「イモラ・サーキット」の版間の差分
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[[2015年]]には[[ジロ・デ・イタリア 2015|ジロ・デ・イタリア]]第11ステージ([[5月20日]])のフィニッシュとしてイモラ・サーキットが採用された。ジロ・デ・イタリアでの周回コースはイモラ・サーキットをそのまま使用するのではなく、途中バリアンテ・アルタからレーシングコースを離れ一般公道に入り、サーキット南側の「トレ・モンティ」の丘を経由しリバッツァの出口より再びレーシングコースに戻る特設コースが採用された。バリアンテ・アルタから一般公道に入る地点から周回コースを3周半し、ホームストレートにフィニッシュするこの特設コースで、[[イルヌール・ザカリン]]がステージ優勝を飾っている。 |
[[2015年]]には[[ジロ・デ・イタリア 2015|ジロ・デ・イタリア]]第11ステージ([[5月20日]])のフィニッシュとしてイモラ・サーキットが採用された。ジロ・デ・イタリアでの周回コースはイモラ・サーキットをそのまま使用するのではなく、途中バリアンテ・アルタからレーシングコースを離れ一般公道に入り、サーキット南側の「トレ・モンティ」の丘を経由しリバッツァの出口より再びレーシングコースに戻る特設コースが採用された。バリアンテ・アルタから一般公道に入る地点から周回コースを3周半し、ホームストレートにフィニッシュするこの特設コースで、[[イルヌール・ザカリン]]がステージ優勝を飾っている。 |
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[[モンツァ・サーキット]]でのイタリアGPの開催契約が切れる[[2016年]]には、[[バーニー・エクレストン]]が翌年以降の開催地としてイモラを挙げたが<ref>{{Cite web|url=http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/225805.html |title=イモラとエクレストンがイタリアGP開催の合意 |publisher=ESPN F1 |date=2016-07-18 |accessdate=2020-06-15}}</ref>、モンツァとの契約延長が決まったため実現しなかった<ref>{{Cite web|url=http://ja.espnf1.com/italy/motorsport/story/228401.html |title=モンツァが3年の契約延長へ |publisher=ESPN F1 |date=2016-09-02 |accessdate=2020-06-15}}</ref>。[[新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の拡大]]により開催できなくなったレースが多数発生した[[2020年]]には、イタリアでの2戦目の開催地として名乗りを上げ<ref name="as20200614" /> |
[[モンツァ・サーキット]]でのイタリアGPの開催契約が切れる[[2016年]]には、[[バーニー・エクレストン]]が翌年以降の開催地としてイモラを挙げたが<ref>{{Cite web|url=http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/225805.html |title=イモラとエクレストンがイタリアGP開催の合意 |publisher=ESPN F1 |date=2016-07-18 |accessdate=2020-06-15}}</ref>、モンツァとの契約延長が決まったため実現しなかった<ref>{{Cite web|url=http://ja.espnf1.com/italy/motorsport/story/228401.html |title=モンツァが3年の契約延長へ |publisher=ESPN F1 |date=2016-09-02 |accessdate=2020-06-15}}</ref>。[[新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の拡大]]により開催できなくなったレースが多数発生した[[2020年]]には、イタリアでの2戦目の開催地として名乗りを上げた<ref name="as20200614" />結果、第13戦[[2020年エミリア・ロマーニャグランプリ|エミリア・ロマーニャGP]]の開催が決定した<ref>{{Cite web |date=2020-07-25 |url=https://www.chunichi.co.jp/article_photo_chuspo/list?article_id=94151&pid=197581 |title=F1ポルトガルGPが24年ぶり復活!アルガルベサーキットでの第12戦開催が正式決定 |publisher=中日スポーツ |accessdate=2020-07-23}}</ref>。 |
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== コースレイアウト == |
== コースレイアウト == |
2020年11月2日 (月) 09:06時点における版
所在地 | イタリア・イモラ |
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標準時 | GMT +1 |
座標 | 北緯44度20分28秒 東経11度42分48秒 / 北緯44.34111度 東経11.71333度座標: 北緯44度20分28秒 東経11度42分48秒 / 北緯44.34111度 東経11.71333度 |
主なイベント | SBK, WTCC, サンマリノグランプリ |
Current circuit (2007-present) | |
路面 | アスファルト |
コース長 | 4.909 km (3.050 mi) |
コーナー数 | 17 |
Previous layout (1995-2006) | |
路面 | アスファルト |
コース長 | 4.959 km (3.132 mi) |
コーナー数 | 17 |
レコードタイム | 1:20.411 ( |
Second layout (1981-1994) | |
路面 | アスファルト |
コース長 | 4.933 km (3.065 mi) |
コーナー数 | 23 |
レコードタイム | 1:24.335 ( |
