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== 歴史 ==
== 歴史 ==
モンテネグロ航空は[[1994年]][[10月]]に当時[[ユーゴスラビア]]の一部であった[[モンテネグロ共和国 (1992年-2006年)|モンテネグロ共和国]]政府によって設立された。しかし最初の商用機である[[フォッカー F28|フォッカーF28]]型機の購入は[[1996年]][[秋]]までずれこみ、[[1997年]][[5月]]にポドゴリツァ⇔[[バーリ]]線が開設されたことにより設立から3年弱でようやく運航開始となった。設立されてからしばらくは[[EU]]によって乗り入れ禁止航空会社に指定されていたものの[[1999年]][[10月]]には解除されて、年末に[[フランクフルト]]線を開設したのを皮切りに[[チューリッヒ]]・[[リュブリャナ]]・[[スコピエ]]・[[イスタンブル]]・[[ブダペスト]]とおもに東欧の主要都市へと路線を拡げていった。[[2000年]][[6月]]には[[国際航空運送協会]]に加盟している。
モンテネグロ航空は[[1994年]][[10月]]に当時[[ユーゴスラビア]]の一部であった[[モンテネグロ共和国 (1992年-2006年)|モンテネグロ共和国]]政府によって設立された。しかし最初の商用機である[[フォッカー F28|フォッカーF28]]型機の購入は[[1996年]][[秋]]までずれこみ、[[1997年]][[5月]]にポドゴリツァ⇔[[バーリ]]線が開設されたことにより設立から3年弱でようやく運航開始となった。設立されてからしばらくは[[EU]]によって乗り入れ禁止航空会社に指定されていたものの[[1999年]][[10月]]には解除されて、年末に[[フランクフルト]]線を開設したのを皮切りに[[チューリッヒ]]・[[リュブリャナ]]・[[スコピエ]]・[[イスタンブル]]・[[ブダペスト]]とおもに東欧の主要都市へと路線を拡げていった。[[2000年]][[6月]]には[[国際航空運送協会]]に加盟している。


その後モンテネグロ航空は[[2003年]][[6月]]までに[[フォッカー 100|フォッカー100]]型機を4機購入したほか航空券の発券システムにAmadeus CRSを導入することで会社の規模を拡張し、[[2004年]][[6月]]には設立以来の総旅客運航が100万人を突破し同年だけで37万人を記録、その3年後には200万人を超えるなど急成長をみせた。
その後モンテネグロ航空は[[2003年]][[6月]]までに[[フォッカー 100|フォッカー100]]型機を4機購入したほか航空券の発券システムにAmadeus CRSを導入することで会社の規模を拡張し、[[2004年]][[6月]]には設立以来の総旅客運航が100万人を突破し同年だけで37万人を記録、その3年後には200万人を超えるなど急成長をみせた。

2010年7月28日 (水) 15:16時点における版

モンテネグロ航空
Монтенегро ерлајнс
IATA
YM
ICAO
MGX
コールサイン
MONTAIR
設立 1994年10月24日
ハブ空港 ポドゴリツァ空港
焦点空港 ティヴァット
ベオグラード
マイレージサービス Vision Team
保有機材数 6機(+2機)
就航地 13都市
本拠地 モンテネグロポドゴリツァ
代表者 Zoran Đurišić(CEO
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モンテネグロ航空セルビア語:Монтенегро ерлајнс、英語:Montenegro Airlines)はモンテネグロ首都ポドゴリツァにあるポドゴリツァ空港をハブとする航空会社。同国のフラッグ・キャリアであり、おもにヨーロッパに定期便を飛ばしている。モンテネグロ国内にはポドゴリツァとティヴァットの2都市に空港があるが両空港は80kmしか離れておらず定期便が就航していないため、現在のモンテネグロ航空の運航路線はすべて国際線となっている。

歴史

モンテネグロ航空は1994年10月に当時ユーゴスラビアの一部であったモンテネグロ共和国政府によって設立された。しかし最初の商用機であるフォッカーF28型機の購入は1996年までずれこみ、1997年5月にポドゴリツァ⇔バーリ線が開設されたことにより設立から3年弱でようやく運航開始となった。設立されてからしばらくはEUによって乗り入れ禁止航空会社に指定されていたものの1999年10月には解除されて、年末にフランクフルト線を開設したのを皮切りにチューリッヒリュブリャナスコピエイスタンブルブダペストとおもに東欧の主要都市へと路線を拡げていった。2000年6月には国際航空運送協会に加盟している。

その後モンテネグロ航空は2003年6月までにフォッカー100型機を4機購入したほか航空券の発券システムにAmadeus CRSを導入することで会社の規模を拡張し、2004年6月には設立以来の総旅客運航が100万人を突破し同年だけで37万人を記録、その3年後には200万人を超えるなど急成長をみせた。

しかし2006年のモンテネグロの独立宣言によりセルビアが「外国」となり、またセルビア政府が保護主義的な政策を展開したためにモンテネグロに本拠地を置くモンテネグロ航空はニシュ⇔チューリッヒなどのドル箱路線の一部を閉鎖せざるを得なくなった。これに対しモンテネグロ航空はセルビアにマスター・エアウェイズという別の航空会社を設立し運航の継続を図ろうとしたがこれも認可されなかった。

2007年6月にはネットワーク拡大のためにエンブラエル195型機を8年契約で2機リースし、最初に1機が納入された後にあらたにロンドン/ガドウィック線とミラノ線を開設した。2008年9月にはさらに1機のエンブラエル195型機をもう1機のオプション付きで31万USドルで購入しさらなるネットワークの拡大を進めている。これにより今後はフォッカー100型機4機と、納入済みのエンブラエル195型機1機に未納入のリース機、購入機、オプション機を加えたエンブラエル195型機4機による運航がおこなわれるものと思われる。

現在モンテネグロ航空は民営化に向けて動いており、モンテネグロ政府は最終的に保有するすべての株式を売却する方針である。

就航都市

モンテネグロ航空のフォッカー100型機


このほかアドリア航空オーストリア航空マレーヴ・ハンガリー航空とのコードシェア便も運航している。

事件・事故

  • 2005年1月25日午後11時ごろ、ポドゴリツァ空港に着陸予定のフォッカー100型機が誤って滑走路の脇に着陸し、前輪が折れるという事件があった。当時は夜間であったとともに雪が激しく降っており、滑走路の脇に接地後400mほどの地点で前輪が崩れ700mほど地面を滑ったあと機体は停止した。この事故でパイロット1名と乗客2名が軽い怪我を負ったが、当時大雪の影響でモンテネグロ航空以外の航空会社はすべてポドゴリツァ線を運休していたにも関わらず運航を強行したとして乗客がモンテネグロ航空に対する訴えをおこした。
  • 2008年1月7日、20人を乗せポドゴリツァ空港に着陸中のフォッカー100型機が被弾するという事件が起きた。定期点検により機体の尾部に弾痕が見つかり、原因は判明していないものの公現祭の祝砲の流れ弾が当たったのではと考えられている。

関連項目

外部リンク