コンテンツにスキップ

「ダニエル・ファン・ブイテン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
en:daniel Van Buyten 18:04, 1 January 2019‎(UTC)
編集の要約なし
1行目: 1行目:
{{存命人物の出典明記|date=2017-02}}
{{存命人物の出典明記|date=2017-02}}
{{サッカー選手
{{サッカー選手
|名前=ダニエル・ァン・ブイテン
|名前=ダニエル・ァン・ブイテン
|画像=Daniel Van Buyten 2671.jpg
|画像=Daniel Van Buyten 2671.jpg
|画像サイズ=250px
|画像サイズ=250px
|画像の説明=2013年のァン・ブイテン
|画像の説明=2013年のァン・ブイテン
|本名=
|本名=
|愛称=
|愛称=
39行目: 39行目:


=== クラブ ===
=== クラブ ===
1997年に[[シャルルロワSC|シャルルロワ]]でとしてプロサッカー選手としてのキャリアをスタートする。デビュー当時は[[ストライカー]]だったが、[[センターバック]]に転向し、その後も197cmの屈強なディフェンダーとして名を馳せていく。[[スタンダール・リエージュ]]を経て、2001年に[[フランス]]の強豪[[オリンピック・マルセイユ|マルセイユ]]に移籍。ここでは空中戦の強さを生かし、在籍2年半でリーグ戦76試合12得点を記録した。2003-04シーズンの後半戦には[[イングランド]]の[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]にシーズン終了までの期限付き移籍をするも<ref>{{Cite news|title=Man City sign Van Buyten|date=2004-01-31|url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/m/man_city/3447857.stm|accessdate=2019-01-17|language=en-GB}}</ref>、リーグ戦5試合の出場に留まった。マルセイユに戻った2004年の夏、[[ドイツ]]の[[ハンブルガーSV]]に加入。ここでもディフェンダーながら初年度にリーグ戦5得点をマーク、2005-06シーズンにはクラブは[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]で3位に食い込んだ<ref name=":0">{{Cite web|url=http://www.uefa.com/teamsandplayers/players/player=49151/profile/index.html|title=Daniel Van Buyten|accessdate=2019-01-17|last=uefa.com|website=Uefa.com|language=en}}</ref>。
1997年に[[シャルルロワSC|シャルルロワ]]でプロサッカー選手としてのキャリアをスタートする。デビュー当時は[[ストライカー]]だったが、[[センターバック]]に転向し、その後も197cmの屈強なディフェンダーとして名を馳せていく。[[スタンダール・リエージュ]]を経て、2001年に[[フランス]]の強豪[[オリンピック・マルセイユ|マルセイユ]]に移籍。ここでは空中戦の強さを生かし、在籍2年半でリーグ戦76試合12得点を記録した。2003-04シーズンの後半戦には[[イングランド]]の[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]にシーズン終了までの期限付き移籍をするも<ref>{{Cite news|title=Man City sign Van Buyten|date=2004-01-31|url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/m/man_city/3447857.stm|accessdate=2019-01-17|language=en-GB}}</ref>、リーグ戦5試合の出場に留まった。マルセイユに戻った2004年の夏、[[ドイツ]]の[[ハンブルガーSV]]に加入。ここでもディフェンダーながら初年度にリーグ戦5得点をマーク、2005-06シーズンにはクラブは[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]で3位に食い込んだ<ref name=":0">{{Cite web|url=http://www.uefa.com/teamsandplayers/players/player=49151/profile/index.html|title=Daniel Van Buyten|accessdate=2019-01-17|last=uefa.com|website=Uefa.com|language=en}}</ref>。


2006年に[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]に移籍すると、初年度から[[ルシマール・ダ・シウヴァ・フェレイラ|ルシオ]]の相方としてレギュラーとして出場。続く2シーズンは[[マルティン・デミチェリス]]やルシオの控えに回るも、2009年にルシオが[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]に移籍すると、再びレギュラーに復帰し[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|リーグ戦]]と[[DFBポカール|カップ戦]]のタイトルを獲得。[[UEFAチャンピオンズリーグ]]も決勝まで進むも、奇しくもルシオが移籍したインテルに敗戦し3冠達成とはならなかった。その後は、[[ホルガー・バトシュトゥバー|ホルガ―・バトシュトゥバー]]や[[ジェローム・ボアテング]]の後塵を拝することになるも、2012-13シーズンにクラブは再びリーグ戦とカップ戦を制し、さらにはチャンピオンズリーグも優勝し、ドイツ史上初の3冠を達成した。自身もチャンピオンズリーグのタイトルを掲げた初のベルギー人選手となった<ref name=":0" />。
2006年に[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]に移籍すると、初年度から[[ルシマール・ダ・シウヴァ・フェレイラ|ルシオ]]の相方としてレギュラーとして出場。続く2シーズンは[[マルティン・デミチェリス]]やルシオの控えに回るも、2009年にルシオが[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]に移籍すると、再びレギュラーに復帰し[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|リーグ戦]]と[[DFBポカール|カップ戦]]のタイトルを獲得。[[UEFAチャンピオンズリーグ]]も決勝まで進むも、奇しくもルシオが移籍したインテルに敗戦し3冠達成とはならなかった。その後は、[[ホルガー・バトシュトゥバー|ホルガ―・バトシュトゥバー]]や[[ジェローム・ボアテング]]の後塵を拝することになるも、2012-13シーズンにクラブは再びリーグ戦とカップ戦を制し、さらにはチャンピオンズリーグも優勝し、ドイツ史上初の3冠を達成した。自身もチャンピオンズリーグのタイトルを掲げた初のベルギー人選手となった<ref name=":0" />。

