「神奈川県立希望ケ丘高等学校」の版間の差分
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画像:Kibogaoka highschool3.JPG|グラウンド |
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神奈川県尋常中学校として、現在の神奈川県教育会館・県営藤棚アパート等がある[[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]][[藤棚町]]にて創立された。その後、名称を神奈川県中学校(1899年)、神奈川県第一中学校(1900年)、神奈川県立第一中学校(1901年)、神奈川県立第一横浜中学校(1913年)、神奈川県立横浜第一中学校(1923年)と改称する。1923年9月1日の[[関東大震災]]により、校舎は大きな被害を受けた。1945年5月29日の[[横浜大空襲]]によって校舎焼失、現在の[[横浜市]][[金沢区]]へ移転。 |
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[[1897年]]創立で、神中、神奈川一中、横浜一中を前身とする。開校記念日は[[6月18日]]。 |
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戦後の[[学制改革]]を経て、神奈川県立横浜第一高等学校(1948年)、神奈川県立希望ヶ丘高等学校(1950年)と改称し、[[男女共学]]となる。1951年9月、[[横浜市]][[保土ケ谷区]][[二俣川|二俣川町]]中野原(現在の[[旭区 (横浜市) |旭区]]南希望が丘)へ移転した。現在地は[[相模鉄道]]の寄付による。全日制と定時制が設置されている。 |
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略称は「希高」(きこう)とされるが、古い世代の「神中」(じんちゅう)という呼び方も残っており、それを使う生徒もいる。 |
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[[全日制]]課程(普通科)と[[定時制]]課程(普通科)が置かれている。 |
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所在地が「希望が丘」であるため「希望が丘高等学校」の誤記も見られる。 |
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[[1983年]]に制作・放映された[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の[[ドラマ]]「[[早春スケッチブック]]」で、[[鶴見辰吾]]扮する望月和彦が通う高校として、実際に本校でロケが行われたことがある。 |
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== 沿革 == |
== 沿革 == |
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*[[1897年]]2月23日 - '''神奈川県尋常中学校'''を久良岐郡[[戸太町]]に設置する旨告示<ref>(神奈川県告示第18号)「神奈川県尋常中学校ヲ久良岐郡戸田町戸部ニ設置ス但シ開校ノ期日ハ追テ告示す」</ref> |
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=== 略歴 === |
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*1897年6月18日 - 開校式を挙行(この日を開校記念日とする)<ref>[[文部大臣]][[蜂須賀茂韶]]の代理として[[文部次官]][[都築馨六]]が来校した際に記念式典を開催した</ref> |
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神奈川県尋常中学校として、現在の神奈川県教育会館・県営藤棚アパート等がある[[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]][[藤棚町]]にて創立された。その後、名称を神奈川県中学校(1899年)、神奈川県第一中学校(1900年)、神奈川県立第一中学校(1901年)、神奈川県立第一横浜中学校(1913年)、神奈川県立横浜第一中学校(1923年)と改称する。1923年9月1日の[[関東大震災]]により、校舎は大きな被害を受けた。1945年5月29日の[[横浜大空襲]]によって校舎焼失、現在の[[横浜市]][[金沢区]]へ移転。 |
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*[[1899年]]2月6日 - '''神奈川県中学校'''と改称<ref>第2次[[中学校令]]によって「尋常中学校」が「中学校」に改称されたため</ref> |
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*[[1900年]]4月1日 - '''神奈川県第一中学校'''と改称<ref>現在の[[神奈川県立小田原高等学校]]の前身である神奈川県第2中学校が設立されたため</ref> |
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戦後の[[学制改革]]を経て、神奈川県立横浜第一高等学校(1948年)、神奈川県立希望ヶ丘高等学校(1950年)と改称し、[[男女共学]]となる。1950年からは横浜市内に小学区(一学区に一校)制が敷かれた。1951年9月、[[横浜市]][[保土ケ谷区]][[二俣川|二俣川町]]中野原(現在の[[旭区 (横浜市) |旭区]]南希望が丘)へ移転した。校地および駅から校地までの道路用地は相鉄の寄付による。なお、本校の金沢校舎時代の小学区を引き継ぐ形で[[横浜市立金沢高等学校]]が開校した。 |
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*[[1901年]]5月7日 - '''神奈川県立第一中学校'''と改称<ref>「学校ノ名称ニ何々立ノ文字ヲ冠セシム」との文部省令が発せられたため</ref> |
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*[[1913年]]4月1日 - '''神奈川県立第一横浜中学校'''と改称<ref>現在の[[神奈川県立横浜翠嵐高等学校]]の前身である神奈川県立横浜第二中学校の設立が文部省により認可されたため(大正2年文部省告示第56号){{Cite web |url= http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2952285/3|title= 1913年(大正2年)3月17日付『官報』|publisher= 国立国会図書館デジタル化資料|accessdate=2013-06-13}}</ref> |
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1969年の秋、旧理科棟前の[[バリケード]]封鎖から始まった[[学園紛争]]により、生徒・教員間で議論が重ねられ、各種規約の改定が行われた。主な変更点としては、生徒心得の廃止、中間テストの廃止、学力評価についての見直し、新校章の制定、[[制服]]は[[標準服]]と改められ、私服での登校が認められるようになったことなどがある。その後、「[[皇国史観]]的」とみなされた[[歌詞]]が含まれる[[校歌]]を廃し、1985年に新校歌が、また、1987年の九十周年記念式典事業の一環として新校章が制定された。新校章の制定はすでに紛争時に決定していたが、制定に反対するOBらが反対運動を展開。時に、OBである記者が、地元紙に生徒を実名入りで批判する記事まで掲載した。 |
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*[[1923年]]4月1日 - '''神奈川県立横浜第一中学校'''と改称<ref>現在の[[神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校]]の前身である神奈川県立横浜第三中学校の設立されたため</ref> |
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[[ファイル:Kibogaoka highschool2.JPG|280px|thumb|現在の校舎]] |
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*1923年9月1日 - [[関東大震災]]にて校舎倒壊著しく破損 |
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=== 年表 === |