アウトドローモ・インテルナツィオナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ[1] (伊: Autodromo Internazionale Enzo e Dino Ferrari) は、イタリアのイモラ市にあるサーキット。別名イモラ・サーキット (Imola Circuit) 。
フェラーリ創業者のエンツォ・フェラーリとその息子のアルフレード・フェラーリを記念してつけられた。当初は「アウトドローモ・ディーノ・フェラーリ」 (Autodromo Dino Ferrari) という名称だったが、1989年、エンツォ・フェラーリの死去に伴い、現在の名称になった。
歴史
イモラは全長5,017mの高速コースとして造られた。F1をはじめとするグランプリレースを開催するサーキットとしては、ブラジルのサンパウロにあるインテルラゴス・サーキットと同じく反時計回りで周回するサーキットである。ホームストレートの海抜は41m。北側にイモラ市街地があり、サンテルノ川を隔ててレーシングコースがある。サーキットの内側には陸上競技場がある他、南側の丘にはぶどう畑が広がり、この一帯はDOCワイン「コッリ・ディ・イモラ」で知られる。
1953年に開催されたオートバイレースが、初のレースイベントだった。1973年にはバリアンテ・バッサ、1974年にバリアンテ・アルタの2つのシケインが追加された。1981年にはアクア・ミネラリにもシケインが追加され、このレイアウトが1994年まで使用された。
F1のレースは1979年のシーズン終了後に非選手権戦として初開催された。1980年以降は選手権戦となり、1980年はイタリアGP、1981年から2006年までサンマリノGPとして開催された。
1994年サンマリノGPでは大事故が多発し3名のドライバーが死傷し、その後コースレイアウトが変更された。タンブレロコーナーとヴィルヌーブコーナーは高速コーナーからシケインへと改修されたが、最終コーナー手前のバリアンテ・バッサの進入が緩やかになり、アクア・ミネラリのシケインは撤去された。これらの改修で平均速度は下がったが、元々コース幅が非常に狭い事もあり、以前と比べ追い抜きのしにくいコースとなってしまった。
2007年より、狭く老朽化したピットの改修工事に入った。それに伴いバリアンテ・バッサが撤去され、リバッツァ2からタンブレロまでをゆるいコーナーでつないだ形状とした。この変更でホームストレートが長くなった。これらの改修により、より高速のコースレイアウトになった。ただし、F1は同年から1国1開催を重視することになり、さらに改修の遅れやレース開催費の値上げの影響を受けたため開催されなくなった。2011年にFIAからテスト走行のみ可能なグレード1TからF1の開催に必要なグレード1への変更が承認され[2]、2020年現在もグレード1を維持している[3]。
2015年にはジロ・デ・イタリア第11ステージ(5月20日)のフィニッシュとしてイモラ・サーキットが採用された。ジロ・デ・イタリアでの周回コースはイモラ・サーキットをそのまま使用するのではなく、途中バリアンテ・アルタからレーシングコースを離れ一般公道に入り、サーキット南側の「トレ・モンティ」の丘を経由しリバッツァの出口より再びレーシングコースに戻る特設コースが採用された。バリアンテ・アルタから一般公道に入る地点から周回コースを3周半し、ホームストレートにフィニッシュするこの特設コースで、イルヌール・ザカリンがステージ優勝を飾っている。
モンツァ・サーキットでのイタリアGPの開催契約が切れる2016年には、バーニー・エクレストンが翌年以降の開催地としてイモラを挙げたが[4]、モンツァとの契約延長が決まったため実現しなかった[5]。新型コロナウイルス感染症の拡大により開催できなくなったレースが多数発生した2020年には、イタリアでの2戦目の開催地として名乗りを上げた[3]結果、第13戦エミリア・ロマーニャGPの開催が決定した[6]。
コースレイアウト
基本的には短い直線とシケインを組み合わせたストップ・アンド・ゴータイプのサーキットである。シケインの縁石を乗り越える部分が多いため、サスペンションセッティングがコース攻略の鍵となる。
ホームストレートから左に緩やかなカーブを描き、左・右・左と切り返すタンブレロ (Tamburello) を通過する。かつてはアクセル全開で通過する超高速コーナーであったが、1987年にネルソン・ピケが初日の予選中にクラッシュ、1989年にはゲルハルト・ベルガーがレース中にクラッシュしマシンが炎上、そして1992年にはウイリアムズのリカルド・パトレーゼがテスト中にクラッシュし首を負傷するなど、テクノロジーの進化により危険なコーナーへと変貌していった。そして1994年アイルトン・セナがレース中にクラッシュ、死亡するに至る。
これらのクラッシュは全てタンブレロを直進してコンクリート壁に激突するという共通点を持っていた。この種のリスクに対しては、コンクリート壁を後退させてランオフエリアを拡大するか、コンクリート壁の前にタイヤバリアを敷設するなどの対応が考えられるが、このコーナーのすぐ外側にはサンテルノ川が流れており、ランオフエリアのスペースを拡大することができず、タイヤバリアの敷設にしても衝突時の飛散のリスクを考慮すると、やはりコースとの距離が絶対的に不足しており、採用することができなかった。そこで高速コーナーを廃止し、1995年からは内側に切り込むシケイン状のコーナーに姿を変えた。
タンブレロを立ち上がると、直線を挟んで再びシケインのヴィルヌーブ (Curva Villeneuve) を通過する。ここも以前は緩やかに右にカーブするコーナーで、1980年のイタリアGPでジル・ヴィルヌーヴが高速クラッシュを演じたことから命名された。1994年サンマリノGPの予選2日目でのローランド・ラッツェンバーガーの死亡事故を受けて、タンブレロと同じくシケインに改修された。
ヴィルヌーブに続いて、低速ヘアピンコーナーのトサ (Tosa) を廻り込む。タンブレロとヴィルヌーブが高速コーナーだった頃は、ここでのブレーキング勝負が見所となった。トサから先のコースは、土地の起伏を利用したアップダウンが続く。丘を上り、ピラテッラ (Piratella) を過ぎると下りとなり、窪地にある複合コーナーのアクア・ミネラリ (Aque Minerali[7]) を通過する。上り坂の先にあるシケインヴァリアンテ・アルタ (Variante Alta) は、縁石を使って直線的にカットする。
ダブル左回りのリバッツァ (Rivazza) は、エントリー部分が下り坂でブレーキングが難しい。ピット前のヴァリアンテ・ヴァッサ (Variante Vassa) は入口(右・左)と出口(左・右)のふたつのシケインで構成されていたが、1995年以降は出口のみとなり、ピット改修後は2輪レースで使用される。
データ
- 公式オープン:
- 総工費:
- 所在地:イタリア、イモラ市
- 運営:
- 総面積:??
