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{{ActorActress |
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'''リチャード・エドランド''' (Richard Edlund [[1940年]][[12月6日]][[ノースダコタ州]][[ファーゴ]]生まれ)は[[アメリカ合衆国]]の[[特殊効果]]スタッフで[[映画プロデューサー]]。 |
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| 芸名 = Richard Edlund |
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| ふりがな = リチャード・エドランド |
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| 画像ファイル = Richard Edlund 1 (2).jpg |
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| 画像サイズ = |
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| 画像コメント = |
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| 本名 = |
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| 別名義 = <!-- 別芸名がある場合に記載。愛称の欄ではありません --> |
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| 出生地 = {{USA}} [[ノースダコタ州]][[ファーゴ (ノースダコタ州)|ファーゴ]] |
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| 死没地 = |
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| 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ --> |
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| 民族 = <!-- 民族名には信頼できる情報源が出典として必要です --> |
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| 身長 = |
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| 血液型 = |
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| 生年 = 1940 |
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| 生月 = 12 |
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| 生日 = 6 |
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| 没年 = |
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| 没月 = |
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| 没日 = |
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| 職業 = |
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| ジャンル = |
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| 活動期間 = |
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| 活動内容 = |
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| 配偶者 = |
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| 著名な家族 = <!-- 『著名活動をしている人物』で記事対象の家族として公開されている人物がいる場合に記載。単にメディアで紹介された新生児の名前などは書かないように注意。 --> |
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| 所属劇団 = |
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| 事務所 = |
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| 公式サイト = |
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| 主な作品 = <!-- 主演映画・主演テレビドラマなど。脇役の場合、大ヒットした作品で重要な役割であった、またはその出演功績を認められたもの。例えば、日本アカデミー賞優秀助演男優(女優)賞を受賞したような役の作品を入力 --> |
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| アカデミー賞 = '''[[アカデミー視覚効果賞|視覚効果賞]]'''<br />[[第50回アカデミー賞|1977年]]『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スター・ウォーズ]]』<br />[[第54回アカデミー賞|1981年]]『[[レイダース/失われたアーク《聖櫃》]]』<br />'''[[アカデミー特別業績賞|特別業績賞]]'''<br />[[第53回アカデミー賞|1980年]]『[[スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲|スター・ウォーズ/帝国の逆襲]]』<br />[[第56回アカデミー賞|1983年]]『[[スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還|スター・ウォーズ/ジェダイの復讐]]』 |
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| AFI賞 = |
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| 英国アカデミー賞 = '''特殊視覚効果賞'''<br />[[第36回英国アカデミー賞|1982年]]『[[ポルターガイスト (1982年の映画)|ポルターガイスト]]』<br />[[第37回英国アカデミー賞|1983年]]『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』 |
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| セザール賞 = |
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| エミー賞 = |
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| ジェミニ賞 = |
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| ゴールデングローブ賞 = |
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| ゴールデンラズベリー賞 = |
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| ゴヤ賞 = |
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| グラミー賞 = |
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| ブルーリボン賞 = |
