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「東西大学対抗ラグビー」の版間の差分

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| 1960
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| 該当チームなし
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| 日本と同志社が不戦のため。
*日本と同志社が不戦のため。
*[[日本協会招待NHK杯争奪ラグビー大会]]には日本が出場([[八幡製鐵ラグビー部|八幡製鐵]]に13 - 50で敗退)。
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| [[同志社大学ラグビー部|同志社]]
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| 同志社 39 - 6 慶應
*同志社 39 - 6 慶應
*日本協会招待NHK杯争奪ラグビー大会には同志社が出場し、[[近鉄ライナーズ|近鉄]]を17 - 6で破った。
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| 該当チームなし
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| 本来の規約からすると、関東Aブロック(一部に相当)1位の明治が関西1位の同志社を16-14で破ったため、優勝と認定されるはずであるが、明治は同年度の[[早明戦]]で、当時関東Bブロック(二部に相当)1位の早稲田に8-17と敗れたため、優勝認定されなかった。なお、同志社は早稲田に22-14で勝ったため、いわゆる、「三すくみ」状況が発生した。
*本来の規約からすると、関東Aブロック(一部に相当)1位の明治が関西1位の同志社を16-14で破ったため、優勝と認定されるはずであるが、明治は同年度の[[早明戦]]で、当時関東Bブロック(二部に相当)1位の早稲田に8-17と敗れたため、優勝認定されなかった。なお、同志社は早稲田に22-14で勝ったため、いわゆる、「三すくみ」状況が発生した。
*日本協会招待NHK杯争奪ラグビー大会には明治が出場(八幡製鐵に6 - 25で敗退)。
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|1963
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| 該当チームなし
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| 同志社と法政が不戦のため。<br />関西学院と法政が不戦のため。
*同志社と法政が不戦のため。
*関西学院と法政が不戦のため。
*第1回[[日本ラグビーフットボール選手権大会]]には、関西優秀校の同志社と関東優秀校の法政が出場。決勝戦で同志社が近鉄を18 - 3で破り初代日本一となった。
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<優勝回数>
<優勝回数>
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①早稲田 9回
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②明治 8回
③京都 3
|①早稲田 9
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④慶應 2回
|②明治 8回
⑤関西学院 1回、同志社 1回
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|③京都 3回
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|④慶應 2回
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|⑤関西学院 1回、同志社 1回
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2012年1月2日 (月) 13:15時点における版

東西大学対抗ラグビー(とうざいだいがくたいこうらぐびー)は、全国大学ラグビーフットボール選手権大会(以下、大学選手権)の実質的な前身大会として、1925年度〜1963年度まで行われていた。 最多優勝は早稲田の9回である。

概要

表題は、日本ニュースなどの資料[1][2]に基づき、東西大学対抗ラグビーとしているが、特定の名称があるわけではなく、東西大学対抗(戦)や、東西各1位校同士の対戦の場合についてのみ、東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦という言い方をするケースもある。但し、現在も行われている東西学生対抗試合とは趣旨が異なることや、東西各1位校のみの対戦に限定されなかったことから当該名称を用いることにした。

また、日本の大学ラグビーの実質的な日本一を決定する大会であったが、『好きなチームとスケジュールを組み、勝敗にこだわらずベストを尽くし悔いのない内容のゲームをやる。』というラグビーの伝統的思想を重んじたため、東西の各1位チーム同士の対戦がないというケースもあり、その場合は優勝チームなしとなった。

1925年度より開始され、『第一回ラグビー選手権試合は、関西のベスト・ワンたる同志社大学慶應大学との間で大正十五年一月十日阪神甲子園で慶應のキックオフで開始』と、同年度版の朝日運動年鑑に明記された通り、1926年1月10日、第1回の東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦が行われた。しかし6-6の引き分けに終わったため優勝チームはなく、優勝旗は、1926年1月に設立されたばかりの、日本ラグビー蹴球協会(現在の日本ラグビーフットボール協会、以下 日本協会)預りとなった。

基本的には、後に当年11月頃に行われるようになった早稲田京都及び明治 対 同志社以外の対戦は、当年12月最終周〜翌年1月第2週頃までの日程の中で行われ、1925年度等、一部の年度を除き、西暦奇数年度は関東での開催、同偶数年度は関西での開催となった。但し、上記2カードについては、奇数年度が関西、偶数年度は関東で開催が行われた。

第二次世界大戦前は、ラグビーの強豪校は、関東五大学対抗戦[3](後の関東大学ラグビー対抗戦グループ)に属するチームや、関西では同志社や京都といったチームにほぼ限定された背景もあり、優勝該当チームなしという年度はあまり見られなかったが、同戦後、関東で日本法政、関西でも関西学院[4]などの、俗に『新興校』と呼ばれるチームが台頭するようになると、関東五大学対抗戦に属していたチームや、関西でも同志社など、伝統的思想を重んじる『伝統校』との軋轢が生じた背景により、「不戦につき優勝認定チームなし」という年度が続発。それに伴い、大学ラグビーの人気そのものが低落していったため、当制度を維持していくのが極めて困難な情勢となった。

