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'''末永 正雄'''(すえなが まさお、[[1978年]][[2月13日]] - )は、[[鹿児島県]][[鹿児島市]]出身の[[全日本プロドリフト選手権]][[全日本プロドリフト選手権|D1グランプリ]]に参戦する[[レーサー]]。同じくD1ドライバーの[[末永直登]]は実兄。血液型はO型。[[2010年]]に結婚している。
'''末永 正雄'''(すえなが まさお、[[1978年]][[2月13日]] - )は、[[鹿児島県]][[鹿児島市]]出身の[[ドリフト走行|ドリフト]]ドライバー。[[全日本プロドリフト選手権|D1グランプリ]]に参戦する。同じくドリフトドライバーの[[末永直登]]は実兄。[[血液型]]はO型。[[2010年]]に結婚している。


==略歴==
==略歴==
中学2年生の時からミニバイクレースに参戦し、高校2年生の時に鹿児島チャンピオンを獲得<ref name="enkei">[https://www.enkei.co.jp/product/archives/humantalk/vol165/ 「「自分ならできる」と信じ続ける。」] ENKEI WHEELS、2022年1月11日閲覧</ref>。その後モトチャンプ杯の九州大会に参戦し、SR50クラスでチャンピオンになり、全国大会に出場。20歳の時に北九州大会カートコースでの練習で転倒、[[鎖骨骨折]]し、一時ミニバイクレースを休場した。その頃に兄・[[末永直登]]の影響でドリフトを始める。最初は[[トヨタ・カローラレビン#AE85型|AE85]]を購入し、怪我のため片手で練習する。その後[[AE86]]、[[日産・スカイライン|スカイライン]](HR31)、AE86、[[シルエイティ]]、AE86、[[日産・セフィーロ|セフィーロ]]、AE86、[[日産・シルビア|シルビア]](S13)、RX-7(FD3S)と乗り継いだ。ちなみに直登は正雄よりも1週間ドリフト歴が長い。[[2000年]]には第69回[[いかす走り屋チーム天国]]南九州大会に、[[植尾勝浩]]率いる「殿倶楽部」から植尾や兄の直登などと共に参戦。団体戦優勝を果たしている。
中学2年生の時からミニバイクレースに参戦し、高校2年生の時に鹿児島チャンピオンを獲得<ref name="enkei">[https://www.enkei.co.jp/product/archives/humantalk/vol165/ 「「自分ならできる」と信じ続ける。」] ENKEI WHEELS、2022年1月11日閲覧</ref>。その後モトチャンプ杯の九州大会に参戦し、SR50クラスでチャンピオンになり、全国大会に出場。20歳の時に北九州大会カートコースでの練習で転倒、[[鎖骨骨折]]し、一時ミニバイクレースを休場した。その頃に兄・[[末永直登]]の影響でドリフトを始める。最初は[[トヨタ・カローラレビン#AE85型|AE85]]を購入し、怪我のため片手で練習する<ref name="enkei" />。その後[[AE86]]、[[日産・スカイライン|スカイライン]](HR31)、AE86、[[シルエイティ]]、AE86、[[日産・セフィーロ|セフィーロ]]、AE86、[[日産・シルビア|シルビア]](S13)、RX-7(FD3S)と乗り継いだ。ちなみに直登は正雄よりも1週間ドリフト歴が長い。[[2000年]]には第69回[[いかす走り屋チーム天国]]南九州大会に、[[植尾勝浩]]率いる「殿倶楽部」から植尾や兄の直登などと共に参戦。団体戦優勝を果たしている。


D1には[[2002年]]から参戦。当初はプライベーターであり、[[2003年]]にはS13シルビアに乗り全戦自走で全国を転戦した<ref name="enkei" />。[[2004年]]からは[[RE雨宮]]の[[マツダ・RX-7|RX-7]](FD3S)で参戦。
D1には[[2002年]]から参戦。当初はプライベーターであり、[[2003年]]にはS13シルビアに乗り全戦自走で全国を転戦した<ref name="enkei" />。[[2004年]]からは[[RE雨宮]]の[[マツダ・RX-7|RX-7]](FD3S)で参戦。
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[[2019年]]は再びプライベーターとして2016年と同じS15型シルビアで第5戦[[エビスサーキット|エビス]]から参戦<ref>[https://www.d1gp.co.jp/03_sche/2019/gp1905/n05.html 末永正雄がEBISU DRIFTにS15シルビアでプライベーター参戦!] - D1 OFFICIAL WEBSITE、2019年8月10日</ref>。
[[2019年]]は再びプライベーターとして2016年と同じS15型シルビアで第5戦[[エビスサーキット|エビス]]から参戦<ref>[https://www.d1gp.co.jp/03_sche/2019/gp1905/n05.html 末永正雄がEBISU DRIFTにS15シルビアでプライベーター参戦!] - D1 OFFICIAL WEBSITE、2019年8月10日</ref>。


