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[[2001年]]のテレビ東京退社後は、父・秀直の公設・私設秘書として13年間勤めた。この間の[[2006年]][[4月]]、東広島市長選挙に出馬。安倍晋三や麻生太郎など自民党幹部の応援演説を次々と受けたが、[[蔵田義雄]]に敗れ落選した。 |
[[2001年]]のテレビ東京退社後は、父・秀直の公設・私設秘書として13年間勤めた。この間の[[2006年]][[4月]]、東広島市長選挙に出馬。安倍晋三や麻生太郎など自民党幹部の応援演説を次々と受けたが、[[蔵田義雄]]に敗れ落選した。 |
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[[2009年]][[4月23日]]の講演にて、秀直は[[世襲]]候補者を巡る議論について触れたうえで、「私には[[息子]]が2人いるが、自分の[[選挙区]]([[衆議院|衆院]][[広島県第4区|広島4区]])を継がせるつもりはまったくない」<ref>「自民・中川元幹事長が『子供に世襲させない』宣言」『[https://web.archive.org/web/20090426194446/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090423/stt0904232305010-n1.htm 自民・中川元幹事長が「子供に世襲させない」宣言 - MSN産経ニュース]』[[産経デジタル]]、[[2009年]][[4月23日]]。</ref><!--括弧など原文ママ-->と述べた。同年[[5月13日]]発売の『[[週刊文春]]』には息子の俊直と共に登場し、秀直は「自分の選挙区から息子を出さない」、俊直自身も「父の選挙区から立候補しません」と発言し、「世襲放棄宣言」をしていた<ref>中川秀直・中川俊直「わが『世襲放棄』宣言――『二世天国』自民に捨て身の提言」『[[週刊文春]]』51巻19号、[[文藝春秋]]、[[2009年]][[5月21日]]、40-43頁。</ref>。ところが父の引退表明後、旧来の発言を翻して、自民党の公募に応募し、父の選挙区を引き継ぐ形で広島4区から出馬が決定。[[2012年]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]に出馬し、前回の選挙で父を下した[[空本誠喜]]を破り初当選した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121217/elc12121706090114-n1.htm 地盤引き継ぎ 4区・中川氏、初][[産経新聞]] [[2012年]][[12月22日]]閲覧</ref>。[[2014年]]の[[第47回衆議院議員総選挙]]で再選。 |
[[2009年]][[4月23日]]の講演にて、秀直は[[世襲]]候補者を巡る議論について触れたうえで、「私には[[息子]]が2人いるが、自分の[[選挙区]]([[衆議院|衆院]][[広島県第4区|広島4区]])を継がせるつもりはまったくない」<ref>「自民・中川元幹事長が『子供に世襲させない』宣言」『[https://web.archive.org/web/20090426194446/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090423/stt0904232305010-n1.htm 自民・中川元幹事長が「子供に世襲させない」宣言 - MSN産経ニュース]』[[産経デジタル]]、[[2009年]][[4月23日]]。</ref><!--括弧など原文ママ-->と述べた。同年[[5月13日]]発売の『[[週刊文春]]』には息子の俊直と共に登場し、秀直は「自分の選挙区から息子を出さない」、俊直自身も「父の選挙区から立候補しません」と発言し、「世襲放棄宣言」をしていた<ref>中川秀直・中川俊直「わが『世襲放棄』宣言――『二世天国』自民に捨て身の提言」『[[週刊文春]]』51巻19号、[[文藝春秋]]、[[2009年]][[5月21日]]、40-43頁。</ref>。ところが父の引退表明後、旧来の発言を翻して、自民党の公募に応募し、父の選挙区を引き継ぐ形で広島4区から出馬が決定。[[2012年]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]に出馬し、前回の選挙で父を下した[[空本誠喜]]を破り初当選した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121217/elc12121706090114-n1.htm 地盤引き継ぎ 4区・中川氏、初][[産経新聞]] [[2012年]][[12月22日]]閲覧</ref>。 |
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[[2014年]]の[[第47回衆議院議員総選挙]]で次世代の党の[[中丸啓]]らを破り再選。 |
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2016年8月5日、[[第3次安倍内閣 (第2次改造)|第3次安倍第2次改造内閣]]で、[[経済産業大臣政務官]]に就任<ref>[http://mainichi.jp/articles/20160805/k00/00e/010/220000c 副大臣.20人交代 閣議決定]</ref>。 |