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*[[1897年]]2月23日 - 神奈川県尋常中学校を久良岐郡[[戸太町]](現在の[[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]]藤棚町)に設置する旨告示 |
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*1897年5月3日 - 授業開始・生徒総数280名 |
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*1897年6月18日 - 開校式を挙行(この日を開校記念日とする) |
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*[[1899年]]2月6日 - 神奈川県中学校と改称 |
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*[[1900年]]4月1日 - 神奈川県第一中学校と改称 |
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*[[1901年]]5月7日 - 神奈川県立第一中学校と改称 |
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*[[1913年]]4月1日 - 神奈川県立第一横浜中学校と改称 |
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*[[1923年]]4月1日 - 神奈川県立横浜第一中学校と改称し、20学級生徒定員1000名と改める。 |
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*1923年9月1日 - [[関東大震災]]にて校舎倒壊、大破 |
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*[[1927年]]5月5日 - 校舎全部の改築に着手 |
*[[1927年]]5月5日 - 校舎全部の改築に着手 |
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*[[1928年]]12月14日 - 校旗制定 |
*[[1928年]]12月14日 - 校旗制定 |
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*[[1934年]]2月12日 - 校歌制定(作曲・[[山田耕筰]]、作詞・[[佐佐木信綱]]) |
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*[[1929年]]1月25日 - 全校舎竣工 |
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*[[ |
*[[1945年]]5月29日 - [[横浜大空襲]]により校舎罹災焼失 |
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*1945年7月2日 - 横浜市戸部国民学校の一部を借用し、授業を行う |
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*[[1934年]]2月12日 - 校歌制定(作詞・[[佐佐木信綱]]、作曲・[[山田耕筰]]) |
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*[[1946年]]4月1日 - 横浜市[[磯子区]]六浦町の元第一海軍技術廠工員養成所宿舎跡に移転 |
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*[[1941年]]4月8日 - 神奈川県立鶴見中学校(現・[[神奈川県立鶴見高等学校]])が本校内にて開校。 |
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*[[1948年]]4月1日 - '''神奈川県立横浜第一高等学校'''と改称<ref>[[学制改革]]により旧制中学が新制高校に改組されたため</ref>し、本校に併設中学校を設け、本校校長が兼任 |
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*[[1945年]]5月29日 - [[空襲]]により校舎罹災焼失 |
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*[[1950年]]4月1日 - '''神奈川県立希望ヶ丘高等学校'''と改称<ref>[[ナンバースクール (旧制中等学校・新制高校)|ナンバースクール]]廃止に従い、現在地の最寄駅名に改称したため</ref>し、本年度より[[男女共学]]と[[神奈川県高等学校の通学区域|19学区制]]実施 |
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*1945年7月2日 - 横浜市戸部国民学校の一部を借用し、授業を行う。 |
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*[[ |
*[[1951年]]9月11日 - 現在地の横浜市[[保土ケ谷区]]二俣川町中野原の新校舎第一期工事完了 |
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*1951年9月19日 - 金沢校舎(横浜市[[金沢区]]六浦町)より現在地へ移転 |
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*[[1948年]]4月1日 - 学制改革により神奈川県立横浜第一高等学校と改称。本校に併設中学校を設け、本校校長が兼任 |
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*[[ |
*[[1963年]]4月1日 - [[神奈川県高等学校の通学区域|9学区制]]実施により[[神奈川県高等学校の通学区域|横浜中部地区]]に属する |
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*[[ |
*[[1981年]]4月1日 - [[神奈川県高等学校の通学区域|16学区制]]実施により[[神奈川県高等学校の通学区域|横浜西部学区]]に属する |
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*[[1985年]]3月1日 - 新校歌制定(作曲・[[三善晃]]、作詞・[[飯田侑]]) |
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*[[1951年]]9月11日 - 現在地の横浜市[[保土ケ谷区]]二俣川町中野原に於ける新校舎の第一期工事完了 |
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*1951年9月19日 - 金沢校舎(横浜市[[金沢区]]六浦町)より移転 |
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*1951年10月24日 - 新築落成祝賀記念式を挙行 |
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*[[1957年]]11月8日 - 創立60周年並びに体育館兼講堂落成祝賀記念式を挙行 |
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*[[1963年]]4月1日 - 横浜市内に中学区制施行、[[横浜中部学区]](本校の他、[[神奈川県立横浜平沼高等学校|平沼]]、[[横浜市立桜丘高等学校|桜丘]]、[[横浜市立戸塚高等学校|戸塚]])に属す。 |
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*[[1969年]] - 高校紛争激化の中、希望ヶ丘闘争委員会が組織され学園自由化が達成される。 |
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*[[1973年]]4月6日 - [[神奈川県立旭高等学校]]が本校内にて開校。 |
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*[[1977年]]11月12日 - 創立80周年記念式を挙行 |
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*[[1981年]]4月1日 - 新学区制実施、横浜西部学区に属す。 |
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*[[1982年]]5月31日 - 創立85周年記念事業として、テニスコート3面増設 |
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*[[1985年]]3月1日 - 新校歌制定(作詞・[[飯田侑]]、作曲・[[三善晃]]) |
