コンテンツにスキップ

「日本体育大学硬式野球部」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
37行目: 37行目:
[[1964年]]、東都大学野球連盟を脱退して[[首都大学野球連盟]]に加盟。発足時からの伝統校として[[日本体育大学|日体大]]・[[東海大学]]・[[東京教育大学]](現 [[筑波大学]])・[[武蔵大学]]・[[成城大学]]の5大学で編成し交流戦を開始。同年秋、[[明治学院大学]]・[[東京経済大学]]が加盟し、初のリーグ戦が7校で開始され、日体大は[[東海大学硬式野球部|東海大]]に次ぐ2位だった。
[[1964年]]、東都大学野球連盟を脱退して[[首都大学野球連盟]]に加盟。発足時からの伝統校として[[日本体育大学|日体大]]・[[東海大学]]・[[東京教育大学]](現 [[筑波大学]])・[[武蔵大学]]・[[成城大学]]の5大学で編成し交流戦を開始。同年秋、[[明治学院大学]]・[[東京経済大学]]が加盟し、初のリーグ戦が7校で開始され、日体大は[[東海大学硬式野球部|東海大]]に次ぐ2位だった。


[[1967年]]、首都大学野球秋季部リーグ戦で初優勝。
[[1967年]]、首都大学野球秋季1部リーグ戦で初優勝。


[[1980年]]、3年生[[白武佳久]]投手の活躍で秋季リーグ戦で5度目の優勝。[[原辰徳]]や3年生[[井辺康二]]投手擁する東海大の10連覇を阻止。第11回明治神宮野球大会準決勝で2年生和田護投手や3年生[[木戸克彦]]擁する[[法政大学野球部|法政大]]を破り、決勝で3年生[[宮本賢治]]投手擁する[[亜細亜大学硬式野球部|亜細亜大]]を下した。神宮大会3度目の出場で初優勝を飾る。翌[[1981年]]春秋リーグ戦を連覇しリーグ戦3連覇を達成。第30回全日本大学野球選手権大会準々決勝<!--2回戦?-->で優勝した[[平田勝男]]らを擁する[[明治大学野球部|明治大]]に敗退。[[第12回明治神宮野球大会]]2回戦で[[山沖之彦]]投手擁する[[専修大学硬式野球部|専修大]]に敗退。
[[1980年]]、3年生[[白武佳久]]投手の活躍で秋季リーグ戦で5度目の優勝。[[原辰徳]]や3年生[[井辺康二]]投手擁する東海大の10連覇を阻止。第11回[[明治神宮野球大会]]準決勝で1年生和田護投手や[[小早川毅彦]]、2年生[[木戸克彦]]擁する[[法政大学野球部|法政大]]を破り、決勝で3年生[[宮本賢治]]投手擁する[[亜細亜大学硬式野球部|亜細亜大]]を下した。神宮大会3度目の出場で初優勝を飾る。翌[[1981年]]春秋リーグ戦を連覇しリーグ戦3連覇を達成。春は第30回[[全日本大学野球選手権大会]]準々決勝<!--2回戦?-->で優勝した[[平田勝男]]らを擁する[[明治大学野球部|明治大]]に敗退。秋は[[第12回明治神宮野球大会]]2回戦で[[山沖之彦]]投手擁する[[専修大学硬式野球部|専修大]]に敗退。


[[1984年]]、3年生[[園川一美]]投手を擁し春秋リーグ戦連覇。東海大の5連覇を阻止。第33回全日本大学野球選手権準々決勝<!--2回戦?-->で優勝した3年生[[西川佳明]]投手擁する[[法政大学野球部|法政大]]に敗退。第15回明治神宮野球大会2回戦で[[広澤克実]]らを擁する明大を下すも、準決勝で[[佐々木修 (野球)|佐々木修]]投手擁する[[近畿大学工学部硬式野球部|近大呉工学部]]に敗退。
[[1984年]]、3年生[[園川一美]]投手を擁し春秋リーグ戦連覇。東海大の5連覇を阻止。第33回全日本大学野球選手権準々決勝<!--2回戦?-->で優勝した3年生[[西川佳明]]投手擁する[[法政大学野球部|法政大]]に敗退。第15回明治神宮野球大会2回戦で[[広澤克実]]らを擁する明大を下すも、準決勝で[[佐々木修 (野球)|佐々木修]]投手擁する[[近畿大学工学部硬式野球部|近大呉工学部]]に敗退。

2023年11月19日 (日) 19:42時点における版

日本体育大学硬式野球部
加盟団体 首都大学野球連盟
本拠地 横浜市青葉区鴨志田町
創部 1891年
チームカラー スカイブルー
監督 古城隆利
公式サイト 公式ウェブサイト
リーグ戦成績
リーグ成績 優勝27回
全日本大学野球選手権大会
出場回数 11回
最高成績 ベスト4
明治神宮野球大会
出場回数 13回
最高成績 優勝
テンプレートを表示

日本体育大学硬式野球部(にっぽんたいいくだいがくこうしきやきゅうぶ、: Nippon Sport Science University Baseball Club)は、首都大学野球連盟に所属する大学野球チーム。日本体育大学の学生によって構成されている。正式名称は「学友会日本体育大学硬式野球部」で、大学の略称は日体(にったい)または日体大(にったいだい)。