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| ローレンス・オリヴィエ賞 = |
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| 全米映画俳優組合賞 = |
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| トニー賞 = |
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| 日本アカデミー賞 = |
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| その他の賞 = |
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| 備考 = |
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'''リチャード・エドランド'''(Richard Edlund, [[1940年]][[12月6日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[特殊効果]]スタッフで[[映画プロデューサー]]。 |
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== 人物 == |
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ロバート・エイブル&アソシエイツ |
ロバート・エイブル&アソシエイツ(RA&A)出身で[[インダストリアル・ライト&マジック]]の創設メンバーでもあり、1980年代のSFXシーンを担ったキーパーソンの一人。映像センスのみならず、優れた映像を得るための技術にも通じ、自らハードウェア開発にあたる点が他の視覚効果監督や映像作家と異なる点である。 |
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日本に滞在していたことがあり、ILM時代から日本人の訪問者と日本語で遣り取りして周囲を驚かせたエピソードも伝えられている。日本のテレビ番組、CMにも複数出演している。 |
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映像センスのみならず、優れた映像を得るための技術にも通じ、自らハードウェア開発にあたる点が他の視覚効果監督や映像作家と異なる点であろう。 |
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== キャリア == |
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親日家である。日本に滞在していた事がありILM時代から日本人の訪問者と日本語で遣り取りして周囲を驚かせたエピソードも伝えられている。日本のテレビ番組、CMにも複数出演している。 |
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=== 『スター・ウォーズ』以前 === |
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[[ノースダコタ州]][[ファーゴ (ノースダコタ州)|ファーゴ]]で生まれる。幼い頃からカメラを手にフォトジャーナリストを目指していたエドランドは、高校卒業後に[[アメリカ海軍|海軍]]に入隊し、海軍写真学校を卒業した。写真班の一員として[[厚木基地]]に滞在し、日本語を勉強する一方文化や文学にも触れ、[[大和市]]の映画館で[[小津安二郎]]、[[黒澤明]]らの監督作品を観て映画作りを志す。また[[円谷英二]]の作品からも強い影響を受けた。 |
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帰国後、[[南カリフォルニア大学]](USC)の映画学科に入り優秀な成績を修め、テレビ映画で視覚効果を製作していた[[ジョー・ウェストハイマー]]のプロダクションに入り、機材の製作、撮影、タイトル・デザインなどもこなしたが、4年働いて退職した。この時期(1960年代)の作品には『[[宇宙大作戦]]』や『[[トワイライトゾーン|ミステリー・ゾーン]]』が含まれる。 |
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===スター・ウォーズ以前=== |
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幼い頃からカメラを手にフォトジャーナリストを目指していたエドランドは、高校卒業後海軍に入隊し海軍写真学校を卒業。写真班の一員として[[厚木]]基地に滞在し、日本語を勉強する一方文化や文学にも触れ、[[大和市]]の映画館で[[小津安二郎]]、[[黒澤明]]らの監督作品を観て映画作りを志す。 |
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その後、ドキュメンタリー、アニメーションやCM、ロック・キャメラマンとしてプロモーションフィルムを製作、実験映画の研究も行ないつつ観光ガイド、レコードジャケットのデザインといった職を転々とし、[[1974年]]に[[ロバート・エイブル]]のRA&Aに入社する。より進んだモーション・コントロールの撮影技術を駆使し、CM製作に携わるが、1年ほどで[[ジョン・ダイクストラ]]に出会ったことが転機となった。 |
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帰国後[[UCLA|カリフォルニア大学]]の映画学科に入り優秀な成績を修め、テレビ映画で視覚効果を製作していた[[ジョー・ウェストハイマー]]のプロダクションに入り、機材の製作/撮影/タイトル・デザインなどもこなしたが、4年働いて退職した。この時期(60年代)の作品には「[[宇宙大作戦]]」や「[[トワイライトゾーン|ミステリー・ゾーン]]」が含まれる。 |
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[[ダグラス・トランブル]]の下で視覚効果製作を行なっていたダイクストラから、USC出身の[[ジョージ・ルーカス]]と[[ゲイリー・カーツ]]が新しいSF映画を作ろうとしているという話を聞く。既成の特撮スタジオに技術では求められるイメージの映像化が困難で、新しい撮影技術や機材を開発する必要があるというプロジェクトだったが、エドランドはこの企画に参加するためRA&Aを離れ、新作の視覚効果部門(ILM、当初は「トリック・ユニット」と呼ばれた)に参加することになった。集められた人材のほとんどが20歳代で10代の人材も混じっていた中、写真マニアで撮影機材の組み立てもお手の物だったエドランドは、ヴァン・ナイスの倉庫をスタジオに改造し、ファーストキャメラマンとして撮影にあたる一方、撮影機材(中古のビスタビジョン・カメラやオプティカル・プリンター)の調達と整備も行った。当時モーション・コントロール・カメラの技術はあと一歩でコンピュータ・コントロールの物が開発出来るところまで来ていたが、実現させる資金を得るためにはCMや実験映画ではなく劇映画のような大型の企画が必要だったのである。ダイクストラは自らの名を冠した[[ダイクストラ・フレックス]]を開発して一歩先んじることになった。 |
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その後ドキュメンタリー、アニメーションやCM、ロック・キャメラマンとしてプロモーションフィルムを製作、実験映画の研究も行ないつつ観光ガイド、レコードジャケットのデザインといった職を転々とし、[[1974年]]に[[ロバート・エイブル]]のRA&Aに入社。より進んだモーション・コントロールの撮影技術を駆使しCM製作に携わるが1年ほどで[[ジョン・ダイクストラ]]に出会った事が転機となった。 |
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[[ダグラス・トランブル]]の下で視覚効果製作を行なっていたダイクストラからUSC出身の[[ジョージ・ルーカス]]と[[ゲイリー・カーツ]]が新しいSF映画を作ろうとしているという話を聞く。既成の特撮スタジオに技術では求められるイメージの映像化が困難で、新しい撮影技術や機材を開発する必要があるというプロジェクトだったが、エドランドはこの企画に参加するためRA&Aを離れ、新作の視覚効果部門(ILM。当初は「トリック・ユニット」と呼ばれた)に参加する事になった。集められた人材の殆どが20歳台で10代の人材も混じっていた中、写真マニアで撮影機材の組み立てもお手の物だったエドランドはヴァン・ナイスの倉庫をスタジオに改造し、ファーストキャメラマンとして撮影にあたる一方撮影機材(中古のビスタビジョン・カメラやオプティカル・プリンター)の収集と整備も行った。 |
