コンテンツにスキップ

「いすゞ自動車硬式野球部」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 外部リンクの修正 http:// -> https:// (www.nikkei.com) (Botによる編集)
 
(11人の利用者による、間の14版が非表示)
18行目: 18行目:
|都市対抗最近の出場 = {{by|2002年}}
|都市対抗最近の出場 = {{by|2002年}}
|都市対抗最高成績 = 優勝(1回)
|都市対抗最高成績 = 優勝(1回)
|産業対抗出場回数 = 8回
|産業対抗最近の出場 = {{by|1962年}}
|産業対抗最高成績 = ベスト4
|日本選手権出場回数 = 1回
|日本選手権出場回数 = 1回
|日本選手権最近の出場 = {{by|2001年}}
|日本選手権最近の出場 = {{by|2001年}}
30行目: 33行目:


== 概要 ==
== 概要 ==
{{by|1946年}}、[[いすゞ自動車]]の前身であるヂーゼル自動車工業の川崎工場で創部し<ref name="kyuushi">{{Cite web |url=http://www.isuzu.co.jp/press/backnumber/2002/02_07kyu.html |title=バスケットボール部・野球部の活動休止について(お知らせ) |publisher=いすゞ自動車 |date=2002-02-07 |accessdate=2017-02-22}}</ref>、[[苅田久徳]]らが参加した<ref name="mainichi_20020208">毎日新聞、2002年2月8日付朝刊、P.23</ref>。
{{by|1946年}}、[[いすゞ自動車]]の前身であるヂーゼル自動車工業の川崎工場で創部し<ref name="kyuushi">{{Cite web|和書|url=http://www.isuzu.co.jp/press/backnumber/2002/02_07kyu.html |title=バスケットボール部・野球部の活動休止について(お知らせ) |publisher=いすゞ自動車 |date=2002-02-07 |accessdate=2017-02-22}}</ref>、[[苅田久徳]]らが参加した<ref name="mainichi_20020208">毎日新聞、2002年2月8日付朝刊、P.23</ref>。


活動初年度の1946年は、いきなり[[第17回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]に初出場を果たした。{{by|1959年}}と{{by|1968年}}の都市対抗ではベスト8に進出したが、{{by|1971年}}の[[第42回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]以降は10年以上にわたって本大会に進めなかった。
活動初年度の1946年は、いきなり[[第17回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]に初出場を果たした。{{by|1959年}}と{{by|1968年}}の都市対抗ではベスト8に進出したが、{{by|1971年}}の[[第42回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]以降は10年以上にわたって本大会に進めなかった。


母体の業績不振もあって廃部も検討されたが、{{by|1987年}}に[[所正美]]が監督に就任すると[[謝長亨]]や[[康明杉]]を獲得するなど、2年間で24人の部員を入れ替え<ref name="mainichi_20000328">毎日新聞、2000年3月28日付朝刊、神奈川地方面</ref>、{{by|1989年}}の[[第60回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]で18年ぶりに本戦出場を果たし、{{by|1993年}}の[[第64回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]ではベスト4に進出した。
母体の業績不振もあって廃部も検討されたが(この期間に本拠地を藤沢市に移転。)、{{by|1987年}}に[[所正美]]が監督に就任すると[[謝長亨]]や[[康明杉]]を獲得するなど、2年間で24人の部員を入れ替え<ref name="mainichi_20000328">毎日新聞、2000年3月28日付朝刊、神奈川地方面</ref>、{{by|1989年}}の[[第60回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]で18年ぶりに本戦出場を果たし、{{by|1993年}}の[[第64回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]ではベスト4に進出した。