2019年1月19日 (土) 05:08時点における版

ダニエル・ファン・ブイテン
2013年のファン・ブイテン
名前
ラテン文字 Daniel VAN BUYTEN
基本情報
国籍 ベルギーの旗 ベルギー
生年月日 (1978-02-07) 1978年2月7日(46歳)
出身地 シメイ
身長 197cm
体重 95kg
選手情報
ポジション CB
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-1999 ベルギーの旗 シャルルロワ 18 (1)
1999-2001 ベルギーの旗 スタンダール・リエージュ 57 (7)
2001-2004 フランスの旗 マルセイユ 76 (12)
2004 イングランドの旗 マンチェスター・シティ (loan) 5 (0)
2004-2006 ドイツの旗 ハンブルガーSV 61 (7)
2006-2014 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 158 (20)
代表歴
2001-2014 ベルギーの旗 ベルギー 84 (10)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ダニエル・ファン・ブイテン[1]Daniel Van Buyten [ˈdaːniəl vɑn ˈbœy̆tən] 発音1978年2月7日 - )はベルギーシメイ出身の元サッカー選手。元ベルギー代表。ポジションはディフェンダー(センターバック)

197cmの体躯を生かし、バイエルン・ミュンヘンベルギー代表で長く活躍した。

経歴

クラブ

1997年にシャルルロワでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートする。デビュー当時はストライカーだったが、センターバックに転向し、その後も197cmの屈強なディフェンダーとして名を馳せていく。スタンダール・リエージュを経て、2001年にフランスの強豪マルセイユに移籍。ここでは空中戦の強さを生かし、在籍2年半でリーグ戦76試合12得点を記録した。2003-04シーズンの後半戦にはイングランドマンチェスター・シティにシーズン終了までの期限付き移籍をするも[2]、リーグ戦5試合の出場に留まった。マルセイユに戻った2004年の夏、ドイツハンブルガーSVに加入。ここでもディフェンダーながら初年度にリーグ戦5得点をマーク、2005-06シーズンにはクラブはブンデスリーガで3位に食い込んだ[3]

2006年にバイエルン・ミュンヘンに移籍すると、初年度からルシオの相方としてレギュラーとして出場。続く2シーズンはマルティン・デミチェリスやルシオの控えに回るも、2009年にルシオがインテルに移籍すると、再びレギュラーに復帰しリーグ戦カップ戦のタイトルを獲得。UEFAチャンピオンズリーグも決勝まで進むも、奇しくもルシオが移籍したインテルに敗戦し3冠達成とはならなかった。その後は、ホルガ―・バトシュトゥバージェローム・ボアテングの後塵を拝することになるも、2012-13シーズンにクラブは再びリーグ戦とカップ戦を制し、さらにはチャンピオンズリーグも優勝し、ドイツ史上初の3冠を達成した。自身もチャンピオンズリーグのタイトルを掲げた初のベルギー人選手となった[3]

2014年6月に8年間過ごしたバイエルン・ミュンヘンとの契約が切れると、 ブラジルワールドカップ終了後の同年8月15日に現役引退を発表した[4]

代表

2001年2月、2002 FIFAワールドカップ欧州予選サンマリノ戦で代表の初キャップを踏み、同年5月のデビュー2試合目となるスコットランド戦で初ゴールを決めた[5]

2002年のワールドカップ本選のメンバーにも選出。開催国日本との初戦を含むグループリーグ3試合にフル出場し、チームのグループリーグ突破に貢献。続く決勝トーナメント1回戦では、この大会で優勝することになるブラジルと当たり、自身はフル出場するも0-2で敗れて大会を去ることになった[6]

その後も、自身は着実に代表でのキャリアを積み上げるも、チームはFIFAワールドカップUEFA EUROの大舞台に立つことができない時期が続く。

しかし、2014 FIFAワールドカップ欧州予選では黄金世代の台頭があり、他チームを圧倒しグループを首位で通過。自身も5試合に出場し、12年ぶりとなるメジャー大会の本選出場権を手に入れた。本大会には、ベルギー代表唯一のメジャー大会本選経験者として参戦し、全5試合にフル出場。チームのベスト8進出を支えた。

人物

父親はイワン・バイテンのリングネームを持つプロレスラーフランツ・ファン・ブイテン、母親はドイツ人である。

タイトル

クラブ

バイエルン・ミュンヘン
ハンブルガーSV

脚注

  1. ^ 名前のうちVanは「ヴァン」「バン」とも、Buytenは「バイテン」「バウテン」「ビュイテン」「ボイテン」などとも表記される
  2. ^ “Man City sign Van Buyten” (英語). (2004年1月31日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/m/man_city/3447857.stm 2019年1月17日閲覧。 
  3. ^ a b uefa.com. “Daniel Van Buyten” (英語). Uefa.com. 2019年1月17日閲覧。
  4. ^ Belgium defender Van Buyten announces retirement” (英語). SBS News. 2019年1月17日閲覧。
  5. ^ Daniel Van Buyten - International Appearances”. rsssf.com. 2019年1月17日閲覧。
  6. ^ FIFA.com. “2002 FIFA World Cup Korea/Japan ™ - Teams - Belgium” (英語). FIFA.com. 2019年1月17日閲覧。

外部リンク