2016年8月5日、[[第3次安倍内閣 (第2次改造)|第3次安倍第2次改造内閣]]で、[[経済産業大臣政務官]]に就任<ref>[http://mainichi.jp/articles/20160805/k00/00e/010/220000c 副大臣.20人交代 閣議決定]</ref>。 |
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「体調不良」を理由に国会を欠席して雲隠れを続けている中で、2017年7月29日にようやく地元で会見を開き、議員辞職はしないことを表明した<ref name="sankei2017729">{{Cite news | url = http://www.sankei.com/west/news/170729/wst1707290049-n1.html | title = 女性問題で離党の中川俊直衆院議員、地元で涙の謝罪会見 生き恥覚悟「お許しいただけるなら身を粉にして働きたい」 議員辞職はせず | newspaper = 産経WEST | publisher = 産経新聞社 | date = 2017-7-29 | accessdate = 2017-9-27 }}</ref>。8月23日に[[ホテルニューオータニ]]で予定していた会費2万円の[[政治資金パーティー]]は批判を浴び中止に追い込まれた<ref name="週刊朝日2019-7-29" />。 |
「体調不良」を理由に国会を欠席して雲隠れを続けている中で、2017年7月29日にようやく地元で会見を開き、議員辞職はしないことを表明した<ref name="sankei2017729">{{Cite news | url = http://www.sankei.com/west/news/170729/wst1707290049-n1.html | title = 女性問題で離党の中川俊直衆院議員、地元で涙の謝罪会見 生き恥覚悟「お許しいただけるなら身を粉にして働きたい」 議員辞職はせず | newspaper = 産経WEST | publisher = 産経新聞社 | date = 2017-7-29 | accessdate = 2017-9-27 }}</ref>。8月23日に[[ホテルニューオータニ]]で予定していた会費2万円の[[政治資金パーティー]]は批判を浴び中止に追い込まれた<ref name="週刊朝日2019-7-29" />。 |
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== 主張 == |
== 主張 == |
2019年12月24日 (火) 23:09時点における版
中川 俊直 なかがわ としなお | |
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経済産業大臣政務官就任に際して 公表された肖像写真 | |
生年月日 | 1970年4月25日(54歳) |
出生地 | 広島県東広島市 |
出身校 |
日本大学文理学部 早稲田大学大学院公共経営研究科専門職学位課程 |
前職 |
テレビ東京政治部記者 衆議院議員中川秀直秘書 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 | 公共経営修士(専門職)(早稲田大学) |
親族 |
祖父・中川俊思 父・中川秀直 |
選挙区 | 広島4区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2012年12月18日[1] - 2017年9月28日 |
中川 俊直(なかがわ としなお、1970年(昭和45年)4月25日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)、元経済産業大臣政務官、元日本精神対話学会会長、元テレビ東京社員(政治部記者)。
父方の祖父は一級建築士で三井建設常務の佐藤胖、母方の祖父は衆議院議員の中川俊思。父は自民党所属の元衆議院議員で科学技術庁長官、内閣官房長官等を歴任した中川秀直。
来歴
広島県東広島市出身。東広島の西条幼稚園、広島県東広島市立西条小学校、東京都港区立青山中学校、日本大学鶴ヶ丘高等学校、日本大学文理学部社会学科卒業。大学では世論調査の手法を勉強した[2]。同大学を卒業しテレビ東京に入社。スポーツ局を経て報道局に配属された。政治記者となり、総理官邸・自民党・野党キャップの取材を担当した[3]。
2001年のテレビ東京退社後は、父・秀直の公設・私設秘書として13年間勤めた。この間の2006年4月、東広島市長選挙に出馬。安倍晋三や麻生太郎など自民党幹部の応援演説を次々と受けたが、蔵田義雄に敗れ落選した。
2009年4月23日の講演にて、秀直は世襲候補者を巡る議論について触れたうえで、「私には息子が2人いるが、自分の選挙区(衆院広島4区)を継がせるつもりはまったくない」[4]と述べた。同年5月13日発売の『週刊文春』には息子の俊直と共に登場し、秀直は「自分の選挙区から息子を出さない」、俊直自身も「父の選挙区から立候補しません」と発言し、「世襲放棄宣言」をしていた[5]。ところが父の引退表明後、旧来の発言を翻して、自民党の公募に応募し、父の選挙区を引き継ぐ形で広島4区から出馬が決定。2012年の第46回衆議院議員総選挙に出馬し、前回の選挙で父を下した空本誠喜を破り初当選した[6]。