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*[[1997年]]10月25日 - 創立100周年記念式を挙行 |
*[[1997年]]10月25日 - 創立100周年記念式を挙行 |
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*[[2004年]]4月1日 - 2学期制開始 |
*[[2004年]]4月1日 - 2学期制開始 |
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*[[ |
*[[2005年]]4月1日 - [[神奈川県高等学校の通学区域|学区制]]廃止 |
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*[[2010年]]4月22日 - [[神奈川県教育委員会]]から県立高校教育力向上推進事業による「[[学力向上進学重点校]]」に指定される<ref>{{Cite web |url= http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/p26704.html|title= 県立高校教育力向上推進事業 教育推進校 <学力向上進学重点>|publisher= 神奈川県教育委員会|accessdate=2013-06-13}}</ref> |
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== 校歌 == |
== 校歌 == |
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*神奈川県立横浜第一高等学校校歌(通称「旧校歌」)(作曲[[山田耕筰]]、作詞[[佐佐木信綱]]) |
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*神奈川県立希望ヶ丘高等学校校歌(通称「新校歌」)(作曲[[三善晃]]、作詞飯田侑) |
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== 教育 == |
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=== 教育目標 === |
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*学習はすべて自発的に行い、'''自学自習'''を重んじ、自己の能力と資質を最大限に伸ばす |
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*行動はすべて自主的に行い、'''自律自制'''を旨とする |
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*社会人としての意識を明確にし、'''和衷協同'''を旨とする |
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*社会人としての言動、礼法に注意し、情操豊かな人となる |
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*節度ある学校生活を通じて、心身の健康をはかる |
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=== 教育課程 === |
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*生徒の大半が大学に進学して専門的に学ぶことを希望しているので、大学での教育に耐えうる学力の養成を念頭においた授業が月曜から金曜まで毎日1コマ45分×7時限で展開されている。 |
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*1・2年次に基礎・基本をしっかりと身につけ、幅広く学ぶことで視野を広げる。2年生まで全員が同じ科目を履修する(芸術は1つを選択)。これにより自分の適性を見極め、3年次での進路選択につなげている。 |
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*1・3年次にある総合的な学習の時間では、自分の趣味・関心に基づいた自由研究を行う。1年次は個別研究、3年次では多彩な20講座以上にもおよぶゼミに所属して研究する方式をとっている。 |
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== 行事 == |
== 行事 == |
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=== 主な学校行事 === |
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*陸上競技大会…大和市スポーツセンター競技場で開催(以前は三ツ沢競技場や県立体育センター陸上競技場で開催されていた) |
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*陸上競技大会 |
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*記念祭…開校記念日である6月18日前後に、本校敷地で開催 |
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*:大和市スポーツセンター競技場で開催 |
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**教室での展示発表 同窓会コーナーもある。 |
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*記念祭 |
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**前庭パフォーマンス |
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*:開校記念日である6月18日前後に、本校構内で開催 |
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**屋台・出店 |
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*球技大会(7月・3月) |
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**後夜祭 |
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*合唱祭 |
*合唱祭 |
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*修学旅行(2年次) |
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*球技大会 |
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*3年生を送る会 |
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===過去=== |
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=== 廃止された学校行事 === |
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*Y校戦 |
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*:1924年から1969年にかけて行われた[[横浜市立横浜商業高等学校]]とのスポーツ対抗戦 |
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*水泳大会 |
*水泳大会 |
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*駅伝大会 |
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*Y校戦 |
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*予餞会 |
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**1924年から1969年にかけて行われた[[横浜市立横浜商業高等学校]]とのスポーツ対抗戦 |
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*後餞会 |
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**通算成績は本校の24勝18敗1分であった。 |
