「新町 (世田谷区)」の版間の差分
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* [[1889年]]([[明治]]22年)町村制施行から[[駒沢]]に併合され、新町村は字の扱いとなり、[[駒沢村]]大字世田ヶ谷新町。(この後、[[新町住宅]]地が分譲される。) |
* [[1889年]]([[明治]]22年)町村制施行から[[駒沢]]に併合され、新町村は字の扱いとなり、[[駒沢村]]大字世田ヶ谷新町。(この後、[[新町住宅]]地が分譲される。) |
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* [[1925年]]([[大正]]14年)駒沢が町制に移行すると共に「世田ヶ谷」がはずれて、駒沢町大字新町となる。 |
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* [[1932年]]([[昭和]]7年)都内の市郡合併に伴い、世田谷区が成立した際に世田谷区新町となる。新町一~三丁目が成立。その後、弦巻・深沢境界との区画整理がある。 |
* [[1932年]]([[昭和]]7年)都内の市郡合併に伴い、世田谷区が成立した際に'''世田谷区新町'''となる。新町一~三丁目が成立。その後、弦巻・深沢境界との区画整理がある。 |
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* [[1969年]]([[昭和]]42年)住居表示に関する法律施行を機に、一丁目が駒沢三・四丁目、三丁目が桜新町一・二丁目とされ、二丁目の区域を以て新た |
* [[1969年]]([[昭和]]42年)住居表示に関する法律施行を機に、それまでの新町一丁目が駒沢三・四丁目、新町三丁目が桜新町一・二丁目とされ、新町二丁目の区域を以て新たな新町一~三丁目が成立した。</br> |
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== 施設 == |
== 施設 == |
2015年7月18日 (土) 17:22時点における版
新町 | |
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北緯35度37分58秒 東経139度38分50秒 / 北緯35.63278度 東経139.64722度 | |
国 |
|
都道府県 | 東京都 |
区 | 世田谷区 |
地域 | 玉川地域 |
面積 | |
• 合計 | 0.524 km2 |
人口 | |
• 合計 | 7,804人 |
• 密度 | 15,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
154-0014 |
市外局番 | 03 |
ナンバープレート | 世田谷 |
新町(しんまち)は、東京都世田谷区の町名。現行行政地名は新町一丁目から三丁目。2007年9月1日現在の人口は7,804 人[1]。面積は0.524平方キロメートル[1]。郵便番号154-0014。
地理
世田谷区の南東部に位置し、周囲を弦巻・駒沢・深沢・桜新町の各町に隣接する。世田谷区の玉川地区に属するが台地であり、標高は概ね38-45m程度。
河川
歴史 (名称と範囲の変遷)
新町は古くは世田谷の飛び地として独立した。
その範囲は広範であり、現在で言う世田谷区新町はもとより、桜新町全域、更には深沢、弦巻、駒沢の一部までを指した。
新町の指す範囲の大きさを端的に表す例として、東京初の郊外型分譲住宅地として有名な新町住宅開発(1913年・大正二年)があり、これは現在の桜新町・深沢の一部に相当する。
他にも桜新町2丁目にある区内最古の公園「世田谷新町公園」の名称などに、「新町」が広範だった頃の名残が今も見られる。
- 1858年-1860年 万治年間に世田谷村の飛び地(枝郷)である世田ヶ谷村新町から世田ヶ谷新町村が成立。井伊氏に支配されたとされる。
- 1889年(明治22年)町村制施行から駒沢に併合され、新町村は字の扱いとなり、駒沢村大字世田ヶ谷新町。(この後、新町住宅地が分譲される。)
- 1925年(大正14年)駒沢が町制に移行すると共に「世田ヶ谷」がはずれて、駒沢町大字新町となる。
- 1932年(昭和7年)都内の市郡合併に伴い、世田谷区が成立した際に世田谷区新町となる。新町一~三丁目が成立。その後、弦巻・深沢境界との区画整理がある。