- 収容観客数:??
- コース1周:4.933km
- 最長直線距離:?? km
- カーブ数:17(右:7、左:10)
- カーブ:最小半径 ?? m
レコード
- F1 1'20'411'(ミハエル・シューマッハ、フェラーリ、2004年)
悪夢の1994年
1994年にこの地で開催されたサンマリノGPでは、2件の死亡事故を含め大きなクラッシュが多発した。
金曜日のフリー走行において、ジョーダンのルーベンス・バリチェロがヴァリアンテ・バッサでコースアウト、縁石で跳ね上がったマシンはタイヤバリアに乗り上げ横転した。バリチェロは鼻骨を骨折したものの幸い命に別状はなかったが、これが悪夢の端緒となった。
土曜日午後の予選、シムテックのローランド・ラッツェンバーガーがヴィルヌーヴ・コーナーを通過する際にマシンのフロントウイングが脱落し、306km/hでコントロールを失いコンクリート壁に激突、マシンは惰性でトサ・コーナーまで飛ばされるという大クラッシュが起こった。この事故によりラッツェンバーガーは死亡、モノコックに穴が開き、ラッツェンバーガーの上半身が外に露出するほどの衝撃であった。F1レースウィークにおいては1982年のリカルド・パレッティ以来、テストを含めると1986年のブラバムのエリオ・デ・アンジェリス以来の死者を出してしまった。
さらにラッツェンバーガーのための26番グリッドが空席のままスタートしたレースだったが、スタートに失敗したJ.J.レートのベネトンにペドロ・ラミーのロータスが追突した。壊れたパーツが観客席まで飛散し、観客数名が怪我を負った。このクラッシュによりセーフティカーが入った。セーフティカーの先導が解かれた1周後にウィリアムズのアイルトン・セナのクラッシュが発生した。
救急ヘリが直接コースに着陸という異常事態の中、救命措置が行われた。セナが病院に搬送された(レース終了後、セナは死亡した)後、レースは再開したがアクシデントはとどまらず、途中ピットインしたミケーレ・アルボレートのリヤタイヤが外れ、ピットロードを跳ね回った。このタイヤの直撃により、ロータスやフェラーリのピットクルーが重傷を負う事態となった。
ラルースチームのクルーのミスにより、赤旗提示中にエリック・コマスのマシンがピットアウトし[8]セナの事故現場(クラッシュしたマシンと作業中の多くのマーシャルや医療スタッフがいた)までレーシングスピードで走ってしまうトラブルも起きた。
何かに呪われたようなこの週末はそれまでの『F1安全神話』を完全に崩壊させ、新たな安全確保への規格の構築へと繋がっていった。
注釈
- ^ アウトドローモ (Autodromo) は、イタリア語で自動車競技場を指す。アクセントを考慮すると「アウトードロモ」と表記するのが正しいが、「アウトドローモ」とする日本語表記が一般に流布している。
- ^ “最高グレードを得てF1復帰を狙うイモラ”. ESPN F1 (2011年9月5日). 2020年6月15日閲覧。
- ^ a b “イモラ・サーキットがイタリアでの2戦目開催に名乗り。F1ライセンス更新を発表”. autosport web (2020年6月14日). 2020年6月15日閲覧。
- ^ “イモラとエクレストンがイタリアGP開催の合意”. ESPN F1 (2016年7月18日). 2020年6月15日閲覧。
- ^ “モンツァが3年の契約延長へ”. ESPN F1 (2016年9月2日). 2020年6月15日閲覧。
- ^ “F1ポルトガルGPが24年ぶり復活!アルガルベサーキットでの第12戦開催が正式決定”. 中日スポーツ (2020年7月25日). 2020年7月23日閲覧。
- ^ アクア・ミネラリとはイタリア語で「ミネラルウォーター」の意。
- ^ 赤旗提示中のピットアウトは禁止