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== 部活動 == |
== 部活動 == |
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全体の部活動加入率は9割を超える。 |
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[[ファイル:Kibogaoka highschool3.JPG|280px|thumb|グラウンドでの部活動の様子]] |
[[ファイル:Kibogaoka highschool3.JPG|280px|thumb|グラウンドでの部活動の様子]] |
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=== 運動系部活動 === |
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硬式野球部は[[第43回全国高等学校野球選手権大会|1951年夏の甲子園]]に初出場、これ以降、2011年まで県立高校の[[全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]]出場はない(神奈川県の公立高校として夏の甲子園に出場した5校のうちの一つ)。 |
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サッカー部は1972年に[[第51回全国高等学校サッカー選手権大会|選手権]]出場、1973年・1979年に関東大会へ出場している。尚、1972年の選手権出場時は指導者にサッカー経験者がいなかった。 |
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吹奏楽部は2005年に東日本大会に出場した。なお、本校の吹奏楽部は全国的にも珍しい学生指揮者の形態をとっており、大会・演奏会等すべてを生徒の指揮で演奏している。 |
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KHI(希望ヶ丘高等学校放送委員会)は2007年の6月に[[ラジオ日本]]内の高校球児応援番組「甲子園に行こう」において本番組にラジオドラマを寄贈し、参加した64校の中で優秀賞を受賞した。 |
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2007年11月横浜国立大学主催システムデザインカップひれ推進コンテストに化学部が参加し、第3位を記録した。翌年には準優勝となった。 |
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MFC(マンガファンクラブ)が、高知県で行われる[[まんが甲子園]]で、2007年度に「あったか高知まんがフェスティバル実行委員会会長賞」(全国第5位相当)を受賞した。2009年度には全国第3位、2010年度には全国第2位となっている。 |
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;運動部 |
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*陸上競技部 |
*陸上競技部 |
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*硬式野球部 |
*硬式野球部 |
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*:1951年に[[第43回全国高等学校野球選手権大会]]に出場する。これ以降、2013年まで神奈川県立高校の夏の[[全国高等学校野球選手権大会|甲子園大会]]への出場はない(神奈川県の公立高校として夏の甲子園に出場した5校のうちの一つ) |
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*サッカー部 |
*サッカー部 |
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*:1972年に[[第51回全国高等学校サッカー選手権大会]]に出場する |
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*ラグビー部 |
*ラグビー部 |
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*ハンドボール部(男・女) |
*ハンドボール部(男子・女子) |
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*バレーボール部(男・女) |
*バレーボール部(男子・女子) |
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*バスケットボール部(男・女) |
*バスケットボール部(男子・女子) |
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*硬式テニス部(男子・女子) |
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*ソフトボール部 |
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*ソフトボール部(女子) |
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*体操部 |
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*バドミントン部 |
*バドミントン部 |
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*ダンス部(女子) |
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*卓球部 |
*卓球部 |
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*ダンス部 |
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*硬式テニス部(男・女) |
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*剣道部 |
*剣道部 |
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*弓道部 |
*弓道部 |
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*水泳部 |
*水泳部 |
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*山岳部 |
*山岳部 |
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*体操部 |
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*フットサル同好会 |
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=== 文化系部活動 === |
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*吹奏楽部 |
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*:2005年に[[東日本学校吹奏楽大会]]コンクール部門に出場する。なお、本校の吹奏楽部は全国的にも珍しい学生指揮者の形態をとっており、大会・演奏会等すべてを生徒の指揮で演奏している |
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*軽音楽部 |
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*フォークソング部 |
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*室内楽部 |
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*合唱部 |
*合唱部 |
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*ギター部 |
*ギター部 |
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*軽音楽部 |
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*茶道部 |
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*フォークソング部 |
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*美術部 |
*美術部 |
