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今でも日本中で使われる'''気を付け'''や'''右向け右'''や'''回れ右'''等の掛け声は、その時に坦庵が一般の者が使いやすいようにと、親族の石井修三に頼んで西洋の文献から日本語に訳させたものである。 |
今でも日本中で使われる'''気を付け'''や'''右向け右'''や'''回れ右'''等の掛け声は、その時に坦庵が一般の者が使いやすいようにと、親族の石井修三に頼んで西洋の文献から日本語に訳させたものである。 |
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== 外部リンク == |
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2006年3月15日 (水) 17:21時点における版
江川英龍(えがわひでたつ、享和元年(1801年) - 安政2年1月16日(1855年3月4日))は、江戸時代後期の幕臣で、伊豆韮山代官。通称の太郎左衛門(たろうざえもん)、または号の坦庵(たんなん)の呼び名のほうでよく知られている。地元の韮山では坦庵と書いて(たんあん)と読むことが多い。洋学、とりわけ近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、日本に西洋砲術を普及させた。現在はレジャースポットとなった東京湾岸のお台場を作った人物でもあり、日本で初めてパンを焼いた人物だとも言われている。
世直し江川大明神
江川家は鎌倉時代以来の歴史を誇る家柄である。代々の当主は太郎左衛門を名乗り、江戸時代には伊豆韮山代官として天領の民政に従事した。英竜はその36代目の当主に当たる。父英毅が長命したために、英龍が代官職を継いだのは天保6年(1835年)、35歳のときとやや遅い。この間江川はやや悠々自適に過ごしているようで、時に江戸に遊学して斎藤弥九郎に剣を学び、さらにその弥九郎と親しくなり彼とともに代官地の領内を隠密に歩き回ったりしている(弥九郎との関係は終生続いた)。
父英毅は民治に力を尽くし、商品作物の栽培による増収などを目指した人物として知られるが、英龍も施政の公正に勤め、二宮尊徳を招聘して農地の改良などを行った。また、嘉永年間に種痘の技術が伝わると、領民への接種を積極的に推進した。こうした領民を思った英竜の姿勢に、領民は彼を「世直し江川大明神」と呼んで敬愛した。現在に至っても彼の地元・韮山では江川へ強い愛着を持っていることがうかがわれる。
海防に強い問題意識を抱く
江戸時代で最も文化が爛熟したといわれる文化年間以降、日本近海に外国船がしばしば現れ、ときには薪水を求める事態も起こっていた。幕府は異国船打払令を制定、基本的に日本近海から駆逐する方針を採っていたが、天保8年(1837年)、モリソン号事件が発生。幕府は方針に従って打ち払った。江川としても代官としての管轄区域には、伊豆・相模沿岸の太平洋から江戸湾への入り口に当たる海防上重要な地域が含まれており、この問題に大きな関心と危機感を持った。
こうした時期に、川路聖謨・羽倉簡堂の紹介で江川は渡辺崋山・高野長英ら
西洋流砲術を導入する
その後、江川は崋山らの遺志を継いで長崎へと赴いて高島に弟子入りし、近代砲術を学ぶとともに、幕府に高島流砲術を取り入れ、江戸で演習を行うよう働きかけた。これが実現し、江川は水野忠邦より正式な幕命として高島秋帆への弟子入りを認められる。以後は高島流砲術をさらに改良した西洋砲術の普及に努め、全国の藩士にこれを教育した。佐久間象山・大鳥圭介・橋本左内・桂小五郎(のちの木戸孝允)などが彼の門下で学んでいる。
水野忠邦が失脚した後に老中となった阿部正弘にも評価され、彼の命で台場を作成した。同様に反射炉も作り、銃砲製作も行った。現在も韮山に反射炉跡が残っている。また、造船技術の向上にも力を注いだ。さらに近代的装備による農兵軍の組織を企図したが、その途上で江川は病死、あとを継いだ一子英敏が文久3年(1863年)に編成に成功した。
江川英龍の登場する作品
- 漫画
- みなもと太郎「風雲児たち」
その他
- 坦庵は、屋敷近隣の金谷村の人を集め、日本で始めての西洋式軍隊を組織したとされる。
今でも日本中で使われる気を付けや右向け右や回れ右等の掛け声は、その時に坦庵が一般の者が使いやすいようにと、親族の石井修三に頼んで西洋の文献から日本語に訳させたものである。
- 静岡県伊豆の国市韮山(旧韮山町)に建つ静岡県立韮山高等学校の学祖とされる(参考:静岡県立韮山高等学校)。