コンテンツにスキップ

「長田千鶴子」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 外部リンクの修正 http:// -> https:// (www.bunka.go.jp) (Botによる編集)
m 修正
 
(3人の利用者による、間の3版が非表示)
19行目: 19行目:
| 没月 =
| 没月 =
| 没日 =
| 没日 =
| 職業 = [[編集技師]]
| 職業 = [[映像編集|編集技師]]
| ジャンル = [[映画]]、[[テレビドラマ]]
| ジャンル = [[映画]]、[[テレビドラマ]]
| 活動期間 = [[1973年]] - 現在
| 活動期間 = [[1973年]] - 現在
42行目: 42行目:
| 全米映画俳優組合賞 =
| 全米映画俳優組合賞 =
| トニー賞 =
| トニー賞 =
| 日本アカデミー賞 = [[第18回日本アカデミー賞|第18回]]最優秀編集賞(『[[四十七人の刺客]]』<br />[[第21回日本アカデミー賞|第21回]]最優秀編集賞(『[[誘拐 (1997年の映画)|誘拐]]』
| 日本アカデミー賞 = '''最優秀編集賞'''<br>[[第18回日本アカデミー賞|第18回]]『[[四十七人の刺客]]』<br />[[第21回日本アカデミー賞|第21回]]『[[誘拐 (1997年の映画)|誘拐]]』
| その他の賞 = 平成20年度(第6回)[[文化庁]]映画賞 映画功労部門
| その他の賞 = 平成20年度(第6回)[[文化庁]]映画賞 映画功労部門
| 備考 =
| 備考 =
}}
}}
'''長田 千鶴子'''(おさだ ちずこ、[[1942年]][[5月6日]] - )は、[[日本映画]]の[[編集技師]]。[[福岡県]]出身。[[市川崑]]の懐刀として知られる編集者<ref name=kimata>[http://www.eiganokuni.com/kimata/53-3.html コラム『日本映画の玉(ギョク)』 鈴木英夫<その14>『九尾の狐と飛丸』をめぐって(前篇)]木全公彦、 映画の國</ref>。
'''長田 千鶴子'''(おさだ ちずこ、[[1942年]][[5月6日]] - )は、[[日本映画]]の[[映像編集|編集技師]]。[[福岡県]]出身。[[市川崑]]の懐刀として知られる編集者<ref name=kimata>[http://www.eiganokuni.com/kimata/53-3.html コラム『日本映画の玉(ギョク)』 鈴木英夫<その14>『九尾の狐と飛丸』をめぐって(前篇)]木全公彦、 映画の國</ref>。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
高校卒業後、母親の知り合いだった[[中島源太郎]]のアニメ制作会社「[[日本動画]]」に[[1966年]]に入って中島の秘書を務め、[[1968年]]に大映テレビ部(現・[[大映テレビ]])の編集助手として入社。
高校卒業後、母親の知り合いだった[[中島源太郎]]のアニメ制作会社「[[東映アニメーション|日本動画]]」に[[1966年]]に入って中島の秘書を務め、[[1968年]]に大映テレビ部(現・[[大映テレビ]])の編集助手として入社。


[[1973年]]、『[[追跡 (1973年のテレビドラマ)|市川崑シリーズ・追跡]]』([[関西テレビ放送]])で編集技師となり、[[1975年]]の『[[吾輩は猫である (映画)#1975年版|吾輩は猫である]]』が初の映画編集者としての作品<ref>{{Cite web|url=http://cinemaga.nihon-eiga.com/recommends/vol-009/|title=今回の映画人 編集技師 長田千鶴子|work=日映シネマガ|publisher=日本映画放送|accessdate=2016-07-19}}</ref>。以来、亡くなるまで[[市川崑]]が監督した作品の編集を担当した。
[[1973年]]、『[[追跡 (1973年のテレビドラマ)|市川崑シリーズ・追跡]]』([[関西テレビ放送]])で編集技師となり、[[1975年]]の『[[吾輩は猫である (映画)#1975年版|吾輩は猫である]]』が初の映画編集者としての作品<ref>{{Cite web|和書|url=http://cinemaga.nihon-eiga.com/recommends/vol-009/|title=今回の映画人 編集技師 長田千鶴子|work=日映シネマガ|publisher=日本映画放送|accessdate=2016-07-19}}</ref>。以来、亡くなるまで[[市川崑]]が監督した作品の編集を担当した。


