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「赤玉スイートワイン」の版間の差分

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当時は米1升が10銭する中で、赤玉ポートワインはその4倍に相当する40銭という高級品だったが、鳥井が当時の帝国大学医学博士らなどの協力を得て、商品の安全性と滋養などの効能を謳ったことや、また行頭に「赤玉」と背中に書いた[[法被]]を着せて歩かせたり、芸者らなどに赤い玉の模様のついた[[かんざし]]を配ったりと、積極的なパブリシティをおこなう一方で、赤玉ポートワインを売り込むため、赤玉楽劇団がつくられ、当時のプリマドンナである[[松島恵美子]]を起用したヌードポスターが寿屋で広告文案を担当していた[[片岡敏郎]]、同じく寿屋でデザイナーとして活動していた[[井上木它]]らの手により制作されるなどした。このポスターは日本で初めてヌード写真を用いたことで知られている<ref>http://waga.nikkei.co.jp/play/gourmet.aspx?i=MMWAd4114020032007</ref>。
当時は米1升が10銭する中で、赤玉ポートワインはその4倍に相当する40銭という高級品だったが、鳥井が当時の帝国大学医学博士らなどの協力を得て、商品の安全性と滋養などの効能を謳ったことや、また行頭に「赤玉」と背中に書いた[[法被]]を着せて歩かせたり、芸者らなどに赤い玉の模様のついた[[かんざし]]を配ったりと、積極的なパブリシティをおこなう一方で、赤玉ポートワインを売り込むため、赤玉楽劇団がつくられ、当時のプリマドンナである[[松島恵美子]]を起用したヌードポスターが寿屋で広告文案を担当していた[[片岡敏郎]]、同じく寿屋でデザイナーとして活動していた[[井上木它]]らの手により制作されるなどした。このポスターは日本で初めてヌード写真を用いたことで知られている<ref>http://waga.nikkei.co.jp/play/gourmet.aspx?i=MMWAd4114020032007</ref>。


その結果、この商品は驚異的な売り上げを記録し、[[サントリー]]というブランドもたちまち関西からその名を全国に知られるようになり、現在まで長きにわたって続くサントリーの宣伝広報の定評の高さを示すことともなった。
その結果、この商品は驚異的な売り上げを記録し、[[サントリー]]というブランドもたちまち関西からその名を全国に知られるようになり、現在まで長きにわたって続くサントリーの宣伝広報の高さを示すことともなった。


やがて[[1954年]](昭和29年)には「赤玉ホワイトワイン」、[[1965年]](昭和40年)には「赤玉ハニーワイン」などの姉妹品が登場し、さらに[[1977年]](昭和52年)には、赤玉スイートワインをソーダで割った、デキャンタタイプのボトルで有名な「赤玉パンチ」が発売され、当時[[宝塚歌劇団]]で「[[ベルサイユのばら |ベルばら]]4強」の一角としてその名を知られたトップスターの一人でもあった[[鳳蘭]]を起用した「男には飲ませるな!」というCMが評判になった。赤玉パンチは[[1980年代]]後期に製造中止になったが、赤玉ホワイトワインは赤玉スイートワイン白として現在も販売されている。また、[[京都]]の[[お好み焼き]]屋には、赤玉スイートワインを[[焼酎]]と[[炭酸水]]で割った「アカ」と呼ばれる[[カクテル]]が存在しており、地域限定ではあるが人気が高い。
やがて[[1954年]](昭和29年)には「赤玉ホワイトワイン」、[[1965年]](昭和40年)には「赤玉ハニーワイン」などの姉妹品が登場し、さらに[[1977年]](昭和52年)には、赤玉スイートワインをソーダで割った、デキャンタタイプのボトルで有名な「赤玉パンチ」が発売され、当時[[宝塚歌劇団]]で「[[ベルサイユのばら |ベルばら]]4強」の一角としてその名を知られたトップスターの一人でもあった[[鳳蘭]]を起用した「男には飲ませるな!」というCMが評判になった。赤玉パンチは[[1980年代]]後期に製造中止になったが、赤玉ホワイトワインは赤玉スイートワイン白として現在も販売されている。また、[[京都]]の[[お好み焼き]]屋には、赤玉スイートワインを[[焼酎]]と[[炭酸水]]で割った「アカ」と呼ばれる[[カクテル]]が存在しており、地域限定ではあるが人気が高い。

