「ダニエル・ファン・ブイテン」の版間の差分
Maruyaki kombu (会話 | 投稿記録) en:daniel Van Buyten 18:04, 1 January 2019(UTC) |
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2006年に[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]に移籍すると、初年度から[[ルシマール・ダ・シウヴァ・フェレイラ|ルシオ]]の相方としてレギュラーとして出場。続く2シーズンは[[マルティン・デミチェリス]]やルシオの控えに回るも、2009年にルシオが[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]に移籍すると、再びレギュラーに復帰し[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|リーグ戦]]と[[DFBポカール|カップ戦]]のタイトルを獲得。[[UEFAチャンピオンズリーグ]]も決勝まで進むも、奇しくもルシオが移籍したインテルに敗戦し3冠達成とはならなかった。その後は、[[ホルガー・バトシュトゥバー|ホルガ―・バトシュトゥバー]]や[[ジェローム・ボアテング]]の後塵を拝することになるも、2012-13シーズンにクラブは再びリーグ戦とカップ戦を制し、さらにはチャンピオンズリーグも優勝し、ドイツ史上初の3冠を達成した。自身もチャンピオンズリーグのタイトルを掲げた初のベルギー人選手となった<ref name=":0" />。 |
2019年1月19日 (土) 05:08時点における版
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2013年のファン・ブイテン | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Daniel VAN BUYTEN | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
| |||||
生年月日 | 1978年2月7日(46歳) | |||||
出身地 | シメイ | |||||
身長 | 197cm | |||||
体重 | 95kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | CB | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-1999 |
| 18 | (1) | |||
1999-2001 |
| 57 | (7) | |||
2001-2004 |
| 76 | (12) | |||
2004 |
→ | 5 | (0) | |||
2004-2006 |
| 61 | (7) | |||
2006-2014 |
| 158 | (20) | |||
代表歴 | ||||||
2001-2014 |
| 84 | (10) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ダニエル・ファン・ブイテン[1](Daniel Van Buyten [ˈdaːniəl vɑn ˈbœy̆tən] 発音、1978年2月7日 - )はベルギー・シメイ出身の元サッカー選手。元ベルギー代表。ポジションはディフェンダー(センターバック)。
197cmの体躯を生かし、バイエルン・ミュンヘンやベルギー代表で長く活躍した。
経歴
クラブ
1997年にシャルルロワでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートする。デビュー当時はストライカーだったが、センターバックに転向し、その後も197cmの屈強なディフェンダーとして名を馳せていく。スタンダール・リエージュを経て、2001年にフランスの強豪マルセイユに移籍。ここでは空中戦の強さを生かし、在籍2年半でリーグ戦76試合12得点を記録した。2003-04シーズンの後半戦にはイングランドのマンチェスター・シティにシーズン終了までの期限付き移籍をするも[2]、リーグ戦5試合の出場に留まった。マルセイユに戻った2004年の夏、ドイツのハンブルガーSVに加入。ここでもディフェンダーながら初年度にリーグ戦5得点をマーク、2005-06シーズンにはクラブはブンデスリーガで3位に食い込んだ[3]。
2006年にバイエルン・ミュンヘンに移籍すると、初年度からルシオの相方としてレギュラーとして出場。続く2シーズンはマルティン・デミチェリスやルシオの控えに回るも、2009年にルシオがインテルに移籍すると、再びレギュラーに復帰しリーグ戦とカップ戦のタイトルを獲得。UEFAチャンピオンズリーグも決勝まで進むも、奇しくもルシオが移籍したインテルに敗戦し3冠達成とはならなかった。その後は、ホルガ―・バトシュトゥバーやジェローム・ボアテングの後塵を拝することになるも、2012-13シーズンにクラブは再びリーグ戦とカップ戦を制し、さらにはチャンピオンズリーグも優勝し、ドイツ史上初の3冠を達成した。自身もチャンピオンズリーグのタイトルを掲げた初のベルギー人選手となった[3]。
2014年6月に8年間過ごしたバイエルン・ミュンヘンとの契約が切れると、 ブラジルワールドカップ終了後の同年8月15日に現役引退を発表した[4]。
代表
2001年2月、2002 FIFAワールドカップ欧州予選のサンマリノ戦で代表の初キャップを踏み、同年5月のデビュー2試合目となるスコットランド戦で初ゴールを決めた[5]。
2002年のワールドカップ本選のメンバーにも選出。開催国日本との初戦を含むグループリーグ3試合にフル出場し、チームのグループリーグ突破に貢献。続く決勝トーナメント1回戦では、この大会で優勝することになるブラジルと当たり、自身はフル出場するも0-2で敗れて大会を去ることになった[6]。
その後も、自身は着実に代表でのキャリアを積み上げるも、チームはFIFAワールドカップやUEFA EUROの大舞台に立つことができない時期が続く。
しかし、2014 FIFAワールドカップ欧州予選では黄金世代の台頭があり、他チームを圧倒しグループを首位で通過。自身も5試合に出場し、12年ぶりとなるメジャー大会の本選出場権を手に入れた。本大会には、ベルギー代表唯一のメジャー大会本選経験者として参戦し、全5試合にフル出場。チームのベスト8進出を支えた。
人物
父親はイワン・バイテンのリングネームを持つプロレスラーのフランツ・ファン・ブイテン、母親はドイツ人である。
タイトル
クラブ
- バイエルン・ミュンヘン
- ブンデスリーガ 2007-08, 2009-10, 2012-13, 2013-14
- DFBポカール 2007-08, 2009-10, 2012-13, 2013-14
- DFLリーガポカール 2007
- DFLスーパーカップ 2010, 2012
- UEFAチャンピオンズリーグ 2012-13
- UEFAスーパーカップ 2013
- FIFAクラブワールドカップ 2013
- ハンブルガーSV
- UEFAインタートトカップ 2005(但し優勝は上位3クラブ)
脚注
- ^ 名前のうちVanは「ヴァン」「バン」とも、Buytenは「バイテン」「バウテン」「ビュイテン」「ボイテン」などとも表記される
- ^ “Man City sign Van Buyten” (英語). (2004年1月31日) 2019年1月17日閲覧。
- ^ a b uefa.com. “Daniel Van Buyten” (英語). Uefa.com. 2019年1月17日閲覧。
- ^ “Belgium defender Van Buyten announces retirement” (英語). SBS News. 2019年1月17日閲覧。
- ^ “Daniel Van Buyten - International Appearances”. rsssf.com. 2019年1月17日閲覧。
- ^ FIFA.com. “2002 FIFA World Cup Korea/Japan ™ - Teams - Belgium” (英語). FIFA.com. 2019年1月17日閲覧。