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*当時モーション・コントロール・カメラの技術はあと一歩でコンピュータ・コントロールの物が開発出来るところまで来ていたが、実現させるための資金を得るためにはCMや実験映画ではなく劇映画のような大型の企画が必要だったのである。ダイクストラは自らの名を冠した[[ダイクストラ・フレックス]]を開発して一歩先んじる事になった。 |
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公開されたこの『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スター・ウォーズ]]』は大ヒットし、視覚効果もそれまでにない質の高さが評価され、エドランドは[[アカデミー視覚効果賞]]をダイクストラらと共に受賞した。 |
公開されたこの『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スター・ウォーズ]]』は大ヒットし、視覚効果もそれまでにない質の高さが評価され、エドランドは[[アカデミー視覚効果賞]]をダイクストラらと共に受賞した。 |
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しかし視覚効果スタッフは『スター・ウォーズ』製作終了で一旦解散し、エドランドは『[[マニトウ]]』のメカニカル効果、『[[チャイナ・シンドローム]]』のミニチュア撮影を担当。またダイクストラとともに |
しかし視覚効果スタッフは『スター・ウォーズ』製作終了で一旦解散し、エドランドは『[[マニトウ]]』のメカニカル効果、『[[チャイナ・シンドローム (映画)|チャイナ・シンドローム]]』のミニチュア撮影を担当。またダイクストラとともにテレビシリーズ『[[宇宙空母ギャラクティカ]]』の視覚効果製作に参加した。この作品は[[エミー賞]]視覚効果部門で受賞を果たした。 |
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=== ILM時代 === |
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2年後ルーカスが『スター・ウォーズ』の続篇『[[スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲|帝国の逆襲]]』([[1980年]])を製作する事になり、アポジー社を立ち上げた(また『ギャラクティカ』でルーカスらと法廷で争った)ダイクストラ以外のスタッフが再結集した。氷の惑星で白を背景色とした空中戦という光学合成にとって困難なイメージをエドランドは見事にものにし、2つめのオスカー(特別業績賞)を手にした。 |
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次に取り組んだのはルーカスが[[スティーヴン・スピルバーグ]]と組んで製作する冒険活劇『[[レイダース/失われたアーク《聖櫃》]]』([[1981年]])である。強いインパクトのある映像を幾つも送り出し、3つめのオスカー(視覚効果賞)を得た。 |
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ここまでで既にエドランドは[[ビスタビジョン]]用の新しい[[オプティカル・プリンター]]や超高速度撮影カメラの設計開発にも携わっている。合成用の35mmフィルム開発さえ行なっている。ダイクストラ・フレックスを発展させた大型クレーン付きロボットカメラ「エンパイア・カメラシステム」と新しいオプティカル・プリンターの設計によって[[1981年]]度アカデミー賞の[[アカデミー科学技術賞|科学技術賞]]を2つ受賞した。 |
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次の作品はスピルバーグがプロデュースした『[[ポルターガイスト (1982年の映画)|ポルターガイスト]]』([[1982年]])で、幽霊のモデルを水中で動かしたり、家の模型を真空ポンプで吸い込むという方法で斬新な映像を送り出した。ILM最後の作品となった『[[スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還|ジェダイの復讐]]』([[1983年]])では1つのシーンに焼きこまれる素材が300もあるそれまでで最も複雑なシーンもあったが、ILMの[[ケン・ローストン]]、[[デニス・ミューレン]]と並んで4つめのオスカーを獲得した。 |
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CM製作会社で一緒だったミニチュアやクリーチャー製作出身のローストン、ミニチュア撮影からスタートし手持ち撮影の感覚も大切にして長くILM作品を手がけたミューレンに対し、エドランドの方向性はあるいはハードウェア偏重と見られるかも知れない。 |
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=== EEGからボス・フィルムへ === |
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『[[2001年宇宙の旅]]』以来『スター・ウォーズ』や『[[エイリアン (映画)|エイリアン]]』([[1979年]])といった宇宙を舞台にした作品で真っ先に依頼を受ける存在となっていたダグラス・トランブルに自分のプロダクションEntertainment Effects Group(EEG)を任せたいと言われエドランドはILMを退社。EEGのスタッフ、機材で1984年に『[[ゴーストバスターズ]]』と『[[2010年 (映画)|2010年]]』を手がける。2作品は揃って同年度のアカデミー視覚効果賞にノミネートされた。『2010年』にはCGで作られた木星が登場する。それまでにないリアルさで劇的な表情の変化も見せるが、当時はCGのハード、ソフトの性能が低く、ボス・フィルムはその設備を持たず、外注でCGプロダクションに木星をCGで描いたショットをオプチカル合成した。 |
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トランブルは1970年代にパラマウントと契約してFuture General Corporation(FGC)を立ち上げていたが、『スター・ウォーズ』の依頼は断り(代わりにダイクストラを推薦した)スピルバーグの『[[未知との遭遇]]』の視覚効果を人員設備とも大幅に増強して製作した。『[[スタートレック (映画)|スタートレック]]』([[1979年]]))の視覚効果をロバート・エイブルに替わって担当した後パラマウントと契約を解消してEEGとして独立。同社は機材、規模、クオリティの点でILMと並ぶ大手視覚効果製作会社となっていた。『[[ブレードランナー]]』([[1982年]])、『[[ブレインストーム (映画)|ブレインストーム]]』([[1983年]])の後、ヴァーチャル・リアリティに応用可能な[[ショースキャン]]映像製作のため劇映画の視覚効果はエドランドに委ねる事にしたようだ。 |
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[[1985年]]にはホラー映画が2作品。第1作目も手がけた『ポルターガイスト』の続篇と『[[フライトナイト]]』に取り組んだ。 |
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画質と経済性、フィルム選択の自由度を勘案してビスタビジョン(35mmフィルム)を採用したILMと異なり、EEGの機材はトランブルの画質最優先の方針により65mm用であった。65mmフィルム用にエドランドは新しいオプティカルプリンター「ZAP」を設計開発し、[[1986年]]度のアカデミー科学技術賞を得た。この年、EEGはボス・フィルム(BFC)に改名し、ゲーム製作部門「ボス・ゲーム・コーポレーション」で新ビジネスにも乗り出した。[[1988年]]の『[[ダイ・ハード]]』は殆ど視覚効果が前面に出ない作品だが、この作品でも超小型65mmカメラを開発して視覚効果製作が行なわれた。[[1989年]]には往年の名作『[[イントレランス]]』のリバイバル上映にあたり、新たなオープニング映像を制作した。 |