2009年12月27日 (日) 05:12時点における版

赤玉スイートワイン(あかだまスイートワイン)は、寿屋洋酒店(現・サントリー)から1907年(明治40年)に発売され、今日まで発売され続けている甘味果実酒の名称である。

総合洋酒メーカーとしてのサントリーの土台を築きあげた商品として、その名を知られている。

歴史

1922年(大正11年)発表のポスター

寿屋の創業者である鳥井信治郎が、小西儀助商店(現在のコニシ)に丁稚奉公していた頃に商才を得て独立し、1899年(明治32年)に鳥井商店を設立。スペインから輸入した葡萄酒を販売したが、周囲からは不評だったため、「日本人の味覚に合った葡萄酒をつくる」べく、幾度となく甘味料の配合を重ね、1907年(明治40年)4月に「赤玉ポートワイン」を誕生させた。

当時は米1升が10銭する中で、赤玉ポートワインはその4倍に相当する40銭という高級品だったが、鳥井が当時の帝国大学医学博士らなどの協力を得て、商品の安全性と滋養などの効能を謳ったことや、また行頭に「赤玉」と背中に書いた法被を着せて歩かせたり、芸者らなどに赤い玉の模様のついたかんざしを配ったりと、積極的なパブリシティをおこなう一方で、赤玉ポートワインを売り込むため、赤玉楽劇団がつくられ、当時のプリマドンナである松島恵美子を起用したヌードポスターが寿屋で広告文案を担当していた片岡敏郎、同じく寿屋でデザイナーとして活動していた井上木它らの手により制作されるなどした。このポスターは日本で初めてヌード写真を用いたことで知られている[1]

その結果、この商品は驚異的な売り上げを記録し、サントリーというブランドもたちまち関西からその名を全国に知られるようになり、現在まで長きにわたって続くサントリーの宣伝広報力の高さを示すことともなった。

やがて1954年(昭和29年)には「赤玉ホワイトワイン」、1965年(昭和40年)には「赤玉ハニーワイン」などの姉妹品が登場し、さらに1977年(昭和52年)には、赤玉スイートワインをソーダで割った、デキャンタタイプのボトルで有名な「赤玉パンチ」が発売され、当時宝塚歌劇団で「ベルばら4強」の一角としてその名を知られたトップスターの一人でもあった鳳蘭を起用した「男には飲ませるな!」というCMが評判になった。赤玉パンチは1980年代後期に製造中止になったが、赤玉ホワイトワインは赤玉スイートワイン白として現在も販売されている。また、京都お好み焼き屋には、赤玉スイートワインを焼酎炭酸水で割った「アカ」と呼ばれるカクテルが存在しており、地域限定ではあるが人気が高い。

ちなみにこの赤玉ポートワインという商品の名称は、本来、ポートワインそのものがポルトガルで製造される葡萄酒を意味しており、ポルトガル政府の抗議等で、商標権の問題を抱えていたこともあり、1973年(昭和48年)に現在の名称である赤玉スイートワインに改められている。

2007年で誕生から100周年を迎えたことで、サントリーでは大々的なキャンペーンを開催し、4世代にわたった赤玉にまつわる思い出を募集したり、また特別に限定醸造された「赤玉スイートワイン PREMIUM」のほか、200mlボトル限定で復刻生産された「赤玉パンチ Sparkling」などが発売されている。

出典

その他

作家の森見登美彦は、複数の作品に「赤玉ポートワイン」の名で登場させている。

外部リンク