コンテンツにスキップ

「陽流砲術」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
編集の要約なし
 
(9人の利用者による、間の12版が非表示)
1行目: 1行目:
{{出典の明記|date=2018年9月}}
'''陽流砲術'''は[[砲術]]の流派のひとつ。<br>'''抱大筒'''と呼ばれる大口径の火縄銃を扱うことで知られる。[[九州]][[筑前国]]の[[福岡藩]]主黒田氏の家臣の阿部家に伝えられた。
'''陽流砲術'''(ようりゅうほうじゅつ)は[[砲術]]の流派のひとつ。


'''抱大筒'''と呼ばれる大口径の火縄銃を扱うことで知られる。[[九州]][[筑前国]]の[[福岡藩]]主黒田氏の家臣の高野安長が流祖。その後、藩老林家の一系に世襲され、明治以降はその親類の尾上家に伝えられた(無形文化財)。高野安長ー安房ー村上吉正ー(林)吉利ー林直益ー利邑ー直房ー直温ー直内ー直射(西南役で自刃)。尾上家で世襲したという伝説があるが、史料的裏づけがない。尾上家に伝わる最古の大筒に安部何々という銘があるため、安部流の分かれのようにいう説もあるが関係無い。そもそも考証上、その年代に作られた大筒とは認めがたい。
福岡藩の藩である[[黒田孝高]]の[[鎧]]の胴中紋の「コクソウ」日輪紋を流印として陽流と定める。


福岡藩の初代である[[黒田長政]]の[[鎧]]の胴中紋の「コクモチ」日輪紋を流印として陽流と定める。
[[Category:武術|ようりゆう]]

{{stub}}
{{Japanese-history-stub}}
{{Weapon-stub}}
{{DEFAULTSORT:ようりゆうほうしゆつ}}
[[Category:砲術]]
[[Category:日本武術の流派]]

2018年9月4日 (火) 01:22時点における最新版

陽流砲術(ようりゅうほうじゅつ)は砲術の流派のひとつ。

抱大筒と呼ばれる大口径の火縄銃を扱うことで知られる。九州筑前国福岡藩主黒田氏の家臣の高野安長が流祖。その後、藩老林家の一系に世襲され、明治以降はその親類の尾上家に伝えられた(無形文化財)。高野安長ー安房ー村上吉正ー(林)吉利ー林直益ー利邑ー直房ー直温ー直内ー直射(西南役で自刃)。尾上家で世襲したという伝説があるが、史料的裏づけがない。尾上家に伝わる最古の大筒に安部何々という銘があるため、安部流の分かれのようにいう説もあるが関係無い。そもそも考証上、その年代に作られた大筒とは認めがたい。

福岡藩の初代藩主である黒田長政の胴中紋の「コクモチ」日輪紋を流印として陽流と定める。