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===ILM時代=== |
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2年後ルーカスが『スター・ウォーズ』の続篇『[[スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲|帝国の逆襲]]([[1980年]])』を製作する事になり、アポジー社を立ち上げた(また『ギャラクティカ』でルーカスらと法廷で争った)ダイクストラ以外のスタッフが再結集した。氷の惑星で白を背景色とした空中戦という光学合成にとって困難なイメージをエドランドは見事にものにし、2つめのオスカー(特別業績賞)を手にした。 |
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しかし80年代を通じて古巣であるILMは[[コンピュータグラフィックス|CGI]]の劇映画応用とソフトウェア開発を着実に進めており、倒産したRA&Aのスタッフが複数の新会社を立ち上げるなどCGスタジオも競争が激しく、BFCが規模の大きなデジタル視覚効果を任される事も無く次第に「Additional Visual Effects」のクレジットも見られるようになる。 |
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次に取り組んだのはルーカスが[[スティーヴン・スピルバーグ|スピルバーグ]]と組んで製作する冒険活劇『[[レイダース/失われたアーク《聖櫃》]]([[1981年]])』である。強いインパクトのある映像を幾つも送り出し、3つめのオスカー(視覚効果賞)を得た。 |
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[[1990年]]にジャパンマネーで製作された『[[クライシス2050]]』でプロデューサーを務めるものの、同作は興業的に失敗。『[[スピーシーズ 種の起源]]』でモーション・キャプチャーと「ジル」、『[[クローンズ]]』で[[マイケル・キートン]]を大量にコピーするなどようやくデジタルVFXが見られるようになったが、『[[エアフォース・ワン (映画)|エアフォース・ワン]]』、『[[絶体×絶命]]』に参加した後[[1998年]]にBFCは倒産した。 |
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ここまでで既にエドランドは[[ビスタビジョン]]用の新しい[[オプティカル・プリンター]]や超高速度撮影カメラの設計開発にも携わっている。合成用の35mmフィルム開発さえ行なっている。プリンターの設計ではアカデミー賞の[[アカデミー科学技術賞|科学技術賞]]も得ている。 |
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ダイクストラが率いたアポジー社も80年代末に倒産。エドランドにEEGを委ねたトランブルが興したショースキャン・エンターテインメント社もテーマパークのアトラクション映像を作っていたが、映像のリアリティこそ優れていたものの決定的な成功には恵まれず[[2000年]]に倒産した。 |
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次の作品はスピルバーグがプロデュースした『[[ポルターガイスト (映画)|ポルターガイスト]]([[1982年]])』で、幽霊のモデルを水中で動かしたり、家の模型を真空ポンプで吸い込むという方法で斬新な映像を送り出した。<br/>ILM最後の作品となった『[[スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還|ジェダイの復讐]]([[1983年]])』では1つのシーンに焼きこまれる素材が300もあるそれまでで最も複雑なシーンもあったが、ILMの[[ケン・ラルストン]]、[[デニス・ミューレン]]と並んで4つめのオスカーを獲得した。 |
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その後エドランドは[[エミー賞]]視覚効果部門ノミネートとなったテレビシリーズ『[[エンジェルズ・イン・アメリカ]]』を始め幾つもの作品に視覚効果スーパーバイザーとして招かれ、『[[悪いことしましョ! (2000年の映画)|悪いことしましョ!]]』では視覚効果監修のほか第2班監督も務めた。『[[ステップフォード・ワイフ]]』ではILM出身の[[フィル・ティペット]]のスタジオに招かれ同社の視覚効果を監修した。 |
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===EEGからボス・フィルムへ=== |
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『[[2001年宇宙の旅]]』以来『スター・ウォーズ』や『[[エイリアン (映画シリーズ)#映画『エイリアン』(1979年)|エイリアン]]([[1979年]])』といった宇宙を舞台にした作品で真っ先に依頼を受ける存在となっていたダグラス・トランブルがエドランドに、ILMと並ぶ大手視覚効果製作会社となっていた自分のプロダクションEEG(="Entertainment Effects Group")を任せたいと言われエドランドはILMを退社。EEGのスタッフ、機材で1984年に『[[ゴーストバスターズ]]』と『[[2010年 (映画)|2010年]]』を手がける。2作品は揃って同年度のアカデミー視覚効果賞にノミネートされた。[[1985年]]にはホラー映画が2作品。第1作目も手がけた『ポルターガイスト』の続篇と『[[フライトナイト]]』に取り組んだ。 |
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*『[[2010年]]』にはCGで作られた木星が登場する。それまでにないリアルさで劇的な表情の変化も見せるが、社運を賭けてCGのソフトウェア開発に取り組む程の興味は抱かなかったようである。 |
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[[2007年]]には長年にわたる技術開発と水準を向上させた功績が認められ[[ジョン・A・ボナー]]メダルをアカデミー協会から授与された。視覚効果を監修した『{{仮リンク|ウィレム・デフォー セブン:ビギンズ 〜彩られた猟奇〜|en|Anamorph (film)}}』と『[[チャーリー・ウィルソンズ・ウォー]]』も公開される。 |
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画質と経済性、フィルム選択の自由度を勘案してビスタビジョン(=35mmフィルム)を採用したILMと異なり、EEGの機材はトランブルの画質最優先の方針により65mm用であった。65mmフィルム用にエドランドは新しいオプティカルプリンター"ZAP"を設計開発し、85年度のアカデミー科学技術賞を得た。<br/>この年、EEGはボス・フィルム(BFC)に改名し、ゲーム製作部門「ボス・ゲーム・コーポレーション」で新ビジネスにも乗り出した。[[1988年]]の『[[ダイ・ハード]]』は殆ど視覚効果が前面に出ない作品だが、この作品でも超小型65mmカメラを開発して視覚効果製作が行なわれた。 |
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== 主なフィルモグラフィ == |
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しかし80年代を通じて古巣であるILMは[[コンピュータグラフィックス|CGI]]の劇映画応用とソフトウェア開発を着実に進めており、倒産したRA&Aのスタッフが複数の新会社を立ち上げるなどCGスタジオも競争が激しく、BFCが規模の大きなデジタル視覚効果を任される事も無く、次第に"Additional Visual Effects"のクレジットも見られるようになる。 |
