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「ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャー」の版間の差分

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どうやら[[ボヘミア]]系であったらしいが、生涯については大まかなことしか分かっていない。最初の作品は[[1682年]]に出版され、[[1690年]]までには[[ザクセン=ラウエンブルク|ザクセン=ラウエンブルク公]]の[[宮廷楽長]]となっていた。ついで[[1695年]]までに[[バーデン (領邦)|バーデン=バーデン辺境伯]][[ルートヴィヒ・ヴィルヘルム (バーデン=バーデン辺境伯)|ルートヴィヒ・ヴィルヘルム]]の宮廷楽長になり、[[ラシュタット]]にて没するまでその地位にあった。


フィッシャーの作品のほとんどは、たとえば管弦楽組曲春の日誌''Le journal du printems'' ([[1695年]])が示しているように、[[ジャン=バティスト・リュリ]]によって実現された[[フランス]]・[[バロック音楽]]の影響を示している。
フィッシャーの作品のほとんどは、たとえば管弦楽組曲春の日誌''Le journal du printems'' ([[1695年]])が示しているように、[[ジャン=バティスト・リュリ]]によって実現された[[フランス]]・[[バロック音楽]]の影響を示している。


20曲のプレリュードと[[フーガ]]および5曲の[[リチェルカーレ]]からなる[[オルガン]]曲集アリアドネ・ムジカ (1702年出版{{efn|1713年という記述もる{{sfn|ミヒェルス|1989|pp=311}}。}})は、19の調性とホ調のフリギア旋法が使われており、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]の[[平均律クラヴィーア曲集]]の重要な先駆的作品とみなされている(バッハは概してフッシャ作品なじみがあったようだが特殊な作品集知っていかどかははっきりしい){{sfn|ミヒェルス|1989|pp=311}}。
20曲の[[前奏曲|プレリュード]]と[[フーガ]]および5曲の[[リチェルカーレ]]からなるオルガン曲集アリアドネ・ムジカ (1702年出版{{efn|1713年という記述も見られる{{sfn|ミヒェルス|1989|pp=311}}。}})は、19の調性とホ調の[[フリギア旋法]]が使われており、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]の[[平均律クラヴィーア曲集]]の重要な先駆的作品とみなされている{{sfn|皆川|2006|pp=236-239}}{{sfn|ミヒェルス|1989|pp=311}}。『平均律クラヴィーア曲集』の中『アリアドネ・ムジカ 』フーガの主題そのまま借用しうなものも見られる{{sfn|皆川|2006|pp=236-239}}。


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2023年1月15日 (日) 08:30時点における最新版

ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャー
Johann Caspar Ferdinand Fischer
生誕 (1656-09-06) 1656年9月6日
クラースノチェコ語版(ドイツ語名シェーンフェルト)
死没 (1746-08-27) 1746年8月27日(89歳没)
ラシュタット

ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャー(Johann Caspar Ferdinand Fischer, 1656年9月6日[注釈 1] - 1746年8月27日)は、ドイツ盛期バロック音楽の作曲家。

どうやらボヘミア系であったらしいが、生涯については大まかなことしか分かっていない。最初の作品は1682年に出版され、1690年までにはザクセン=ラウエンブルク公宮廷楽長となっていた。ついで1695年までにバーデン=バーデン辺境伯ルートヴィヒ・ヴィルヘルムの宮廷楽長になり、ラシュタットにて没するまでその地位にあった。

フィッシャーの作品のほとんどは、たとえば管弦楽組曲『春の日誌Le journal du printems 』(1695年)が示しているように、ジャン=バティスト・リュリによって実現されたフランスバロック音楽の影響を示している。

20曲のプレリュードフーガおよび5曲のリチェルカーレからなるオルガン曲集『アリアドネ・ムジカ 』(1702年出版[注釈 2])は、19の調性とホ調のフリギア旋法が使われており、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『平均律クラヴィーア曲集』の重要な先駆的作品とみなされている[1][2]。『平均律クラヴィーア曲集』の中には、『アリアドネ・ムジカ 』のフーガの主題をそのまま借用したようなものも見られる[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 1662年頃という記述も見られる[1]
  2. ^ 1713年という記述も見られる[2]

出典

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  1. ^ a b c 皆川 2006, pp. 236–239.
  2. ^ a b ミヒェルス 1989, pp. 311.

参考文献

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  • 皆川達夫『バロック音楽』講談社、2006年3月10日。ISBN 4-06-159752-3 
  • ウルリヒ・ミヒェルス、角倉一朗 (日本語版監修)、片桐功、庄野進、土田英三郎、寺本まり子、西原稔、森泰彦『カラー 図解音楽事典』白水社、1989年11月10日、311頁。ISBN 978-4--560-03686-0 
  • Moritz Fürstenau (1877), “Fischer, Johann Caspar Ferdinand” (ドイツ語), Allgemeine Deutsche Biographie (ADB), 7, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 73 
  • Lothar Hoffmann-Erbrecht: Fischer, Johann Caspar Ferdinand. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 5, Duncker & Humblot, Berlin 1961, ISBN 3-428-00186-9, S. 190 (電子テキスト版).

外部リンク

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