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* |
*茶道部 |
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*化学部 |
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*文芸部 |
*文芸部 |
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*MFC(マンガファンクラブ) |
*MFC(マンガファンクラブ) |
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*:[[まんが甲子園]]では2007年「あったか高知まんがフェスティバル実行委員会会長賞」(全国第5位相当)受賞、2009年全国第3位、2010年全国準優勝している |
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*パントマイム部 |
*パントマイム部 |
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*ドレスクリエイト部 |
*ドレスクリエイト部 |
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*ブレイクダンス部(男子) |
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*KHI(希望ヶ丘放送委員会) |
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*室内楽部 |
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=== 同好会活動 === |
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*ブレイクダンス部 |
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*フットサル同好会 |
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*柔道同好会 |
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*囲碁将棋同好会 |
*囲碁将棋同好会 |
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*写真同好会 |
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*演劇同好会 |
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=== その他 === |
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*記念祭運営委員会 |
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*合唱祭運営委員会 |
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*球技大会運営委員会 |
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*希望ヶ丘放送委員会(KHI) |
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*:2007年6月に[[ラジオ日本]]内の高校球児応援番組「甲子園に行こう」において本番組にラジオドラマを寄贈し、参加した64校の中で優秀賞を受賞した |
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*クイズ研究会 |
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== 旧学区 == |
== 旧学区 == |
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学区撤廃以前は |
学区撤廃以前は[[横浜西部学区]](1981-2004年度/以下各校)に属していた |
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*[[神奈川県立希望ヶ丘高等学校]] |
*[[神奈川県立希望ヶ丘高等学校]] |
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*[[神奈川県立旭高等学校]] |
*[[神奈川県立旭高等学校]] |
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*[[神奈川県立中沢高等学校]](2004年都岡高等学校と統合、[[神奈川県立横浜旭陵高等学校]]となる |
*[[神奈川県立中沢高等学校]](2004年都岡高等学校と統合、[[神奈川県立横浜旭陵高等学校]]となる) |
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*[[神奈川県立都岡高等学校]](2004年中沢高等学校と統合、神奈川県立横浜旭陵高等学校となる |
*[[神奈川県立都岡高等学校]](2004年中沢高等学校と統合、[[神奈川県立横浜旭陵高等学校]]となる) |
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*[[神奈川県立和泉高等学校]](2008年岡津高等学校と統合、[[神奈川県立横浜緑園総合高等学校]]となる |
*[[神奈川県立和泉高等学校]](2008年岡津高等学校と統合、[[神奈川県立横浜緑園総合高等学校]]となる) |
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*[[神奈川県立松陽高等学校]] |
*[[神奈川県立松陽高等学校]] |
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*[[神奈川県立岡津高等学校]](2008年和泉高等学校と統合、神奈川県立横浜緑園総合高等学校となる |
*[[神奈川県立岡津高等学校]](2008年和泉高等学校と統合、[[神奈川県立横浜緑園総合高等学校]]となる) |
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*[[神奈川県立瀬谷高等学校]] |
*[[神奈川県立瀬谷高等学校]] |
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*[[神奈川県立瀬谷西高等学校]] |
*[[神奈川県立瀬谷西高等学校]] |
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<!--50音順。元職の場合はその旨を記載して下さい。また、同じ単語に何度もリンクしないよう願います。--> |
<!--50音順。元職の場合はその旨を記載して下さい。また、同じ単語に何度もリンクしないよう願います。--> |
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=== 政治・行政 === |
=== 政治・行政 === |
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*[[相澤英之]](元[[ |
*[[相澤英之|相沢英之]](元[[大蔵省]]主計局長、元[[財務事務次官|大蔵事務次官]]、元[[衆議院議員]]、元[[経済企画庁長官]]) |
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*[[ |
*[[相原力]](元[[運輸省]]運輸政策局長、元[[海上保安庁]]長官) |
||
*[[ |
*[[浅沼清太郎]](元[[警察庁]]警務局長、元[[警察庁長官]]) |
||
*[[ |
*[[飛鳥田一雄]](元[[横浜市]]長、元[[衆議院議員]]、元[[日本社会党委員長]]) |
||
*[[荒川昌二]](元[[対満事務局]]次長、元[[横浜正金銀行]]頭取、元ベルギー大使) |
|||
*[[池田清志]](元[[栃木県知事]]、元[[衆議院議員]]) |
|||
*[[太田正孝 (市議会議員)|太田正孝]](横浜市議会議員) |
*[[太田正孝 (市議会議員)|太田正孝]](横浜市議会議員) |
||
*[[岡部三郎]](元[[北海道開発庁長官]] |
*[[岡部三郎]](元[[参議院議員]]、元[[北海道開発庁長官]]、元[[沖縄開発庁長官]]) |
||
*[[ |
*[[小此木彦三郎]](元[[衆議院議員]]、元[[建設大臣]]) |
||
*[[ |
*[[川合武]](元[[消防庁]]次長、元[[衆議院議員]]) |
||
*[[来栖三郎 (外交官)|来栖三郎]](元[[外務省]]通商局長、元ベルギー大使、元ドイツ大使、元アメリカ大使) |
|||
*[[行天豊雄]](元[[財務官 (日本)|財務官]]、[[東京銀行]]頭取) |