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* [[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スター・ウォーズ]] ''Star Wars'' (1977) |
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* [[スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲|スター・ウォーズ/帝国の逆襲]] ''The Empire Strikes Back'' (1980) |
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* [[レイダース/失われたアーク《聖櫃》]] ''Raiders of the Lost Ark'' (1981) |
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* [[ポルターガイスト (1982年の映画)|ポルターガイスト]] ''Poltergeist'' (1982) |
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* [[スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還|スター・ウォーズ/ジェダイの復讐]] ''Return of the Jedi'' (1983) |
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* [[ゴーストバスターズ]] ''Ghostbusters'' (1984) |
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* [[2010年 (映画)|2010年]] ''2010'' (1984) |
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* [[フライトナイト]] ''Fright Night'' (1985) |
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* [[ポルターガイスト2]] ''Poltergeist II: The Other Side'' (1986) |
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* [[ミリィ/少年は空を飛んだ]] ''The Boy Who Could Fly '' (1986) |
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* [[太陽の7人]] ''Solarbabies'' (1986) |
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* [[マスターズ/超空の覇者]] ''Masters of the Universe''(1987) |
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* [[ドラキュリアン]] ''The Monster Squad'' (1987) |
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* [[天使とデート]] ''Date with an Angel'' (1987) |
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* [[ダイ・ハード]] ''Die Hard'' (1988) |
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* [[バイブス秘宝の謎]] ''Vibes'' (1988) |
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* [[ゴースト/ニューヨークの幻]] ''Ghost'' (1990) |
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* [[エイリアン3]] ''Alien³'' (1992) |
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* [[スピーシーズ 種の起源]] ''Species'' (1995) |
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* [[エアフォース・ワン (映画)|エアフォース・ワン]] ''Air Force One'' (1997) |
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* [[悪いことしましョ! (2000年の映画)|悪いことしましョ!]] ''Bedazzled'' (2000) |
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* [[ウィレム・デフォー セブン:ビギンズ 〜彩られた猟奇〜]] ''Anamorph'' (2007) |
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* [[チャーリー・ウィルソンズ・ウォー]] ''Charlie Wilson's War'' (2007) |
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* [[21ジャンプストリート (映画)|21ジャンプストリート]] ''21 Jump Street'' (2012) |
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== 受賞とノミネート == |
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[[1990年]]にジャパンマネーで製作された『[[クライシス2050]]』でプロデューサーを務めるものの、同作は興業的に失敗。『[[スピーシーズ 種の起源]]』でモーション・キャプチャーと"シル"、『[[クローンズ]]』で[[マイケル・キートン]]を大量にコピーするなどようやくデジタルSFXが見られるようになったが、『[[エアフォース・ワン (映画)|エアフォース・ワン]]』、『[[絶対×絶命]]』に参加した後[[1998年]]にBFCは倒産した。 |
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{| class="wikitable" |
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|- style="background:#b0c4de; text-align:center;" |
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! 賞 !! 年 !! 部門 !! 作品名 !! 結果 |
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| rowspan="10" | [[アカデミー賞]] |
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| [[第50回アカデミー賞|1977]]<ref name="Oscars1977">{{Cite web|url=http://www.oscars.org/oscars/ceremonies/1978 |title=THE 50TH ACADEMY AWARDS |accessdate=2016-04-23|work=oscars.org}}</ref> |
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| [[アカデミー視覚効果賞|視覚効果賞]] |
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| [[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スター・ウォーズ]] |
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| {{Won}} |