[[2020年]]からはD-maxに所属し、チームメイトの[[横井昌志]]と共に、2019年に横井がチャンピオンを獲得した際のマシン<ref>[https://option.tokyo/2020/09/21/79453/ 「D1GP上位陣のマシンメイキングに迫る! Part.2」1000馬力は当たり前の世界] web option、2020年9月21日</ref>であるS15シルビアで参戦。2020年は総合13位にとどまったものの、2021年は第8戦奥伊吹で準優勝するなど活躍しシリーズ4位となった。
[[2020年]]からはD-maxに所属し、チームメイトの[[横井昌志]]と共に、2019年に横井がチャンピオンを獲得した際のマシン<ref>[https://option.tokyo/2020/09/21/79453/ 「D1GP上位陣のマシンメイキングに迫る! Part.2」1000馬力は当たり前の世界] web option、2020年9月21日</ref>であるS15シルビアで参戦。タイヤは[[ナンカンタイヤ|ナンカン]]を使用する。2020年は総合13位にとどまったものの、2021年は第8戦奥伊吹で準優勝するなど活躍しシリーズ4位となった。

[[2022年]]も前年と同じ体制・マシンでD1GPに参戦する。


== エピソード ==
== エピソード ==
*2005年の第2戦お台場の追走で[[末永直登]]とのD1史上初の兄弟対決が実現し、この時は正雄が勝利。直近では2021年第8戦の奥伊吹モーターパーク<ref>[https://d1gp.co.jp/6370/ D1GP RD.8 奥伊吹 詳細レポート] - D1GRAND PRIX、2021年10月3日</ref>でも兄弟対決があり、2021年シリーズ終了時点の勝敗は正雄5勝、直登4勝となっている。
*2005年の第2戦お台場の追走で[[末永直登]]とのD1史上初の兄弟対決が実現し、この時は正雄が勝利。直近では2021年第8戦の奥伊吹モーターパーク<ref>[https://d1gp.co.jp/6370/ D1GP RD.8 奥伊吹 詳細レポート] - D1GRAND PRIX、2021年10月3日</ref>でも兄弟対決があり、2021年シリーズ終了時点の勝敗は正雄5勝、直登4勝となっている。


*D1選手のなかでは少数派である自動車関係以外の仕事が本業であり、[[南日本新聞]]に勤務している。2015年の時点では、新聞印刷機のオペレーターとして働いていた<ref>[https://www.croooober.com/feature/5394613 新マナPの衝撃トーク 【第150回】あの人は今…第1弾は] - Croooober、2016年6月8日</ref>。海外参戦に消極的な理由に「あまり休暇を取りすぎると解雇されるから」としている。
*D1選手のなかでは少数派である自動車関係以外の仕事が本業であり、[[南日本新聞]]に勤務している。2015年の時点では、新聞印刷機のオペレーターとして働いていた<ref>[https://www.croooober.com/feature/5394613 新マナPの衝撃トーク 【第150回】あの人は今…第1弾は] - Croooober、2016年6月8日</ref>。海外参戦に消極的な理由に「あまり休暇を取りすぎると解雇されるから」としている{{要出典|date=2022年6月}}


*愛車は、白の[[マツダ・RX-7]](FD3S)のエアコン・内装を取り外し、RE雨宮のフルエアロを装着した仕様。この車で[[2006年]]のD1ストリートリーガルに参戦、シリーズランキング2位になっている。また黒のRX-7(FD3S)も所有しており、こちらはエアコン付き仕様のほぼノーマル車で、自分で初めてエンジンをオーバーホールしたらしく愛着があるとのこと。また、前述のS15シルビアも所有している。
*愛車は、白の[[マツダ・RX-7]](FD3S)のエアコン・内装を取り外し、RE雨宮のフルエアロを装着した仕様。この車で[[2006年]]のD1ストリートリーガルに参戦、シリーズランキング2位になっている<ref name="gazoo">[https://gazoo.com/ilovecars/lifestyle/im21kagoshima/22/01/13/rx-7/ 地元鹿児島で会社員をしながらドリフト選手として活躍!愛機RX-7(FD3S)から見えてくる努力の裏側とは…?【取材地:鹿児島】] GAZOO、2022年1月13日</ref>。また黒のRX-7(FD3S)も所有しており、こちらはエアコン付き仕様のほぼノーマル車で、自分で初めてエンジンをオーバーホールしたらしく愛着があるとのこと。また、前述のS15シルビアも所有している<ref name="gazoo" />