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*[[ |
*[[斎藤文夫 (参院議員)|斎藤文夫]](元[[参議院議員]]、[[川崎・砂子の里資料館]]館長) |
||
*[[鈴木隆雄]](元[[警察庁]][[科学警察研究所]]副所長 |
*[[鈴木隆雄]](元[[警察庁]][[科学警察研究所]]副所長) |
||
*[[平川守]]([[事務次官|農林事務次官]]) |
*[[平川守]](元[[事務次官|農林事務次官]]) |
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*[[本間精]]([[内務省 (日本)|内務省]][[警保局]]長 |
*[[本間精]](元[[内務省 (日本)|内務省]][[警保局]]長、元[[福岡県]][[知事]]) |
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*[[松隈秀雄]](元[[ |
*[[松隈秀雄]](元[[財務事務次官|大蔵事務次官]]) |
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*[[三浦義秋]](元駐[[漢口]][[総領事]]、[[漢口邦人巡査射殺事件|漢口事件]]担当) |
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*[[黛治夫]](元日本海軍大佐)<!-- 秦郁彦「日本陸海軍事典」など参照 --> |
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*[[山本鎮彦]](元[[警察庁]]警備局長、元[[警察庁長官]]、元ベルギー大使) |
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*[[三浦義秋]](駐[[漢口]][[総領事]](昭和9)) |
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*[[ |
*[[横溝光暉]](元[[内閣情報部長]]、元[[熊本県]][[知事]]) |
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*[[吉瀬維哉]](元[[財務事務次官|大蔵事務次官]]) |
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=== 経済・経営 === |
=== 経済・経営 === |
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*[[ |
*[[有吉義弥]](元[[日本郵船]]会長) |
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*[[ |
*[[小原敏人]](元[[日本ガイシ]]会長) |
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*[[行天豊雄]](元[[財務省|大蔵省]]国際金融局長、元[[財務官 (日本)|財務官]]、元[[東京三菱銀行]]会長) |
|||
*山口一弥([[郵便事業]]株式会社東京支社長、元北陸郵政監察局長) |
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*[[小島正興]](元[[丸紅]]常務、元[[セコム]]副会長) |
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*[[渡邉美樹]]([[ワタミフードサービス]]創業者) |
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*[[小室恒夫]](元[[経済産業省|通商産業省]]通商局長、元[[新日鐵化学]]会長) |
|||
*[[桑田弘一郎]](元[[テレビ朝日]]社長) |
*[[桑田弘一郎]](元[[テレビ朝日]]社長) |
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*[[ |
*[[佐藤喜一郎]](元[[三井銀行]]会長) |
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*[[間塚道義]]([[富士通]]会長) |
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=== 学術・研究 === |
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*[[池田善長]](農業経済学者) |
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*[[大島正満]]([[生物学者]]) |
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*[[大須賀明]](憲法学者、[[早稲田大学]]名誉教授) |
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*[[小野塚知二]](歴史家・経済学者、[[東京大学]]教授) |
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*[[加藤衛]](演劇評論家、元[[横浜市立大学]]教授) |
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*[[木村健二郎]](化学者、元[[東京大学]]教授、元[[東京女子大学]]学長) |
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*[[小林良彰]](政治学者、[[慶應義塾大学]]教授、[[横浜国立大学]]教授) |
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*[[小塚新一郎]](哲学者、元[[東京芸術大学]]学長) |
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*[[國領經郎]](洋画家) |
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*[[佐藤次高]](政治学者、[[東京大学]]名誉教授) |
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*酒井一夫(経済学者、元[[北海道大学]]教授) |
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*清水元(法学者、[[中央大学]]大学院法務研究科教授) |
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*鈴木和夫(工学者、[[横浜国立大学]]教授) |
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*[[種瀬茂]](経済学者、元[[一橋大学]]学長) |
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*[[高橋勝]](教育学者、[[横浜国立大学]]名誉教授) |
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*[[寺田透]](文芸評論家) |
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*[[坪田幸政]](理学者、[[桜美林大学]]教授) |
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*松信八十男(環境問題研究家、[[慶応義塾大学]]名誉教授) |
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=== 文学・芸術 === |
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*[[渋谷和宏]]([[作家]]、[[日経ビジネス]]アソシエ編集長) |
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*[[中村俊一]](演出家・俳優) |
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*[[佐々木太一]](バレーボール日本代表) |
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*[[宮下哲朗]]([[ラグビー選手]] / [[関東学院大学ラグビー部|関東学院大ラグビー部]]、[[東芝ブレイブルーパス]]) |
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=== その他 === |