{{by|2001年}}、[[第28回社会人野球日本選手権大会|日本選手権]]に初出場を果たした。
{{by|2001年}}、[[第28回社会人野球日本選手権大会|日本選手権]]に初出場を果たした。
58行目: 61行目:
* [[田名網英二]]([[内野手]]) - 1950年に[[西日本パイレーツ]]に入団
* [[田名網英二]]([[内野手]]) - 1950年に[[西日本パイレーツ]]に入団
* [[藤野光久]](投手) - 退団後、明治座を経て、1952年に[[中日ドラゴンズ|名古屋ドラゴンズ]]に入団
* [[藤野光久]](投手) - 退団後、明治座を経て、1952年に[[中日ドラゴンズ|名古屋ドラゴンズ]]に入団
* [[高橋千年美]](投手) - 1953年に[[広島東洋カープ|広島カープ]]に入団
* [[辻正孝]]([[外野手]]) - 1970年[[ドラフト外入団|ドラフト外]]で中日ドラゴンズに入団
* [[辻正孝]]([[外野手]]) - 1970年[[ドラフト外入団|ドラフト外]]で中日ドラゴンズに入団
* [[豊田憲司]](投手) - {{NPBドラフト|1971}}ドラフト5位で[[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]]に入団
* [[豊田憲司]](投手) - {{NPBドラフト|1971}}ドラフト5位で[[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]]に入団
* [[望月彦男]](投手) - 退団後、電気化学を経て、1971年ドラフト6位で西鉄ライオンズに入団
* [[望月彦男]](投手) - 退団後、電気化学を経て、1971年ドラフト6位で西鉄ライオンズに入団
* [[永尾泰憲]](内野手) - {{NPBドラフト|1972}}ドラフト1位で[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]に入団
* [[永尾泰憲]](内野手) - {{NPBドラフト|1972}}ドラフト1位で[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトアトムズ]]に入団
* [[井出登]](投手) - {{NPBドラフト|1979}}ドラフト4位で中日ドラゴンズから指名を受け、翌1980年シーズン終了後に入団
* [[井出登]](投手) - {{NPBドラフト|1979}}ドラフト4位で中日ドラゴンズから指名を受け、翌1980年シーズン終了後に入団
* [[宮下正彦]](外野手) - 1986年ドラフト外で[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋ホエールズ]]に入団
* [[宮下正彦]](外野手) - 1986年ドラフト外で[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋ホエールズ]]に入団
67行目: 71行目:
* [[佐野心]](外野手) - {{NPBドラフト|1991}}ドラフト6位で中日ドラゴンズに入団
* [[佐野心]](外野手) - {{NPBドラフト|1991}}ドラフト6位で中日ドラゴンズに入団
* [[安藤学]](外野手) - {{NPBドラフト|1992}}ドラフト6位で[[千葉ロッテマリーンズ]]に入団
* [[安藤学]](外野手) - {{NPBドラフト|1992}}ドラフト6位で[[千葉ロッテマリーンズ]]に入団
* [[宮一彰]](内野手) - 退団後、米・[[独立リーグ]]の[[カナディアン・アメリカン・リーグ|ノーザンリーグ・イースト]]のアディロンダック・ランバージャックスを経て、{{NPBドラフト|1999}}ドラフト7位で読売ジャイアンツに入団
* [[宮一彰]](内野手) - 退団後、米・[[独立リーグ]]の[[カナディアン・アメリカン・リーグ|ノーザンリーグ・イースト]]のアディロンダック・ランバージャックスを経て、{{NPBドラフト|1999}}ドラフト7位で読売ジャイアンツに入団
* [[酒井泰志]](投手) - {{NPBドラフト|2002}}ドラフト7位で千葉ロッテマリーンズに入団
* [[酒井泰志]](投手) - {{NPBドラフト|2002}}ドラフト7位で千葉ロッテマリーンズに入団


