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「砂津」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]]近く、駅の東を南北に流れる砂津川を挟んで対岸に位置する。かつての「[[小倉市]][[大字]]砂津」は現在の砂津・長浜町・浅野などを含む一帯を指しており、長浜町には漫画家[[松本零士]]がかつて住んでいたこともあって、松本の代表作「[[銀河鉄道999]]」の発祥地とも言われている。また、砂津川の河口である浅野の[[北九州港#小倉地区|小倉港(浅野フェリー埠頭)]]はかつては別名「砂津港」とも呼ばれており、現在も[[関西汽船]]のフェリーが毎晩[[松山港]]に向けて出発している。
[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]]近く、駅の東を南北に流れる砂津川を挟んで対岸に位置する。かつての「[[小倉市]][[大字]]砂津」は現在の砂津・長浜町・[[浅野 (北九州市)|浅野]]などを含む一帯を指しており、長浜町には漫画家[[松本零士]]がかつて住んでいたこともあって、松本の代表作「[[銀河鉄道999]]」の発祥地とも言われている。また、砂津川の河口である浅野の[[北九州港#小倉地区|小倉港(浅野フェリー埠頭)]]はかつては別名「砂津港」とも呼ばれており、現在も[[関西汽船]]のフェリーが毎晩[[松山港]]に向けて出発している。


また、かつて[[路面電車]][[西鉄北九州線]]の砂津電停や砂津車庫、[[朝日新聞]]西部本社もあった。門司方面が廃止された[[1985年]]から北九州線の大部分が廃止された[[1992年]]まではここが北九州線の終点であったこともあり、小倉における交通の要衝の役割も果たしていた。砂津車庫はその後の[[再開発]]によって[[チャチャタウン|チャチャタウン小倉]]という[[複合商業施設]]に生まれ変わり、平日休日問わず常に賑わっている。また、[[西鉄バス]]([[西鉄バス北九州]]・[[西鉄高速バス]])の[[砂津バスセンター]]があり、北九州地区を走るほとんどのバスの運行拠点となっている。
また、かつて[[路面電車]][[西鉄北九州線]]の砂津電停や砂津車庫あった。門司方面が廃止された[[1985年]]から北九州線の大部分が廃止された[[1992年]]まではここが北九州線の終点であったこともあり、小倉における交通の要衝の役割も果たしていた。砂津車庫はその後の[[再開発]]によって[[複合商業施設]][[チャチャタウン小倉]]に生まれ変わり、平日休日問わず常に賑わっている。チャチャタウン向かいには、[[西鉄バス]]([[西鉄バス北九州]]・[[西鉄高速バス]])の[[砂津バスセンター]]があり、北九州地区を走るほとんどのバスの運行拠点となっている。

また、[[朝日新聞]]西部本社が[[リバーウォーク北九州]]に移転するまで砂津にあった。


== 関連リンク ==
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2009年5月28日 (木) 15:00時点における版

砂津(すなつ)は、北九州市小倉北区の地名の一つ。

概要

小倉駅近く、駅の東を南北に流れる砂津川を挟んで対岸に位置する。かつての「小倉市大字砂津」は現在の砂津・長浜町・浅野などを含む一帯を指しており、長浜町には漫画家松本零士がかつて住んでいたこともあって、松本の代表作「銀河鉄道999」の発祥地とも言われている。また、砂津川の河口である浅野の小倉港(浅野フェリー埠頭)はかつては別名「砂津港」とも呼ばれており、現在も関西汽船のフェリーが毎晩松山港に向けて出発している。

また、かつて路面電車西鉄北九州線の砂津電停や砂津車庫があった。門司方面が廃止された1985年から、北九州線の大部分が廃止された1992年までは、ここが北九州線の終点であったこともあり、小倉における交通の要衝の役割も果たしていた。砂津車庫はその後の再開発によって複合商業施設チャチャタウン小倉に生まれ変わり、平日休日問わず常に賑わっている。チャチャタウン向かいには、西鉄バス西鉄バス北九州西鉄高速バス)の砂津バスセンターがあり、北九州地区を走るほとんどのバスの運行拠点となっている。

また、朝日新聞西部本社がリバーウォーク北九州に移転するまで砂津にあった。

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