「水田圭介」の版間の差分
文章整理、スタイル修正など |
編集の要約なし |
||
8行目: | 8行目: | ||
|写真のコメント = |
|写真のコメント = |
||
|国籍 = {{JPN}} |
|国籍 = {{JPN}} |
||
|出身地 = [[大阪府]][[大阪市]] |
|出身地 = [[大阪府]][[大阪市]][[西淀川区]] |
||
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1980|11|4}} |
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1980|11|4}} |
||
|没年月日 = |
|没年月日 = |
||
113行目: | 113行目: | ||
[[Category:埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手]] |
[[Category:埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手]] |
||
[[Category:阪神タイガース及びその前身球団の選手]] |
[[Category:阪神タイガース及びその前身球団の選手]] |
||
[[Category:大阪府出身の人物]] |
|||
[[Category:大阪市出身の人物]] |
[[Category:大阪市出身の人物]] |
||
[[Category:1980年生]] |
[[Category:1980年生]] |
2009年7月16日 (木) 07:55時点における版
阪神タイガース #15 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 |
|
出身地 | 大阪府大阪市西淀川区 |
生年月日 | 1980年11月4日(43歳) |
身長 体重 |
175 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手、三塁手、遊撃手 |
プロ入り | 2000年 ドラフト7位 |
初出場 | 2001年8月8日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
水田 圭介(みずた けいすけ、1980年11月4日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(内野手)。
経歴
大阪桐蔭高校、社会人野球のプリンスホテルを経て、2000年のドラフトで西武ライオンズに7位で指名され入団。
2005年にファームで3割を打ち、守備だけでなく確実な打撃も評価された。
2006年はオープン戦で結果を残し、開幕一軍入りを果たした。遊撃手の中島裕之の故障などで出場機会が格段に増えたが、先発出場は2試合のみで守備固めがほとんどであった。8月6日の北海道日本ハムファイターズ戦で、守備固めとして出場し回ってきた打席で、MICHEALからプロ初本塁打となるランニングホームランを打った。プロ初本塁打をランニングホームランで達成したのは、武上四郎、緒方耕一、坪井智哉に次ぐ、2リーグ制以降史上4人目の快挙だった。またこれが水田のこの年唯一の安打であった。
2007年は右打ちからスイッチヒッターに転向し、二軍で主力選手として活躍したが、打率2割と低迷した。シーズン終盤に一軍に昇格したが、やはり守備固めとしての出場がほとんどだった。
2008年は本来の右打ちに戻し、2月の紅白戦でルーキーの平野将光から2本塁打を打ったものの、一軍出場は17試合に留まった。打席に立ったのも交流戦の2打席のみであったが、その内容は「投犠打」と「四球」で出塁率10割であった。
2009年7月、藤田太陽との交換トレードで阪神に移籍[1]。これはアレックス・グラマンの離脱などでリリーフ投手が手薄だった西武と内野手の補強を求めていた阪神の思惑が合致した結果であった。トレード発表後の試合となった7月11日の対オリックス11回戦において、水田をよい形で送りだそうと、渡辺久信監督は9回裏に代打上本達之の代走として起用。移籍が決まった選手の試合出場は異例のこと。結果は中島裕之のサードライナーで塁を飛び出してアウト。その後延長の末西武がサヨナラ勝ちを収め、チームメイトが試合終了後水田を胴上げして別れを惜しんだ[2]。7月13日に支配下登録され、背番号は藤田のつけていた15となった。
プレースタイル
高校時代は全国屈指の長距離打者として注目され、高校通算55本塁打を記録。しかしプロ入り後は、内野の全ポジションを守れる器用さを武器に巧みな守備を見せている。
強肩・俊足が持ち味で、守備固めとしての出場が多い。若手ながらいぶし銀タイプのユーティリティープレイヤーとして、守備面での貢献が期待されている。2005年から3年連続で、一軍で二塁手・三塁手・遊撃手の3ポジションすべてに起用されている。二軍では外野守備の経験もある。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | 西武 | 3 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2002 | 2 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2003 | 6 | 9 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2004 | 18 | 14 | 14 | 3 | 2 | 0 | 1 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .143 | .143 | .286 | .429 | |
2005 | 23 | 7 | 6 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .143 | .000 | .143 | |
2006 | 23 | 17 | 15 | 8 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .067 | .067 | .267 | .334 | |
2007 | 19 | 13 | 10 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | .200 | .333 | .200 | .533 | |
2008 | 17 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 1.000 | ---- | 1.000 | |
通算:8年 | 111 | 67 | 56 | 19 | 5 | 0 | 1 | 1 | 10 | 4 | 2 | 0 | 6 | 1 | 3 | 0 | 1 | 15 | 0 | .089 | .089 | .176 | .265 |
- 2008年度シーズン終了時
個人記録
- 初出場:2001年8月8日、対オリックス・ブルーウェーブ21回戦(西武ドーム) - 8回表に遊撃手として出場
- 初打点:2003年9月20日、対大阪近鉄バファローズ26回戦(西武ドーム) - 9回裏に小池秀郎から中犠飛
- 初盗塁:2004年4月20日、対北海道日本ハムファイターズ5回戦(西武ドーム) - 8回裏に二盗
- 初安打:2004年4月27日、対オリックス・ブルーウェーブ4回戦(ナゴヤドーム) - 3回表に具臺晟から中前安打
- 初本塁打:2006年8月6日、対北海道日本ハムファイターズ14回戦(インボイスSEIBUドーム) - 8回裏にMICHEALからランニング本塁打
背番号
- 59(2001年 - 2004年)
- 45(2005年 - 2009年途中)
- 15(2009年途中 - )
関連項目
脚注
- ^ トレードの成立について
- ^ 西武・水田、胴上げに号泣「一番の思い出」 サンケイスポーツ 2009年7月12日閲覧