また、同大戦後に開始された全国社会人ラグビーフットボール大会では、トーナメント方式により優勝チームを決定していたことに加え、1960年度より同大会の優勝チームと日本協会招待NHK杯争奪ラグビー大会(日本ラグビーフットボール選手権大会の前身大会)が開始されたことに伴い、社会人チームとの実力を拮抗させる必要性も迫られていたことから、1964年2月8日、日本協会と関東ラグビーフットボール協会(関東協会)は、1964年度のシーズンより、トーナメント方式による大学選手権を開始すると表明したことにより、当制度による大学日本一決定戦システムは廃止となった。

一方、東西大学対抗ラグビー廃止後も、しばらくの間は東西の各大学による対抗戦は行われていた。

歴代優勝認定チーム

年度 チーム名 特記
1925 該当チームなし 第1回ラ式蹴球選手権試合として、同志社慶應が対戦したが、6-6で引き分け。
1926 大正天皇崩御の諒闇で中止
1927 京都 京都 14 - 11 早稲田
1928 京都 京都 9 - 6 早稲田
1929 該当チームなし 京都と立教が不戦のため。
1930 慶應 慶應 17 - 0 同志社
1931 明治 明治 54 - 11 京都
1932 早稲田 早稲田 27 - 3 同志社
1933 早稲田 関東1位の早稲田は関西1位の同志社と8-8で引き分けたが、同志社が明治と13-13で引き分け、慶應には5-16で敗戦したため、早稲田の優勝が認定された。
1934 京都 京都 16 - 13 明治
1935 明治 明治 29 - 0 同志社
1936 該当チームなし 早稲田と京都が不戦のため。
1937 早稲田 早稲田 24 - 5 京都
1938 明治 明治 26 - 3 京都
1939 明治 明治 51 - 3 京都
1940 明治 明治 58 - 11 同志社
1941 早稲田 早稲田 36 - 5 京都
1942・春 該当チームなし 早稲田と同志社が不戦のため。
1942・秋 慶應 慶應 35 - 4 同志社
1945 優勝制度なし 東京と慶應がいずれも京都と対戦して勝利した試合のみ実施。
1946 該当チームなし 明治と立命館が不戦のため。
1947 関西学院 関西学院 26 - 12 明治
1948 早稲田 早稲田 15 - 0 関西学院
1949 明治 明治 16 - 0 関西学院
1950 早稲田 早稲田 16 - 3 関西学院
1951 明治 明治 24 - 3 関西学院
1952 早稲田 早稲田 8 - 6 同志社
1953 早稲田 早稲田 23 - 5 同志社
1954 明治 明治 21 - 5 関西学院
1955 該当チームなし 日本と同志社が不戦のため。
1956 該当チームなし 中央と同志社が不戦のため。
1957 該当チームなし 慶應と関西学院が不戦のため。
1958 早稲田 早稲田 14 - 3 関西学院
1959 該当チームなし 法政と同志社が不戦のため。
1960 該当チームなし
1961 同志社
  • 同志社 39 - 6 慶應
  • 日本協会招待NHK杯争奪ラグビー大会には同志社が出場し、近鉄を17 - 6で破った。
1962 該当チームなし
  • 本来の規約からすると、関東Aブロック(一部に相当)1位の明治が関西1位の同志社を16-14で破ったため、優勝と認定されるはずであるが、明治は同年度の早明戦で、当時関東Bブロック(二部に相当)1位の早稲田に8-17と敗れたため、優勝認定されなかった。なお、同志社は早稲田に22-14で勝ったため、いわゆる、「三すくみ」状況が発生した。
  • 日本協会招待NHK杯争奪ラグビー大会には明治が出場(八幡製鐵に6 - 25で敗退)。
1963 該当チームなし
  • 同志社と法政が不戦のため。
  • 関西学院と法政が不戦のため。
  • 第1回日本ラグビーフットボール選手権大会には、関西優秀校の同志社と関東優秀校の法政が出場。決勝戦で同志社が近鉄を18 - 3で破り初代日本一となった。

<優勝回数>

①早稲田 9回
②明治 8回
③京都 3回
④慶應 2回
⑤関西学院 1回、同志社 1回

参考文献

脚注

  1. ^ 日本ニュース 戦後編 第1号 - NHK戦争証言アーカイブス
  2. ^ ラグビー早明戦80年(ベースボール・マガジン社)
  3. ^ 慶應早稲田明治東京立教の5大学。
  4. ^ もっとも、関西学院が東西大学対抗ラグビーへの参戦を開始したのは1938年度からであるから、必ずしも新興チームとは言い難い面もある。