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|- |
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| [[第53回アカデミー賞|1980]]<ref name="Oscars1980">{{Cite web|url=http://www.oscars.org/oscars/ceremonies/1981 |title=THE 53RD ACADEMY AWARDS |accessdate=2016-04-20|work=oscars.org}}</ref> |
|||
| [[アカデミー特別業績賞|特別業績賞 (視覚効果に対して)]] |
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| [[スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲|スター・ウォーズ/帝国の逆襲]] |
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| {{Won}} |
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|- |
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| [[第54回アカデミー賞|1981]]<ref name="Oscars1981">{{Cite web|url=http://www.oscars.org/oscars/ceremonies/1982 |title=THE 54TH ACADEMY AWARDS |accessdate=2016-04-20|work=oscars.org}}</ref> |
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| rowspan="2" | 視覚効果賞 |
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| [[レイダース/失われたアーク《聖櫃》]] |
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| {{Won}} |
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|- |
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| [[第55回アカデミー賞|1982]]<ref name="Oscars1982">{{Cite web|url=http://www.oscars.org/oscars/ceremonies/1983 |title=THE 55TH ACADEMY AWARDS |accessdate=2016-04-20|work=oscars.org}}</ref> |
|||
| [[ポルターガイスト (1982年の映画)|ポルターガイスト]] |
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| {{Nom}} |
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|- |
|||
| [[第56回アカデミー賞|1983]]<ref name="Oscars1983">{{Cite web|url=http://www.oscars.org/oscars/ceremonies/1984 |title=THE 56TH ACADEMY AWARDS |accessdate=2016-04-20|work=oscars.org}}</ref> |
|||
| 特別業績賞 (視覚効果に対して) |
|||
| [[スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還|スター・ウォーズ/ジェダイの復讐]] |
|||
| {{Won}} |
|||
|- |
|||
| rowspan="2" | [[第57回アカデミー賞|1984]]<ref name="Oscars1984">{{Cite web|url=http://www.oscars.org/oscars/ceremonies/1985 |title=THE 57TH ACADEMY AWARDS |accessdate=2016-04-23|work=oscars.org}}</ref> |
|||
| rowspan="5" | 視覚効果賞 |
|||
| [[ゴーストバスターズ]] |
|||
| {{Nom}} |
|||
|- |
|||
| [[2010年 (映画)|2010年]] |
|||
| {{Nom}} |
|||
|- |
|||
| [[第59回アカデミー賞|1986]]<ref name="Oscars1986">{{Cite web|url=http://www.oscars.org/oscars/ceremonies/1987 |title=THE 59TH ACADEMY AWARDS |accessdate=2016-04-23|work=oscars.org}}</ref> |
|||
| [[ポルターガイスト2]] |
|||
| {{Nom}} |
|||
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| ゴーストバスターズ |
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| 特殊効果賞 |
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| エイリアン3 |
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== 参考文献 == |
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その後エドランドはTVシリーズ『[[エンジェルズ・イン・アメリカ]]』など幾つもの作品に視覚効果スーパーバイザーとして招かれ、『[[悪いことしましョ!]]』では視覚効果監修のほか第2班監督も務めた。『[[ステップフォード・ワイフ]]』ではILM出身の[[フィル・ティペット]]のスタジオに招かれ同社の視覚効果を監修した。 |
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== 外部リンク == |
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[[2007年]]には長年にわたる技術開発と水準を向上させた功績が認められ[[ジョン・A・ボナー]]メダルをアカデミー協会から授与された。視覚効果を監修した"Anamorph(原題)"と"Charlie Wilson's War(原題)"も公開される。 |
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* {{allcinema name|19696|リチャード・エドランド}} |
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* {{imdb|0249430|Richard Edlund}} |
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==その他の作品== |
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[[1986年]] |
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*[[ミリイ 少年は空を飛んだ]] |
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*[[ソーラー・ウォリアーズ 太陽の7人]] |
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[[1987年]] |
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*[[マスターズ 超空の覇者]] |
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*[[ドラキュリアン]] |