== 作品 ==
== 作品 ==
60行目: 60行目:
* 1978年 - 「[[女王蜂 (1978年の映画)|女王蜂]]」
* 1978年 - 「[[女王蜂 (1978年の映画)|女王蜂]]」
* 1978年 - 「[[火の鳥 (漫画)#映画(実写版)|火の鳥]]」
* 1978年 - 「[[火の鳥 (漫画)#映画(実写版)|火の鳥]]」
* 1979年 - 「[[病院坂の首縊りの家 (1979年の映画)|病院坂の首縊りの家]]」
* 1979年 - 「[[病院坂の首縊りの家 (映画)|病院坂の首縊りの家]]」
* 1980年 - 「[[古都 (1980年の映画)|古都]]」
* 1980年 - 「[[古都 (1980年の映画)|古都]]」
* 1982年 - 「[[胸さわぎの放課後]]」
* 1982年 - 「[[胸さわぎの放課後]]」
86行目: 86行目:
* 1995年 - [[第18回日本アカデミー賞]]最優秀編集賞(「四十七人の刺客」)
* 1995年 - [[第18回日本アカデミー賞]]最優秀編集賞(「四十七人の刺客」)
* 1998年 - [[第21回日本アカデミー賞]]最優秀編集賞(「誘拐」)
* 1998年 - [[第21回日本アカデミー賞]]最優秀編集賞(「誘拐」)
* 2008年 - 平成20年度(第6回)[[文化庁]]映画賞 映画功労部門<ref>{{Cite web|format=PDF|url=https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/eiga/eigaweek/pdf/5_here_there_press.pdf|title=「第5回文化庁映画週間 - Here&There」について|publisher=文化庁|date=2008-09-18|accessdate=2016-07-19}}</ref>
* 2008年 - 平成20年度(第6回)[[文化庁]]映画賞 映画功労部門<ref>{{Cite web|和書|format=PDF|url=https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/eiga/eigaweek/pdf/5_here_there_press.pdf|title=「第5回文化庁映画週間 - Here&There」について|publisher=文化庁|date=2008-09-18|accessdate=2016-07-19}}</ref>


== 出典・参考文献 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書
* {{Cite book|和書
|author = [[武田うめ]]
|author = [[武田うめ]]
96行目: 101行目:
|isbn =
|isbn =
}}
}}

== 脚注 ==
{{reflist}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2023年12月7日 (木) 13:46時点における最新版

おさだ ちずこ
長田 千鶴子
生年月日 (1942-05-06) 1942年5月6日(82歳)
出生地 福岡県
職業 編集技師
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1973年 - 現在
活動内容 主に市川崑監督作品の編集技師として活動
 
受賞
日本アカデミー賞
最優秀編集賞
第18回四十七人の刺客
第21回誘拐
その他の賞
平成20年度(第6回)文化庁映画賞 映画功労部門
テンプレートを表示

長田 千鶴子(おさだ ちずこ、1942年5月6日 - )は、日本映画編集技師福岡県出身。市川崑の懐刀として知られる編集者[1]

経歴[編集]

高校卒業後、母親の知り合いだった中島源太郎のアニメ制作会社「日本動画」に1966年に入って中島の秘書を務め、1968年に大映テレビ部(現・大映テレビ)の編集助手として入社。

1973年、『市川崑シリーズ・追跡』(関西テレビ放送)で編集技師となり、1975年の『吾輩は猫である』が初の映画編集者としての作品[2]。以来、亡くなるまで市川崑が監督した作品の編集を担当した。

作品[編集]

受賞歴[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ コラム『日本映画の玉(ギョク)』 鈴木英夫<その14>『九尾の狐と飛丸』をめぐって(前篇)木全公彦、 映画の國
  2. ^ 今回の映画人 編集技師 長田千鶴子”. 日映シネマガ. 日本映画放送. 2016年7月19日閲覧。
  3. ^ 「第5回文化庁映画週間 - Here&There」について” (PDF). 文化庁 (2008年9月18日). 2016年7月19日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]