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*[[小田原俊彦]](元[[第一航空艦隊]]参謀長、海軍少将) |
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*[[滝本太郎]](弁護士) |
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*[[佐々木太一]](元バレーボール日本代表) |
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*[[菱沼洋]](日本航空 運航部調査役 B747-400機長) |
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*[[中村俊久]](元[[第三艦隊 (日本海軍)|第三艦隊]]参謀長、[[侍従武官]]、海軍中将) |
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*[[菱沼洋]]([[日本航空]]運航部調査役 B747-400機長) |
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*[[藤田雄蔵]](陸軍中佐) |
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*[[松信幹男]]([[山手学院中学校・高等学校]]創立者) |
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*[[黛治夫]](元戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]副長、海軍大佐) |
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*[[山口三郎 (海軍軍人)|山口三郎]](海軍中佐) |
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*[[米川忠吉]](元[[航空自衛隊]]幕僚長、空将) |
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== 著名な教職員 == |
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*[[犬養孝]](元国語科教諭、[[大阪大学]]名誉教授) |
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*[[安彦忠彦]](元英語科教諭、[[名古屋大学]]名誉教授、[[神奈川大学]]教授) |
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*[[菊地龍道]](元校長、[[駒場東邦中学校・高等学校]]創立者) |
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*[[黒土四郎]](元校長、[[横浜中学校・高等学校]]創立者) |
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==関連項目== |
==関連項目== |
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*[[神奈川県高等学校一覧]] |
*[[神奈川県高等学校一覧]] |
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*[[旧制中学校]] |
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*[[ナンバースクール]] |
*[[ナンバースクール (旧制中等学校・新制高校)]] |
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*[[希望ヶ丘駅]] |
*[[希望ヶ丘駅]] |
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*[[早春スケッチブック]] - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列で1983年に放映された、[[山田太一 (脚本家)|山田太一]]脚本の連続ドラマ。 |
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== 注 == |
== 注 == |
2013年6月13日 (木) 14:14時点における版
神奈川県立希望ヶ丘高等学校 | |
---|---|
正門 | |
過去の名称 |
神奈川県尋常中学校 神奈川県中学校 神奈川県第一中学校 神奈川県立第一中学校 神奈川県立第一横浜中学校 神奈川県立横浜第一中学校 神奈川県立横浜第一高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 神奈川県 |
設立年月日 | 1897年 |
創立記念日 | 6月18日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 14113F |
所在地 | 〒241-0824 |
神奈川県横浜市旭区南希望が丘79-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
神奈川県立希望ヶ丘高等学校(かながわけんりつ きぼうがおかこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市旭区南希望が丘にある県立高等学校。
概要
神奈川県尋常中学校として、現在の神奈川県教育会館・県営藤棚アパート等がある横浜市西区藤棚町にて創立された。その後、名称を神奈川県中学校(1899年)、神奈川県第一中学校(1900年)、神奈川県立第一中学校(1901年)、神奈川県立第一横浜中学校(1913年)、神奈川県立横浜第一中学校(1923年)と改称する。1923年9月1日の関東大震災により、校舎は大きな被害を受けた。1945年5月29日の横浜大空襲によって校舎焼失、現在の横浜市金沢区へ移転。
戦後の学制改革を経て、神奈川県立横浜第一高等学校(1948年)、神奈川県立希望ヶ丘高等学校(1950年)と改称し、男女共学となる。1951年9月、横浜市保土ケ谷区二俣川町中野原(現在の旭区南希望が丘)へ移転した。現在地は相模鉄道の寄付による。全日制と定時制が設置されている。
沿革
- 1897年2月23日 - 神奈川県尋常中学校を久良岐郡戸太町に設置する旨告示[1]
- 1897年6月18日 - 開校式を挙行(この日を開校記念日とする)[2]
- 1899年2月6日 - 神奈川県中学校と改称[3]
- 1900年4月1日 - 神奈川県第一中学校と改称[4]
- 1901年5月7日 - 神奈川県立第一中学校と改称[5]
- 1913年4月1日 - 神奈川県立第一横浜中学校と改称[6]
- 1923年4月1日 - 神奈川県立横浜第一中学校と改称[7]
- 1923年9月1日 - 関東大震災にて校舎倒壊著しく破損
- 1927年5月5日 - 校舎全部の改築に着手
- 1928年12月14日 - 校旗制定
- 1934年2月12日 - 校歌制定(作曲・山田耕筰、作詞・佐佐木信綱)
- 1945年5月29日 - 横浜大空襲により校舎罹災焼失
- 1945年7月2日 - 横浜市戸部国民学校の一部を借用し、授業を行う
- 1946年4月1日 - 横浜市磯子区六浦町の元第一海軍技術廠工員養成所宿舎跡に移転
- 1948年4月1日 - 神奈川県立横浜第一高等学校と改称[8]し、本校に併設中学校を設け、本校校長が兼任
- 1950年4月1日 - 神奈川県立希望ヶ丘高等学校と改称[9]し、本年度より男女共学と19学区制実施
- 1951年9月11日 - 現在地の横浜市保土ケ谷区二俣川町中野原の新校舎第一期工事完了
- 1951年9月19日 - 金沢校舎(横浜市金沢区六浦町)より現在地へ移転
- 1963年4月1日 - 9学区制実施により横浜中部地区に属する
- 1981年4月1日 - 16学区制実施により横浜西部学区に属する
- 1985年3月1日 - 新校歌制定(作曲・三善晃、作詞・飯田侑)
- 1997年10月25日 - 創立100周年記念式を挙行
- 2004年4月1日 - 2学期制開始
- 2005年4月1日 - 学区制廃止
- 2010年4月22日 - 神奈川県教育委員会から県立高校教育力向上推進事業による「学力向上進学重点校」に指定される[10]
校歌
教育
教育目標
- 学習はすべて自発的に行い、自学自習を重んじ、自己の能力と資質を最大限に伸ばす
- 行動はすべて自主的に行い、自律自制を旨とする
- 社会人としての意識を明確にし、和衷協同を旨とする
- 社会人としての言動、礼法に注意し、情操豊かな人となる
- 節度ある学校生活を通じて、心身の健康をはかる
教育課程
- 生徒の大半が大学に進学して専門的に学ぶことを希望しているので、大学での教育に耐えうる学力の養成を念頭においた授業が月曜から金曜まで毎日1コマ45分×7時限で展開されている。