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2022年6月14日 (火) 11:17時点における版

末永 正雄(すえなが まさお、1978年2月13日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身のドリフトドライバー。D1グランプリに参戦する。同じくドリフトドライバーの末永直登は実兄。血液型はO型。2010年に結婚している。

略歴

中学2年生の時からミニバイクレースに参戦し、高校2年生の時に鹿児島チャンピオンを獲得[1]。その後モトチャンプ杯の九州大会に参戦し、SR50クラスでチャンピオンになり、全国大会に出場。20歳の時に北九州大会カートコースでの練習で転倒、鎖骨骨折し、一時ミニバイクレースを休場した。その頃に兄・末永直登の影響でドリフトを始める。最初はAE85を購入し、怪我のため片手で練習する[1]。その後AE86スカイライン(HR31)、AE86、シルエイティ、AE86、セフィーロ、AE86、シルビア(S13)、RX-7(FD3S)と乗り継いだ。ちなみに直登は正雄よりも1週間ドリフト歴が長い。2000年には第69回いかす走り屋チーム天国南九州大会に、植尾勝浩率いる「殿倶楽部」から植尾や兄の直登などと共に参戦。団体戦優勝を果たしている。

D1には2002年から参戦。当初はプライベーターであり、2003年にはS13シルビアに乗り全戦自走で全国を転戦した[1]2004年からはRE雨宮RX-7(FD3S)で参戦。

2005年からは次第に好成績を収めるようになり、第6戦富士スピードウェイで初優勝。最終戦までチャンピオン争いをするに至った。チームオーナーの雨宮勇美を始めチームからの信頼も高く、RE雨宮のドライバーとして2015年まで参戦を続けていた。

2011年にはNOSを組み込んだRX-8に乗り換え、同年のシリーズを9位で終えた。翌2012年、さらに2013年もRX-8で参戦し、それぞれシリーズランキング総合9位、総合11位であった。

2014年はマシンを3ローターエンジン搭載のRX-7(FD3S)に変更し、単走でシリーズチャンピオンに、総合でもシリーズ2位に輝いた。翌2015年も引き続きRX-7に騎乗した。

2016年は、本業である新聞印刷業の都合もあり、プライベーターとして2JZ-GTE搭載のS15シルビアでスポット参戦した。

2017年2018年TRUSTより、川畑真人と共にR35型GT-Rで参戦。それぞれシリーズを総合11位と4位で終えた。

2019年は再びプライベーターとして2016年と同じS15型シルビアで第5戦エビスから参戦[2]

2020年からはD-maxに所属し、チームメイトの横井昌志と共に、2019年に横井がチャンピオンを獲得した際のマシン[3]であるS15シルビアで参戦。タイヤはナンカンを使用する。2020年は総合13位にとどまったものの、2021年は第8戦奥伊吹で準優勝するなど活躍しシリーズ4位となった。

2022年も前年と同じ体制・マシンでD1GPに参戦する。

エピソード

  • 2005年の第2戦お台場の追走で末永直登とのD1史上初の兄弟対決が実現し、この時は正雄が勝利。直近では2021年第8戦の奥伊吹モーターパーク[4]でも兄弟対決があり、2021年シリーズ終了時点の勝敗は正雄5勝、直登4勝となっている。
  • D1選手のなかでは少数派である自動車関係以外の仕事が本業であり、南日本新聞に勤務している。2015年の時点では、新聞印刷機のオペレーターとして働いていた[5]。海外参戦に消極的な理由に「あまり休暇を取りすぎると解雇されるから」としている[要出典]
  • 愛車は、白のマツダ・RX-7(FD3S)のエアコン・内装を取り外し、RE雨宮のフルエアロを装着した仕様。この車で2006年のD1ストリートリーガルに参戦、シリーズランキング2位になっている[6]。また黒のRX-7(FD3S)も所有しており、こちらはエアコン付き仕様のほぼノーマル車で、自分で初めてエンジンをオーバーホールしたらしく愛着があるとのこと。また、前述のS15シルビアも所有している[6]

脚注

外部リンク