2014年の第47回衆議院議員総選挙で次世代の党の中丸啓らを破り再選。
2016年8月5日、第3次安倍第2次改造内閣で、経済産業大臣政務官に就任[7]。
2017年4月、週刊誌で女性問題(後述)が報じられ、同月18日に政務官を辞任[8][9]。さらに21日自民党を離党[10]。無所属の議員となり、魔の2回生として名を馳せた[11]。
「体調不良」を理由に国会を欠席して雲隠れを続けている中で、2017年7月29日にようやく地元で会見を開き、議員辞職はしないことを表明した[12]。8月23日にホテルニューオータニで予定していた会費2万円の政治資金パーティーは批判を浴び中止に追い込まれた[11]。
同年10月の第48回衆議院議員総選挙では自民党が比例中国ブロックの新谷正義を中川に代わる広島4区の候補者とする[13]。当初無所属で出馬する方針だったが、保守分裂を避けたいことから出馬を断念した[14]。
主張
- 内政
- ヘイトスピーチを法律で規制することに賛成[15]。
- 選択的夫婦別姓制度の導入にどちらかと言えば反対[16]。
- 首相が靖国神社に参拝してほしいかしてほしくないかについてはどちらかとも言えない[16]。
- 永住外国人の地方参政権を認めることに反対[16]。
- 外国人労働者の受け入れを進めることに反対[16]。
- 日本でもカジノを解禁することに賛成[16]。
- 特定秘密保護法が成立したことをどちらかと言えば評価する[16]。
- 集団的自衛権の行使を認める閣議決定が行われたことをどちらかと言えば評価する[16]。
- 日本の防衛力をもっと強化すべきことにどちらかと言えば賛成[16]。
- 企業が納めている法人税率を引き下げることに賛成[16]。
- 将来も原子力発電は電力源のひとつとして保つべきとどちらかと言えば思っている[16]。
- 公共事業による雇用確保は必要ということについてどちらかと言えば賛成[16]。
- 経済・教育の立て直しと道州制を推進[2]。
- 外交
- 外交の優先順位は「まず米国」かそれとも「まずアジア」かについてはどちらかと言えば「まず米国」である[16]。
- 北朝鮮に対しては「対話よりも圧力を優先すべき」かということについてはどちらとも言えない[16]。
不祥事
- 2017年4月に週刊新潮が中川の女性問題(不倫、重婚スキャンダル)を掲載。警察に「ストーカー登録」されたことも報道された。これを受けて中川は18日に経済産業大臣政務官を「一身上の都合」により辞任し[17][18]、21日には自民党も離党した。
- その後、『フライデー』が2017年5月12日・19日号において、中川が秘書時代に「集団レイプ」まがいの行為をして事件になりそうになったのをもみ消していたことを報じた[19]。告発者は中川の父親である中川秀直の後援会「明秀会」を立ち上げ、会長をつとめた人物である[19]。2008年11月頃、輪姦事件を知った父親の秀直が関わった息子ら5人を呼びつけ、説教をする光景を目撃したという[19]。この人物は「東広島市の中川事務所には道場のような集会スペースがあるが、そこから秀直の怒号が聞こえてきたので、気になって見に行くと、俊直ら5人が横並びに整列していた。」と述べている[19]。またこの人物は当時の秀直の私設秘書を問い詰め、「東広島駅近くのパブで女の子をまわした。相手は日本人でなく中国か韓国の女性。女の子は被害届を出したが、もみ消した。」という話を聞いたという[19]。しかし中川の事務所は完全否定した[19]。当時の中川事務所で不祥事の処理にあたっていたとされる東広島市議の乗越耕司は「(俊直の女関係の不祥事は)ようけありすぎてわからん。」「(輪姦については)知らないというほうが正解なのかもしれん。でも、コメントは避けたい。」と述べている[19]。
- 2017年7月29日、中川は問題発覚後、初めて地元の東広島市で記者会見し議員辞職しない考えを示した[12]。週刊誌で報じられた女性問題については「人として認識が欠如していたことがまいた種で弁明・弁解の余地はない」と謝罪した[12]。「重婚行為」と「ストーカー登録」については否定した[12]。
人物
- 中学と高校時代、陸上部に所属[2]。港区立青山中学時代は陸上3000m走で東京都5位であった[20]。中学生の頃から、相撲の千代の富士とマラソンの瀬古利彦を尊敬している[2]。日大在学中での就職活動ではアナウンサーにも興味を持っていて、アナウンスの学校に通った[2]。
- 喫煙者であり、超党派の愛煙家国会議員からなる議員連盟もくもく会に所属していた[21]。
- バラク・オバマの広島訪問の際、大韓航空2708便エンジン火災事故の影響で滑走路が閉鎖し欠航となったため、広島市を選挙区とする議員で唯一、一連の式典に出席できなかった[22]。
家族・親族
- 中川家
- 祖父・俊思(政治家、元新聞記者)
- 1903年 - 1973年
- 広島県竹原市出身[23]。旧姓・堀川[23]。中央大学法学部中退[23]。中国新聞や國民新聞の記者をつとめた[23]。1947年、第23回衆議院議員総選挙(広島2区)で日本農民党から出馬し、落選した[24]。1949年、第24回衆議院議員総選挙(広島2区)で民主自由党から出馬し当選、衆議院議員となった[23][25]。通算8回当選した[23]。厚生、通産各政務次官などを歴任した[23]。宗教は仏教[26]。趣味はゴルフ、囲碁、読書[26]。
- 父・秀直(政治家、元新聞記者)