- 1・2年次に基礎・基本をしっかりと身につけ、幅広く学ぶことで視野を広げる。2年生まで全員が同じ科目を履修する(芸術は1つを選択)。これにより自分の適性を見極め、3年次での進路選択につなげている。
- 1・3年次にある総合的な学習の時間では、自分の趣味・関心に基づいた自由研究を行う。1年次は個別研究、3年次では多彩な20講座以上にもおよぶゼミに所属して研究する方式をとっている。
行事
主な学校行事
- 陸上競技大会
- 大和市スポーツセンター競技場で開催
- 記念祭
- 開校記念日である6月18日前後に、本校構内で開催
- 球技大会(7月・3月)
- 合唱祭
- 修学旅行(2年次)
- 3年生を送る会
廃止された学校行事
- Y校戦
- 1924年から1969年にかけて行われた横浜市立横浜商業高等学校とのスポーツ対抗戦
- 水泳大会
- 駅伝大会
- 予餞会
- 後餞会
部活動
運動系部活動
- 陸上競技部
- 硬式野球部
- 1951年に第43回全国高等学校野球選手権大会に出場する。これ以降、2013年まで神奈川県立高校の夏の甲子園大会への出場はない(神奈川県の公立高校として夏の甲子園に出場した5校のうちの一つ)
- サッカー部
- 1972年に第51回全国高等学校サッカー選手権大会に出場する
- ラグビー部
- ハンドボール部(男子・女子)
- バレーボール部(男子・女子)
- バスケットボール部(男子・女子)
- 硬式テニス部(男子・女子)
- ソフトボール部(女子)
- バドミントン部
- ダンス部(女子)
- 卓球部
- 剣道部
- 弓道部
- 水泳部
- 山岳部
- 体操部
文化系部活動
- 吹奏楽部
- 2005年に東日本学校吹奏楽大会コンクール部門に出場する。なお、本校の吹奏楽部は全国的にも珍しい学生指揮者の形態をとっており、大会・演奏会等すべてを生徒の指揮で演奏している
- 軽音楽部
- フォークソング部
- 室内楽部
- 合唱部
- ギター部
- 美術部
- 茶道部
- 化学部
- 文芸部
- MFC(マンガファンクラブ)
- まんが甲子園では2007年「あったか高知まんがフェスティバル実行委員会会長賞」(全国第5位相当)受賞、2009年全国第3位、2010年全国準優勝している
- パントマイム部
- ドレスクリエイト部
- ブレイクダンス部(男子)
同好会活動
- フットサル同好会
- 柔道同好会
- 囲碁将棋同好会
- 写真同好会
- 演劇同好会
その他
- 記念祭運営委員会
- 合唱祭運営委員会
- 球技大会運営委員会
- 希望ヶ丘放送委員会(KHI)
- 2007年6月にラジオ日本内の高校球児応援番組「甲子園に行こう」において本番組にラジオドラマを寄贈し、参加した64校の中で優秀賞を受賞した
- クイズ研究会
旧学区
学区撤廃以前は横浜西部学区(1981-2004年度/以下各校)に属していた
- 神奈川県立希望ヶ丘高等学校
- 神奈川県立旭高等学校
- 神奈川県立中沢高等学校(2004年都岡高等学校と統合、神奈川県立横浜旭陵高等学校となる)
- 神奈川県立都岡高等学校(2004年中沢高等学校と統合、神奈川県立横浜旭陵高等学校となる)
- 神奈川県立和泉高等学校(2008年岡津高等学校と統合、神奈川県立横浜緑園総合高等学校となる)
- 神奈川県立松陽高等学校
- 神奈川県立岡津高等学校(2008年和泉高等学校と統合、神奈川県立横浜緑園総合高等学校となる)
- 神奈川県立瀬谷高等学校
- 神奈川県立瀬谷西高等学校
著名な出身者
政治・行政
- 相沢英之(元大蔵省主計局長、元大蔵事務次官、元衆議院議員、元経済企画庁長官)
- 相原力(元運輸省運輸政策局長、元海上保安庁長官)
- 浅沼清太郎(元警察庁警務局長、元警察庁長官)
- 飛鳥田一雄(元横浜市長、元衆議院議員、元日本社会党委員長)
- 荒川昌二(元対満事務局次長、元横浜正金銀行頭取、元ベルギー大使)
- 池田清志(元栃木県知事、元衆議院議員)
- 太田正孝(横浜市議会議員)
- 岡部三郎(元参議院議員、元北海道開発庁長官、元沖縄開発庁長官)
- 小此木彦三郎(元衆議院議員、元建設大臣)
- 川合武(元消防庁次長、元衆議院議員)
- 来栖三郎(元外務省通商局長、元ベルギー大使、元ドイツ大使、元アメリカ大使)
- 斎藤文夫(元参議院議員、川崎・砂子の里資料館館長)
- 鈴木隆雄(元警察庁科学警察研究所副所長)
- 平川守(元農林事務次官)
- 本間精(元内務省警保局長、元福岡県知事)
- 松隈秀雄(元大蔵事務次官)
- 三浦義秋(元駐漢口総領事、漢口事件担当)
- 山本鎮彦(元警察庁警備局長、元警察庁長官、元ベルギー大使)
- 横溝光暉(元内閣情報部長、元熊本県知事)
- 吉瀬維哉(元大蔵事務次官)
経済・経営
- 有吉義弥(元日本郵船会長)
- 小原敏人(元日本ガイシ会長)
- 行天豊雄(元大蔵省国際金融局長、元財務官、元東京三菱銀行会長)
- 小島正興(元丸紅常務、元セコム副会長)
- 小室恒夫(元通商産業省通商局長、元新日鐵化学会長)
- 桑田弘一郎(元テレビ朝日社長)
- 佐藤喜一郎(元三井銀行会長)
- 間塚道義(富士通会長)
- 松信太助(有隣堂創設者)
- 山木利満(小田急電鉄社長)
- 山口一弥(郵便事業株式会社東京支社長)
- 渡邉美樹(ワタミフードサービス会長)
学術・研究
- 池田善長(農業経済学者)
- 大島正満(生物学者)
- 大須賀明(憲法学者、早稲田大学名誉教授)
- 小野塚知二(歴史家・経済学者、東京大学教授)
- 加藤衛(演劇評論家、元横浜市立大学教授)
- 木村健二郎(化学者、元東京大学教授、元東京女子大学学長)
- 小林良彰(政治学者、慶應義塾大学教授、横浜国立大学教授)
- 小塚新一郎(哲学者、元東京芸術大学学長)
- 國領經郎(洋画家)
- 佐藤次高(政治学者、東京大学名誉教授)
- 酒井一夫(経済学者、元北海道大学教授)
- 清水元(法学者、中央大学大学院法務研究科教授)
- 鈴木和夫(工学者、横浜国立大学教授)
- 種瀬茂(経済学者、元一橋大学学長)
- 高橋勝(教育学者、横浜国立大学名誉教授)
- 坪田幸政(理学者、桜美林大学教授)
- 寺田透(フランス文学者、元東京大学教授)
- 藤田統(筑波大学名誉教授)
- 長島裕二(東京海洋大学教授)
- 長沼毅(生物学者、広島大学准教授)
- 松信八十男(環境問題研究家、慶応義塾大学名誉教授)
- 村尾次郎(歴史学者、元文部省主任教科書調査官)
- 宮丸裕二(英米文学者、中央大学教授)
- 矢代幸雄(美術史家、元美術研究所所長)
文学・芸術
- 大野林火(俳人)
- 川村毅(劇作家・演出家 / T factory主宰)
- 渋谷和宏(作家、日経ビジネスアソシエ編集長)
- 高橋秀実(ノンフィクション作家)
- 野尻抱影(文学者・随筆家)
- 黛敏郎(作曲家)
- 門奈紀生(タンゴ楽団アストロリコ代表、バンドネオン奏者)
- 山下和美(漫画家)
- 秋岸寛久(作曲家)
- 山田和樹(指揮者)
- 山本昌代(作家)
- 野中“まさ”雄一(ミュージシャン)
- 中台俊輔(作家)
マスメディア・芸能
- 青池玲奈(アナウンサー)
- 杏里(歌手)(定時制)
- 伊藤かずえ(女優)(定時制中退)
- 植松真美(モデル)
- 植村智子(アナウンサー)
- 酒井美帆(2012年度ミス日本「水の天使」)
- 佐藤英夫(俳優)
- 田原彩香(アナウンサー)
- 次山嘉一(俳優)
- 内藤国夫(元毎日新聞編集委員)
- 中村俊一(演出家・俳優)
その他
- 小田原俊彦(元第一航空艦隊参謀長、海軍少将)
- 滝本太郎(弁護士)
- 佐々木太一(元バレーボール日本代表)
- 中村俊久(元第三艦隊参謀長、侍従武官、海軍中将)
- 菱沼洋(日本航空運航部調査役 B747-400機長)
- 藤田雄蔵(陸軍中佐)
- 松信幹男(山手学院中学校・高等学校創立者)
- 黛治夫(元戦艦大和副長、海軍大佐)
- 山口三郎(海軍中佐)
- 米川忠吉(元航空自衛隊幕僚長、空将)
著名な教職員
- 犬養孝(元国語科教諭、大阪大学名誉教授)
- 安彦忠彦(元英語科教諭、名古屋大学名誉教授、神奈川大学教授)
- 菊地龍道(元校長、駒場東邦中学校・高等学校創立者)
- 黒土四郎(元校長、横浜中学校・高等学校創立者)
関連項目
注
- ^ (神奈川県告示第18号)「神奈川県尋常中学校ヲ久良岐郡戸田町戸部ニ設置ス但シ開校ノ期日ハ追テ告示す」
- ^ 文部大臣蜂須賀茂韶の代理として文部次官都築馨六が来校した際に記念式典を開催した
- ^ 第2次中学校令によって「尋常中学校」が「中学校」に改称されたため
- ^ 現在の神奈川県立小田原高等学校の前身である神奈川県第2中学校が設立されたため
- ^ 「学校ノ名称ニ何々立ノ文字ヲ冠セシム」との文部省令が発せられたため
- ^ 現在の神奈川県立横浜翠嵐高等学校の前身である神奈川県立横浜第二中学校の設立が文部省により認可されたため(大正2年文部省告示第56号)“1913年(大正2年)3月17日付『官報』”. 国立国会図書館デジタル化資料. 2013年6月13日閲覧。
- ^ 現在の神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校の前身である神奈川県立横浜第三中学校の設立されたため
- ^ 学制改革により旧制中学が新制高校に改組されたため
- ^ ナンバースクール廃止に従い、現在地の最寄駅名に改称したため
- ^ “県立高校教育力向上推進事業 教育推進校 <学力向上進学重点>”. 神奈川県教育委員会. 2013年6月13日閲覧。