== 元プロ野球選手の競技者登録 ==
== 元プロ野球選手の競技者登録 ==
* [[今泉勝義]](元:[[読売ジャイアンツ]]<ref>[http://blog.livedoor.jp/donzun-baseball/archives/5294717.html 高校野球人国記・東京(1)日大三]</ref>)
* [[今泉勝義]](元:[[読売ジャイアンツ]]<ref>[https://web.archive.org/web/20140221152353/http://blog.livedoor.jp/donzun-baseball/archives/5294717.html 高校野球人国記・東京(1)日大三]</ref>)
* [[大沢紀三男]](元:[[中日ドラゴンズ|産業軍]]) - 1947年に[[北海道日本ハムファイターズ|東映フライヤーズ]]に入団
* [[大沢紀三男]](元:[[中日ドラゴンズ|産業軍]]) - 1947年に[[北海道日本ハムファイターズ|東映フライヤーズ]]に入団
* [[片山栄次]](元:[[大和軍]])
* [[片山栄次]](元:[[大和軍]])
79行目: 83行目:
== かつて在籍していた主な選手・コーチ・監督 ==
== かつて在籍していた主な選手・コーチ・監督 ==
* [[長谷高成泰]](内野手) - 選手として在籍。2002年の[[第73回都市対抗野球大会]]で橋戸賞を獲得。
* [[長谷高成泰]](内野手) - 選手として在籍。2002年の[[第73回都市対抗野球大会]]で橋戸賞を獲得。
* [[ルルデス・グリエル]] - 選手として在籍。次男は2014年に[[横浜DeNAベイスターズ]]に所属した[[ユリエグリエル]]<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/31/gazo/G20140531008267880.html いすゞ自動車時代のルルデス・グリエル] スポニチ Sponichi Annex (2014年5月31日)</ref><ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/31/kiji/K20140531008270550.html グリエル父は阿部企業といすゞ自動車でプレー 都市対抗で一発も] スポニチ Sponichi Annex (2014年5月31日)</ref><ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXZZO72190380T00C14A6000000/ 鉄村和之(日本経済新聞編集委員)『なぜDeNAに? キューバからグリエル獲得の舞台裏』] [[日本経済新聞]] 電子版 (2014年6月4日 7:00配信)</ref>。
* [[ルルデス・グリエル]](指名打者) - 選手として在籍。次男の[[ユリエスキ・グリエル]]は[[横浜DeNAベイスターズ]]を経て[[ヒュートンアストロズ]]に所属<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/31/gazo/G20140531008267880.html いすゞ自動車時代のルルデス・グリエル] スポニチ Sponichi Annex (2014年5月31日)</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/31/kiji/K20140531008270550.html グリエル父は阿部企業といすゞ自動車でプレー 都市対抗で一発も] スポニチ Sponichi Annex (2014年5月31日)</ref><ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXZZO72190380T00C14A6000000/ 鉄村和之(日本経済新聞編集委員)『なぜDeNAに? キューバからグリエル獲得の舞台裏』] [[日本経済新聞]] 電子版 (2014年6月4日 7:00配信)</ref>。
* [[謝長亨]](投手) - 選手として在籍。[[台湾]]出身。1991年に[[統一ライオンズ]]に入団。
* [[謝長亨]](投手) - 選手として在籍。[[台湾]]出身。1991年に[[統一ライオンズ]]に入団。
* 古城隆利 -選手として在籍。のちに母校[[日本体育大学硬式野球部|日本体育大学]]に監督として復帰。2017年にはチームを[[明治神宮野球大会|明治神宮大会]]優勝に導いた。
* [[古城隆利]] - 選手として在籍。のちに母校[[日本体育大学硬式野球部|日本体育大学]]に監督として復帰。2017年にはチームを[[明治神宮野球大会|明治神宮大会]]優勝に導いた。
* 荒井直樹 - 選手として在籍。引退後に母校・[[日本大学藤沢高等学校|日大藤沢高]]の監督から、[[前橋育英高等学校|前橋育英高]]を率いて夏の甲子園で初出場、初優勝。
* [[荒井直樹]] - 選手として在籍。引退後に母校・[[日本大学藤沢高等学校|日大藤沢高]]の監督から、[[前橋育英高等学校|前橋育英高]]を率いて夏の甲子園で優勝。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
95行目: 99行目:
{{Baseball-stub}}
{{Baseball-stub}}
{{デフォルトソート:いすすしとうしやこうしきやきゆうふ}}
{{デフォルトソート:いすすしとうしやこうしきやきゆうふ}}
[[Category:現在活動していない日本の社会人野球チーム]]
[[Category:現在活動していない関東地方の社会人野球チーム]]
[[Category:関東地方社会人野球チーム|休いすすしとうしや]]
[[Category:神奈川県の野球チーム|休いすすしとうしや]]
[[Category:現在活動していない神奈川県のスポーツチーム]]
[[Category:現在活動していない神奈川県のスポーツチーム]]
[[Category:都市対抗野球優勝チーム]]
[[Category:都市対抗野球優勝チーム]]
[[Category:いすゞ自動車のスポーツ活動|こうしきやきゆうふ]]
[[Category:いすゞ自動車の歴史|こうしきやきゆうふ]]
[[Category:いすゞ自動車の歴史|こうしきやきゆうふ]]
[[Category:川崎市のスポーツ史]]
[[Category:川崎市のスポーツ史]]