- 1944年 -
- 東京都新宿区出身[23]。旧姓・佐藤。1966年、慶應義塾大学法学部卒業[23]。日本経済新聞社入社[23]。1976年、新自由クラブ公認で衆議院議員となった[23]。のち自民党に移る。1996年、第1次橋本内閣で国務大臣科学技術庁長官に就任。2000年、第2次森内閣で国務大臣内閣官房長官兼沖縄開発庁長官に就任。
- 母(広島、中川俊思の長女)[26]
- 父・秀直と母は、高校3年生のときに通っていた予備校で教室が一緒だったのだが、大学で運命的な再会となり、交際が始まり大学を卒業した年に結婚した[27]。
- 妻、子供(3人)
所属団体・議員連盟
脚注
- ^ 平成24年(2012年)12月18日広島県選挙管理委員会告示第81号(衆議院小選挙区選出議員選挙において当選した者の住所及び氏名並びに当該当選人に係る候補者届出政党の名称)
- ^ a b c d e f g 中川俊直さんに聞きました63問63答、中川俊直 公式サイト、2013年2月26日収録。
- ^ [1]
- ^ 「自民・中川元幹事長が『子供に世襲させない』宣言」『自民・中川元幹事長が「子供に世襲させない」宣言 - MSN産経ニュース』産経デジタル、2009年4月23日。
- ^ 中川秀直・中川俊直「わが『世襲放棄』宣言――『二世天国』自民に捨て身の提言」『週刊文春』51巻19号、文藝春秋、2009年5月21日、40-43頁。
- ^ 地盤引き継ぎ 4区・中川氏、初産経新聞 2012年12月22日閲覧
- ^ 副大臣.20人交代 閣議決定
- ^ 中川 俊直 - 心よりお詫び申し上げます。
- ^ 中川俊直経済産業政務官が辞任 女性問題で“更迭” 後任は大串正樹衆院議員産経新聞 2017年4月18日閲覧
- ^ 自民・中川氏が離党 女性問題報道で引責 Archived 2017年4月22日, at the Wayback Machine.中国新聞 2017年4月22日閲覧
- ^ a b 小泉耕平 (2019年7月29日). “ようやく"ゲス不倫"詫びた中川俊直衆院議員 大パーティも中止”. 週刊朝日 2019年12月17日閲覧。
- ^ a b c d “女性問題で離党の中川俊直衆院議員、地元で涙の謝罪会見 生き恥覚悟「お許しいただけるなら身を粉にして働きたい」 議員辞職はせず”. 産経WEST (産経新聞社). (2017年7月29日) 2017年9月27日閲覧。
- ^ 次期衆院選 元検事の落合洋司氏が出馬会見 中川俊直氏も出馬予定の広島4区 - 産経WEST 2017年9月21日
- ^ 中川俊直氏、出馬を断念 不倫問題で自民離党 - 朝日新聞デジタル 2017年10月1日
- ^ 毎日新聞2014年衆院選アンケート
- ^ a b c d e f g h i j k l m 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
- ^ 中川経産政務官が辞任 「一身上の都合」、後任は大串氏 東京新聞
- ^ 中川・経産政務官が辞任 女性問題原因か、後任は大串氏 朝日新聞
- ^ a b c d e f g 不倫&ストーカー問題で政務官辞任の中川俊直に今度は「集団レイプ」疑惑報道! 父の元後援会長が実名証言、リテラ公式サイト、2017年4月30日。
- ^ 中川俊直 facebook 自己紹介欄
- ^ a b “九州市医報(平成29年7月)第720号 - オリンピックと屋内全面禁煙法・条例(その33)”. 北九州市医師会 (2017年7月1日). 2018年7月21日閲覧。
- ^ “広島選出議員、帰広できず” 2016年6月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『政治家人名事典』日外アソシエーツ、1990年、368-369頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年、463頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年6月24日閲覧。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第24回』衆議院事務局、1949年、649頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年6月24日閲覧。
- ^ a b c 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』広瀬弘、帝国秘密探偵社、1963年8月10日、な580頁。
- ^ 中川秀直物語、衆議院議員 中川秀直 公式サイト。
- ^ “自民党 中川 俊直 衆議院議員”. 会いに行ける国会議員 みわちゃんねる突撃永田町!! (2013年8月29日). 2019年12月17日閲覧。
- ^ 神道政治連盟国会議員懇談会
- ^ 「パチンコ業界 これが『御用政治家』」、しんぶん赤旗、2015年1月10日
関連項目
外部リンク
- 中川俊直 RUN OFFICIAL HOME PAGE[リンク切れ]
- 中川俊直 (@nakagawa1470) - X(旧Twitter)
公職 | ||
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先代 北村経夫 星野剛士 |
井原巧と共同 2016年 - 2017年 |
次代 大串正樹 井原巧 |