太郎から、遊八を経て遊雀を名乗る。その他詳細は不明。
#初代圓遊門下。[[品川 (東京都)|品川]]出身。遊太郎から、遊八を経て遊雀を名乗る。その他詳細は不明。
#初代圓遊門下。[[上野国|上州]]で亡くなったということ以外の詳細は不明。
#初代圓遊門下。[[上野国|上州]]で亡くなったということ以外の詳細は不明。
#2代目圓遊門下。[[柳家小かね]](本名:川上兼二郎)と同一人物と思われる。
#2代目圓遊門下。[[柳家小かね]](本名:川上兼二郎)と同一人物と思われる。
#(生年月日不詳 - [[1930年]][[10月24日]]):通称「道灌遊雀」。本名、'''鈴木 八三郎'''。
#(生年月日不詳 - [[1930年]][[10月24日]]):通称「道灌遊雀」。本名、'''鈴木 八三郎'''。出来る噺が『[[道灌_(落語)|道灌]]』『天災』『元犬』の3つしかないが、その代わり『道灌』などを演じさせればどんな客でも飽きさせなかったという。遊雀が[[楽屋]]入りをすると、真っ先に[[ネタ帳]](楽屋に備え付けられている帳面で、同じ噺が2度出ないようにするために、演者とその日に演じたネタを書き記す)に目を通し、これら3つの噺を誰かがやっていることが分かると、高座には上がらずに[[割 (寄席)|割(給金)]]だけを貰って帰ってしまっていた。道灌遊雀のこの行為は[[寄席]]では半ば公認になっていた。[[1917年]]の連名には「余興紹介圓遊社主任」の肩書きで出ている。晩年は[[貸金業]]を営んでいたという。
{{落語家
| 芸名 = {{ruby|三遊亭|さんゆうてい}} {{ruby|遊雀|ゆうじゃく}}
| 画像ファイル =
| 画像サイズ =
| 画像コメント =
| 本名 = 鈴木 八三郎
| 別名 = '''道灌遊雀'''
| 出身地 =
| 死没地 =
| 生年 = 不詳
| 生月 =
| 生日 =
| 没年 = 1930
| 没月 = 10
| 没日 = 24
| 師匠 =
| 弟子 =
| 名跡=
| 出囃子 =
| 活動期間 =
| 活動内容 =
| 配偶者 =
| 家族 =
| 所属 =
| 公式サイト =
| 主な作品 =
| 受賞歴 =
| 備考 =
}}

出来る噺が『[[道灌_(落語)|道灌]]』『天災』『元犬』の3つしかないが、その代わり『道灌』などを演じさせればどんな客でも飽きさせなかったという。遊雀が[[楽屋]]入りをすると、真っ先に[[ネタ帳]](楽屋に備え付けられている帳面で、同じ噺が2度出ないようにするために、演者とその日に演じたネタを書き記す)に目を通し、これら3つの噺を誰かがやっていることが分かると、高座には上がらずに[[割 (寄席)|割(給金)]]だけを貰って帰ってしまっていた。道灌遊雀のこの行為は[[寄席]]では半ば公認になっていた。[[1917年]]の連名には「余興紹介圓遊社主任」の肩書きで出ている。晩年は[[貸金業]]を営んでいたという。
#本名、'''畠山 太郎'''。本項にて詳述。
#本名、'''畠山 太郎'''。本項にて詳述。



2019年12月30日 (月) 18:13時点における版

三遊亭 遊雀(さんゆうてい ゆうじゃく)は、落語家

遊雀を名乗った落語家は、過去に6人ほど確認されている。

歴代

  1. 初代三遊亭圓遊門下。後に三遊亭左圓遊から2代目三遊亭小圓遊を経て、2代目三遊亭圓遊を襲名。本名、吉田 由之助
  2. 初代圓遊門下。品川出身。遊太郎から、遊八を経て遊雀を名乗る。その他詳細は不明。
  3. 初代圓遊門下。上州で亡くなったということ以外の詳細は不明。
  4. 2代目圓遊門下。柳家小かね(本名:川上兼二郎)と同一人物と思われる。
  5. (生年月日不詳 - 1930年10月24日):通称「道灌遊雀」。本名、鈴木 八三郎
三遊亭さんゆうてい 遊雀ゆうじゃく
本名 鈴木 八三郎
別名 道灌遊雀
生年月日 不詳年
没年月日 1930年10月24日

出来る噺が『道灌』『天災』『元犬』の3つしかないが、その代わり『道灌』などを演じさせればどんな客でも飽きさせなかったという。遊雀が楽屋入りをすると、真っ先にネタ帳(楽屋に備え付けられている帳面で、同じ噺が2度出ないようにするために、演者とその日に演じたネタを書き記す)に目を通し、これら3つの噺を誰かがやっていることが分かると、高座には上がらずに割(給金)だけを貰って帰ってしまっていた。道灌遊雀のこの行為は寄席では半ば公認になっていた。1917年の連名には「余興紹介圓遊社主任」の肩書きで出ている。晩年は貸金業を営んでいたという。

  1. 本名、畠山 太郎。本項にて詳述。

当代

三遊亭さんゆうてい 遊雀ゆうじゃく
本名 畠山 太郎
生年月日 (1965-01-28) 1965年1月28日(59歳)
出身地 日本の旗 日本千葉県船橋市
師匠 3代目柳家権太楼
三遊亭小遊三
名跡 1. 柳家さん太(1988年 - 1991年)
2. 柳家三太楼(1991年 - 2006年)
3. 三遊亭遊雀(2006年 - )
活動期間 1988年 -
所属 落語協会(1988年 - 2006年)
落語芸術協会(2006年 - )
ショーキャンプ有限会社(マネジメント)
受賞歴
第5回「北とぴあ若手落語家競演会」北とぴあ大賞(1995年)
平成7年「NHK新人演芸大賞」落語部門大賞(1995年)
平成17年度彩の国落語大賞(2006年)
平成18年度国立演芸場主催「花形演芸大賞」金賞(2007年)
平成19年度国立演芸場主催「花形演芸大賞」大賞(2008年)

三遊亭 遊雀1965年昭和40年〉1月28日 - )は、千葉県船橋市出身の落語家。本名、畠山 太郎(はたけやま たろう)。落語芸術協会所属。出囃子は『粟餅』。

私立市川高等学校卒業。高校時代は陸上競技部に所属し、中長距離走をメインに競技する。その後、日本福祉大学に進学して中退。大学時代には落語研究会に所属し、地元の老人ホームなどで落語を披露していた。

略歴

著書

CD・DVD

CD

  • 笑う全日空寄席 1(2010年、日本コロムビア) ※『堪忍袋』を収録。
  • ペタタン・タタン(2017年、SPICYHEAD RECORDS)※「お噺」を担当。[1]

DVD

一門弟子

脚注

  1. ^ アルバム「ペタタン・タタン」”. SPICYHEAD, LLC.. 2018年7月2日閲覧。
  2. ^ 師匠の三遊亭遊雀は元々3代目柳家権太楼の弟子であり、権太楼は5代目柳家つばめの死後に大師匠にあたる5代目柳家小さんの直弟子(預かり弟子)となったため、系譜を当初の入門者毎に遡った場合、遊雀の弟子である遊かりが小さん初の玄孫弟子となる。(5代目柳家小さん - 5代目柳家つばめ - 3代目柳家権太楼 - 三遊亭遊雀(元・柳家三太楼) - 三遊亭遊かり)となる。

参考文献

外部リンク