2024年5月11日 (土) 15:37時点における最新版

いすゞ自動車硬式野球部
チーム名(通称) いすゞ自動車、いすゞ
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1946年
廃部2003年から休部中)
チーム名の遍歴

  • 川崎いすゞ
  • いすゞ自動車
本拠地自治体

都市対抗野球大会
出場回数 14回
最近の出場 2002年
最高成績 優勝(1回)
日本産業対抗野球大会
出場回数 8回
最近の出場 1962年
最高成績 ベスト4
社会人野球日本選手権大会
出場回数 1回
最近の出場 2001年
最高成績 ベスト4
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

いすゞ自動車硬式野球部(いすずじどうしゃこうしきやきゅうぶ)は、神奈川県藤沢市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属している社会人野球の企業チームである。2003年から休部中。

神奈川県の企業チームとしては最も古い存在である[1]

概要

[編集]

1946年いすゞ自動車の前身であるヂーゼル自動車工業の川崎工場で創部し[2]苅田久徳らが参加した[1]

活動初年度の1946年は、いきなり都市対抗野球に初出場を果たした。1959年1968年の都市対抗ではベスト8に進出したが、1971年都市対抗野球以降は10年以上にわたって本大会に進めなかった。

母体の業績不振もあって廃部も検討されたが(この期間に本拠地を藤沢市に移転。)、1987年所正美が監督に就任すると謝長亨康明杉を獲得するなど、2年間で24人の部員を入れ替え[3]1989年都市対抗野球で18年ぶりに本戦出場を果たし、1993年都市対抗野球ではベスト4に進出した。

2001年日本選手権に初出場を果たした。

2002年2月、母体の事業再建の影響からバスケットボール部とともに同年シーズン終了後からの休部が決まった[1][2]。同年は、都市対抗野球で初優勝を遂げ、9月に藤沢市民まつりの一環として藤沢駅周辺で優勝パレードを行ない[4]、活動を終えた。

沿革

[編集]

主要大会の出場歴・最高成績

[編集]

主な出身プロ野球選手

[編集]

元プロ野球選手の競技者登録

[編集]

かつて在籍していた主な選手・コーチ・監督

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 毎日新聞、2002年2月8日付朝刊、P.23
  2. ^ a b バスケットボール部・野球部の活動休止について(お知らせ)”. いすゞ自動車 (2002年2月7日). 2017年2月22日閲覧。
  3. ^ 毎日新聞、2000年3月28日付朝刊、神奈川地方面
  4. ^ 毎日新聞、2002年9月30日付朝刊、神奈川地方面
  5. ^ 高校野球人国記・東京(1)日大三
  6. ^ いすゞ自動車時代のルルデス・グリエル スポニチ Sponichi Annex (2014年5月31日)
  7. ^ グリエル父は阿部企業といすゞ自動車でプレー 都市対抗で一発も スポニチ Sponichi Annex (2014年5月31日)
  8. ^ 鉄村和之(日本経済新聞編集委員)『なぜDeNAに? キューバからグリエル獲得の舞台裏』 日本経済新聞 電子版 (2014年6月4日 7:00配信)

関連項目

[編集]