ユニホームは、スカイブルーに青字NITTAIと表記されたもの。左袖には「花桜」のシンボルマーク、右袖にNSSUの文字。ブルーの野球帽にはNSの白文字、ストッキング青色。

概要

1891年(明治24年)日本体育会が起源。明治26年体操練習所、日本体育会体操学校、日本体育専門学校、日本体育大学と変遷。創部は古く不詳(部誌に昭和21年「1946年」土浦校舎時代に活動再開とある)、しかし大学野球連盟に加盟した1952年(昭和27年)を創部としている。現在、首都大学野球連盟創設時から加盟している伝統校であり、毎年概ねリーグ戦の上位に位置する強豪で、リーグ優勝は26回・準優勝35回である。

教員養成・スポーツ医療系(体育学部・スポーツ文化学部・スポーツマネジメント学部・児童スポーツ教育学部・保健医療学部)の総合大学(単科大学)である。

大学卒業後は高校・中学校指導者監督・部長(責任教師)・コーチ(教職員など)となって、全国大会出場(甲子園「全国高等学校野球選手権大会」「選抜高等学校野球大会」、全中「全国中学校軟式野球大会」等)に導くOBが多い事でも有名である。概ね大学自体が教員養成「指導者養成」系(スポーツ科学・体育学・児童スポーツ教育学・保健医療学)なので教員志望が多く、プロ・実業団志望者は少ない。しかし過去にはプロ野球ドラフト会議にて指名され、プロ野球選手になった卒業生もいる(プロ野球に進んだ選手は後述)。部員数が多く班別(Aコース・Bコース、学生コーチ、1軍2軍3軍など)に分かれている。一時期は日本一部員(初年度登録・大学連盟)の多い大学と云われていた。

横浜市青葉区六大学(國學院大學桐蔭横浜大学玉川大学横浜美術大学カリタス女子短期大学・日体大)支援協定により「AOBA Baseball Festa」として交流戦や野球教室を開催している。

リーグ戦優勝時には優勝を祝し野球部員によるエッサッサが伝統としてスタンドで披露される。

歴史

1952年、東京都新制大学野球連盟(現 東京新大学野球連盟)に加盟。同連盟で優勝4回。1958年、東京新大学野球連盟を脱退して東都大学野球連盟に加盟。

1964年、東都大学野球連盟を脱退して首都大学野球連盟に加盟。発足時からの伝統校として日体大東海大学東京教育大学(現 筑波大学)・武蔵大学成城大学の5大学で編成し交流戦を開始。同年秋、明治学院大学東京経済大学が加盟し、初のリーグ戦が7校で開始され、日体大は東海大に次ぐ2位だった。

1967年、首都大学野球秋季1部リーグ戦で初優勝。

1980年、3年生白武佳久投手の活躍で秋季リーグ戦で5度目の優勝。原辰徳や3年生井辺康二投手擁する東海大の10連覇を阻止。第11回明治神宮野球大会準決勝で1年生の和田護投手や小早川毅彦、2年生木戸克彦擁する法政大を破り、決勝で3年生宮本賢治投手擁する亜細亜大を下した。神宮大会3度目の出場で初優勝を飾る。翌1981年、春秋リーグ戦を連覇しリーグ戦3連覇を達成。春は第30回全日本大学野球選手権大会準々決勝で優勝した平田勝男らを擁する明治大に敗退。秋は第12回明治神宮野球大会2回戦で山沖之彦投手擁する専修大に敗退。

1984年、3年生園川一美投手を擁し春秋リーグ戦連覇。東海大の5連覇を阻止。第33回全日本大学野球選手権準々決勝で優勝した3年生西川佳明投手擁する法政大に敗退。第15回明治神宮野球大会2回戦で広澤克実らを擁する明大を下すも、準決勝で佐々木修投手擁する近大呉工学部に敗退。

1993年、3年生山内泰幸投手を擁し秋季リーグ戦で13度目の優勝。翌1994年春季リーグ戦も優勝しリーグ戦連覇。神宮大会、全日本いずれも準決勝進出。翌1995年、3年生小林雅英投手を擁し春秋リーグ戦連覇。全日本、神宮大会いずれも準決勝進出。翌1996年春季リーグ戦も優勝しリーグ戦3連覇。全日本では2回戦で準優勝した3年生前田浩継投手擁する九州共立大に敗退。

2017年第48回明治神宮野球大会で37年ぶり2度目の優勝を果たす。決勝戦で星槎道都大学に完封勝ち。

本拠地

  • 合宿所 - 日体大横浜健志台キャンパス合宿寮(横浜市青葉区鴨志田町)
  • グラウンド - 日本体育大学横浜健志台野球場(横浜市青葉区鴨志田町)

記録

2023年秋季時点。

主な出身者・関係者

歴代部長
  • 上平雅史 - 櫻井忠 - 関根義雄 - 河野徳良 - 波多腰克晃
アマチュア関係者
プロ野球

外部リンク