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*[[天使とデート]] |
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[[1988年]] |
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*[[バイブス 秘宝の謎]] |
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[[1990年]] |
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*[[ゴースト/ニューヨークの幻]] |
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[[1992年]] |
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*[[エイリアン3]] |
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[[Category:SFXの人物]] |
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[[Category:アカデミー賞受賞者]] |
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2023年4月10日 (月) 01:18時点における最新版
リチャード・エドランド Richard Edlund | |||||||||||||
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生年月日 | 1940年12月6日(83歳) | ||||||||||||
出生地 |
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リチャード・エドランド(Richard Edlund, 1940年12月6日 - )は、アメリカ合衆国の特殊効果スタッフで映画プロデューサー。
人物
[編集]ロバート・エイブル&アソシエイツ(RA&A)出身でインダストリアル・ライト&マジックの創設メンバーでもあり、1980年代のSFXシーンを担ったキーパーソンの一人。映像センスのみならず、優れた映像を得るための技術にも通じ、自らハードウェア開発にあたる点が他の視覚効果監督や映像作家と異なる点である。
日本に滞在していたことがあり、ILM時代から日本人の訪問者と日本語で遣り取りして周囲を驚かせたエピソードも伝えられている。日本のテレビ番組、CMにも複数出演している。
キャリア
[編集]『スター・ウォーズ』以前
[編集]ノースダコタ州ファーゴで生まれる。幼い頃からカメラを手にフォトジャーナリストを目指していたエドランドは、高校卒業後に海軍に入隊し、海軍写真学校を卒業した。写真班の一員として厚木基地に滞在し、日本語を勉強する一方文化や文学にも触れ、大和市の映画館で小津安二郎、黒澤明らの監督作品を観て映画作りを志す。また円谷英二の作品からも強い影響を受けた。
帰国後、南カリフォルニア大学(USC)の映画学科に入り優秀な成績を修め、テレビ映画で視覚効果を製作していたジョー・ウェストハイマーのプロダクションに入り、機材の製作、撮影、タイトル・デザインなどもこなしたが、4年働いて退職した。この時期(1960年代)の作品には『宇宙大作戦』や『ミステリー・ゾーン』が含まれる。
その後、ドキュメンタリー、アニメーションやCM、ロック・キャメラマンとしてプロモーションフィルムを製作、実験映画の研究も行ないつつ観光ガイド、レコードジャケットのデザインといった職を転々とし、1974年にロバート・エイブルのRA&Aに入社する。より進んだモーション・コントロールの撮影技術を駆使し、CM製作に携わるが、1年ほどでジョン・ダイクストラに出会ったことが転機となった。
ダグラス・トランブルの下で視覚効果製作を行なっていたダイクストラから、USC出身のジョージ・ルーカスとゲイリー・カーツが新しいSF映画を作ろうとしているという話を聞く。既成の特撮スタジオに技術では求められるイメージの映像化が困難で、新しい撮影技術や機材を開発する必要があるというプロジェクトだったが、エドランドはこの企画に参加するためRA&Aを離れ、新作の視覚効果部門(ILM、当初は「トリック・ユニット」と呼ばれた)に参加することになった。集められた人材のほとんどが20歳代で10代の人材も混じっていた中、写真マニアで撮影機材の組み立てもお手の物だったエドランドは、ヴァン・ナイスの倉庫をスタジオに改造し、ファーストキャメラマンとして撮影にあたる一方、撮影機材(中古のビスタビジョン・カメラやオプティカル・プリンター)の調達と整備も行った。当時モーション・コントロール・カメラの技術はあと一歩でコンピュータ・コントロールの物が開発出来るところまで来ていたが、実現させる資金を得るためにはCMや実験映画ではなく劇映画のような大型の企画が必要だったのである。ダイクストラは自らの名を冠したダイクストラ・フレックスを開発して一歩先んじることになった。
公開されたこの『スター・ウォーズ』は大ヒットし、視覚効果もそれまでにない質の高さが評価され、エドランドはアカデミー視覚効果賞をダイクストラらと共に受賞した。
しかし視覚効果スタッフは『スター・ウォーズ』製作終了で一旦解散し、エドランドは『マニトウ』のメカニカル効果、『チャイナ・シンドローム』のミニチュア撮影を担当。またダイクストラとともにテレビシリーズ『宇宙空母ギャラクティカ』の視覚効果製作に参加した。この作品はエミー賞視覚効果部門で受賞を果たした。
ILM時代
[編集]2年後ルーカスが『スター・ウォーズ』の続篇『帝国の逆襲』(1980年)を製作する事になり、アポジー社を立ち上げた(また『ギャラクティカ』でルーカスらと法廷で争った)ダイクストラ以外のスタッフが再結集した。氷の惑星で白を背景色とした空中戦という光学合成にとって困難なイメージをエドランドは見事にものにし、2つめのオスカー(特別業績賞)を手にした。
次に取り組んだのはルーカスがスティーヴン・スピルバーグと組んで製作する冒険活劇『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)である。強いインパクトのある映像を幾つも送り出し、3つめのオスカー(視覚効果賞)を得た。
ここまでで既にエドランドはビスタビジョン用の新しいオプティカル・プリンターや超高速度撮影カメラの設計開発にも携わっている。合成用の35mmフィルム開発さえ行なっている。ダイクストラ・フレックスを発展させた大型クレーン付きロボットカメラ「エンパイア・カメラシステム」と新しいオプティカル・プリンターの設計によって1981年度アカデミー賞の科学技術賞を2つ受賞した。
次の作品はスピルバーグがプロデュースした『ポルターガイスト』(1982年)で、幽霊のモデルを水中で動かしたり、家の模型を真空ポンプで吸い込むという方法で斬新な映像を送り出した。ILM最後の作品となった『ジェダイの復讐』(1983年)では1つのシーンに焼きこまれる素材が300もあるそれまでで最も複雑なシーンもあったが、ILMのケン・ローストン、デニス・ミューレンと並んで4つめのオスカーを獲得した。
CM製作会社で一緒だったミニチュアやクリーチャー製作出身のローストン、ミニチュア撮影からスタートし手持ち撮影の感覚も大切にして長くILM作品を手がけたミューレンに対し、エドランドの方向性はあるいはハードウェア偏重と見られるかも知れない。
EEGからボス・フィルムへ
[編集]『2001年宇宙の旅』以来『スター・ウォーズ』や『エイリアン』(1979年)といった宇宙を舞台にした作品で真っ先に依頼を受ける存在となっていたダグラス・トランブルに自分のプロダクションEntertainment Effects Group(EEG)を任せたいと言われエドランドはILMを退社。EEGのスタッフ、機材で1984年に『ゴーストバスターズ』と『2010年』を手がける。2作品は揃って同年度のアカデミー視覚効果賞にノミネートされた。『2010年』にはCGで作られた木星が登場する。それまでにないリアルさで劇的な表情の変化も見せるが、当時はCGのハード、ソフトの性能が低く、ボス・フィルムはその設備を持たず、外注でCGプロダクションに木星をCGで描いたショットをオプチカル合成した。