- 1969年(昭和42年)住居表示に関する法律施行を機に、それまでの新町一丁目が駒沢三・四丁目、新町三丁目が桜新町一・二丁目とされ、新町二丁目の区域を以て新たな新町一~三丁目が成立した。
施設
- 行政機関
- 玉川消防署新町出張所
- 教育・文化施設
- 世田谷区立深沢小学校
- 世田谷区立深沢中学校
- 新町児童館
- 区民施設
- 新町地区会館
- 寺社
- 久富稲荷神社 (創建年代不詳だが、江戸時代から存在し創建約400年とも) 漫画「ぎんぎつね」の冴木神社のモデル。旧玉川通りから伸びる長さ250mの参道が特徴。
例大祭では神輿に加えて、太鼓山車を引く子供たちに大量のお菓子が振る舞われる。
過去に存在した施設
- 新町駅(新町停留所)
1907年明治40年4月に玉電が三軒茶屋から二子玉川駅まで開通し、現在の新町二・三丁目間に、新町駅(玉川電気鉄道)が設置された。
その新町駅は、昭和7年に桜新町駅(玉川電気鉄道)と名前を変えるが、その後、駒沢寄りの隣駅であった弦巻駅が新たに新町駅と名付けられる。後に更に新町二丁目駅に改名され、1969年昭和44年の玉電廃止まで存在した。
尚、昭和7年の桜新町駅(玉川電気鉄道)誕生時はまだ町名としての桜新町は存在していなかった。この桜新町駅は1969(昭和44)年に東急玉川線の廃止でなくなった。
現在の田園都市線桜新町駅は玉電廃止8年後の1977年(昭和52)年、渋谷 ~ 二子玉川駅間に東急新玉川線(平成12年に田園都市線に改名)が開通した時以来、存在する。
サザエさんの住む町
長谷川町子の描く漫画サザエさんに、幾度か礒野家の住所が出てくるが、そこでは、世田谷区新町三丁目(サザエさん第6巻など)となっている。
また長谷川町子の元々の旧宅、サザエさんの出版元であった姉妹社、長谷川町子美術館、漫画中に出てくる三河屋、魚徳なども、すべて世田谷区新町に存在した。(いずれも現在の桜新町)
新町の各区域の概略
- 新町一丁目
国道246号線以南の区画で、深沢地区との繋がりが深い(区立深沢小、深沢中ともに実際は新町一丁目に存在する)西の端に、呑川と緑道(呑川親水公園 - 平成5年完成)を擁し、かつては蛍が沢山いたと言う。桜新町駅からは国道246号線および首都高速三号線を挟み、多少距離があるものの、却って良好な住宅地となっている。現在では戸建住宅・マンションのほか社宅・官舎なども点在する。近隣にある駒沢オリンピック公園が、戦後の一時プロ野球「東映(東急)フライヤーズ」の本拠地「駒沢野球場」であったこともあり、かつては選手寮や当時の東映社長宅が存在し、優勝パレードの終着地点となっていた。
- 新町二丁目
北は玉川通り旧道(駅前通り)から、南は国道246号線までの範囲。南北の大きな道路に挟まれた街区で、桜新町駅にも接しているため、商店から、住宅、寺社まで多様な顔を見せる。第二次大戦を挟んだ数年間、志賀直哉の住居があった。善養院や久富稲荷の歴史は古く、創建400年を超えると伝えられる。昭和初期は、玉電新町駅前である新町2丁目付近が商店街の中心。現在も駅前の旧玉川通り沿いに、比較的近年進出した高級スーパーマーケット、ファミリーレストラン、洋菓子店などに交じって、古くからの個人商店も軒を連ねる。この駅前通り沿いに、昭和55年に八重桜が植樹され、毎年、ヤ・エまつり、さくらまつりが行なわれる。
- 新町三丁目
国道246号線より北側の小さい街区で、駅至近でありながら比較的区画が整っている。標高が高く、地盤も頑強であり、昭和6年の駒沢村新町区画整理事業を経て、桜新町駅周辺では特別な住宅地となっている。 昭和初期には、史上最年少最高裁判事で日本国憲法の立案責任者である入江俊郎などの名士も居を構えた。現在は、土地の細分化が進んだが、上場企業オーナー宅などが点在。一方、東京電力(世田谷営業センター)、東京ガス(南世田谷ライフバル)に加えて駒沢給水塔(弦巻二丁目・世田谷区地域風景遺産)など、新町住宅時代から一帯のライフラインを支えてきた社会インフラの集積地でもある。
主要道路
- 首都高速三号線 1971年開通 新町一丁目と二丁目の間を東西に走る
- 国道246号線 新町一丁目と二丁目の間を東西に走る
- 教育センター通り 新町三丁目の西端を南北にに走る
- 旧大山街道 「旧道」「駅前通り」とも。明治から昭和にかけて玉電の軌道があった通り 新町ニ丁目と三丁目の間を東西に走る
関連項目
脚注
- ^ a b 男3,602人、女4,202人。町内世帯数は3,887 世帯。平均世帯人員は2.01人/世帯。人口密度は14,893人/平方キロメートル世田谷区ホームページ>せたがや統計情報館>町丁別の人口と世帯>玉川地域の人口と世帯、2007年9月14日 (UTC)