トランブルは1970年代にパラマウントと契約してFuture General Corporation(FGC)を立ち上げていたが、『スター・ウォーズ』の依頼は断り(代わりにダイクストラを推薦した)スピルバーグの『未知との遭遇』の視覚効果を人員設備とも大幅に増強して製作した。『スタートレック』(1979年))の視覚効果をロバート・エイブルに替わって担当した後パラマウントと契約を解消してEEGとして独立。同社は機材、規模、クオリティの点でILMと並ぶ大手視覚効果製作会社となっていた。『ブレードランナー』(1982年)、『ブレインストーム』(1983年)の後、ヴァーチャル・リアリティに応用可能なショースキャン映像製作のため劇映画の視覚効果はエドランドに委ねる事にしたようだ。
1985年にはホラー映画が2作品。第1作目も手がけた『ポルターガイスト』の続篇と『フライトナイト』に取り組んだ。
画質と経済性、フィルム選択の自由度を勘案してビスタビジョン(35mmフィルム)を採用したILMと異なり、EEGの機材はトランブルの画質最優先の方針により65mm用であった。65mmフィルム用にエドランドは新しいオプティカルプリンター「ZAP」を設計開発し、1986年度のアカデミー科学技術賞を得た。この年、EEGはボス・フィルム(BFC)に改名し、ゲーム製作部門「ボス・ゲーム・コーポレーション」で新ビジネスにも乗り出した。1988年の『ダイ・ハード』は殆ど視覚効果が前面に出ない作品だが、この作品でも超小型65mmカメラを開発して視覚効果製作が行なわれた。1989年には往年の名作『イントレランス』のリバイバル上映にあたり、新たなオープニング映像を制作した。
しかし80年代を通じて古巣であるILMはCGIの劇映画応用とソフトウェア開発を着実に進めており、倒産したRA&Aのスタッフが複数の新会社を立ち上げるなどCGスタジオも競争が激しく、BFCが規模の大きなデジタル視覚効果を任される事も無く次第に「Additional Visual Effects」のクレジットも見られるようになる。
1990年にジャパンマネーで製作された『クライシス2050』でプロデューサーを務めるものの、同作は興業的に失敗。『スピーシーズ 種の起源』でモーション・キャプチャーと「ジル」、『クローンズ』でマイケル・キートンを大量にコピーするなどようやくデジタルVFXが見られるようになったが、『エアフォース・ワン』、『絶体×絶命』に参加した後1998年にBFCは倒産した。
ダイクストラが率いたアポジー社も80年代末に倒産。エドランドにEEGを委ねたトランブルが興したショースキャン・エンターテインメント社もテーマパークのアトラクション映像を作っていたが、映像のリアリティこそ優れていたものの決定的な成功には恵まれず2000年に倒産した。
その後エドランドはエミー賞視覚効果部門ノミネートとなったテレビシリーズ『エンジェルズ・イン・アメリカ』を始め幾つもの作品に視覚効果スーパーバイザーとして招かれ、『悪いことしましョ!』では視覚効果監修のほか第2班監督も務めた。『ステップフォード・ワイフ』ではILM出身のフィル・ティペットのスタジオに招かれ同社の視覚効果を監修した。
2007年には長年にわたる技術開発と水準を向上させた功績が認められジョン・A・ボナーメダルをアカデミー協会から授与された。視覚効果を監修した『ウィレム・デフォー セブン:ビギンズ 〜彩られた猟奇〜』と『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』も公開される。
主なフィルモグラフィ
[編集]- スター・ウォーズ Star Wars (1977)
- スター・ウォーズ/帝国の逆襲 The Empire Strikes Back (1980)
- レイダース/失われたアーク《聖櫃》 Raiders of the Lost Ark (1981)
- ポルターガイスト Poltergeist (1982)
- スター・ウォーズ/ジェダイの復讐 Return of the Jedi (1983)
- ゴーストバスターズ Ghostbusters (1984)
- 2010年 2010 (1984)
- フライトナイト Fright Night (1985)
- ポルターガイスト2 Poltergeist II: The Other Side (1986)
- ミリィ/少年は空を飛んだ The Boy Who Could Fly (1986)
- 太陽の7人 Solarbabies (1986)
- マスターズ/超空の覇者 Masters of the Universe(1987)
- ドラキュリアン The Monster Squad (1987)
- 天使とデート Date with an Angel (1987)
- ダイ・ハード Die Hard (1988)
- バイブス秘宝の謎 Vibes (1988)
- ゴースト/ニューヨークの幻 Ghost (1990)
- エイリアン3 Alien³ (1992)
- スピーシーズ 種の起源 Species (1995)
- エアフォース・ワン Air Force One (1997)
- 悪いことしましョ! Bedazzled (2000)
- ウィレム・デフォー セブン:ビギンズ 〜彩られた猟奇〜 Anamorph (2007)
- チャーリー・ウィルソンズ・ウォー Charlie Wilson's War (2007)
- 21ジャンプストリート 21 Jump Street (2012)
受賞とノミネート
[編集]賞 | 年 | 部門 | 作品名 | 結果 |
---|---|---|---|---|
アカデミー賞 | 1977[1] | 視覚効果賞 | スター・ウォーズ | 受賞 |
1980[2] | 特別業績賞 (視覚効果に対して) | スター・ウォーズ/帝国の逆襲 | 受賞 | |
1981[3] | 視覚効果賞 | レイダース/失われたアーク《聖櫃》 | 受賞 | |
1982[4] | ポルターガイスト | ノミネート | ||
1983[5] | 特別業績賞 (視覚効果に対して) | スター・ウォーズ/ジェダイの復讐 | 受賞 | |
1984[6] | 視覚効果賞 | ゴーストバスターズ | ノミネート | |
2010年 | ノミネート | |||
1986[7] | ポルターガイスト2 | ノミネート | ||
1988[8] | ダイ・ハード | ノミネート | ||
1992[9] | エイリアン3 | ノミネート | ||
英国アカデミー賞 | 1982[10] | 特殊視覚効果賞 | ポルターガイスト | 受賞 |
1983[11] | スター・ウォーズ/ジェダイの復讐 | 受賞 | ||
1984[12] | ゴーストバスターズ | ノミネート | ||
1992[13] | 特殊効果賞 | エイリアン3 | ノミネート |
参考文献
[編集]- ^ “THE 50TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2016年4月23日閲覧。
- ^ “THE 53RD ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2016年4月20日閲覧。
- ^ “THE 54TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2016年4月20日閲覧。
- ^ “THE 55TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2016年4月20日閲覧。
- ^ “THE 56TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2016年4月20日閲覧。
- ^ “THE 57TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2016年4月23日閲覧。
- ^ “THE 59TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2016年4月23日閲覧。
- ^ “THE 61ST ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2016年4月23日閲覧。
- ^ “THE 65TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2016年4月23日閲覧。
- ^ “Film 1983”. 英国映画テレビ芸術アカデミー. 2016年4月20日閲覧。
- ^ “Film 1984”. 英国映画テレビ芸術アカデミー. 2016年4月20日閲覧。
- ^ “Film 1985”. 英国映画テレビ芸術アカデミー. 2016年4月20日閲覧。
- ^ “Film 1993”. 英国映画テレビ芸術アカデミー. 2016年4月20日閲覧。